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「大阪駅前街宣」弾圧、がれき説明会弾圧、関電前弾圧、オキュパイ大飯弾圧などの救援について綴ります

ぱぉんさん/ 勾留理由開示公判での意見陳述 2012/11/22

2013年01月18日 23時49分42秒 | 11.13がれき説明会弾圧
<ぱぉんさん(Pさん)勾留理由開示公判での意見陳述 傍聴記 11月22日(木)>


11月13日、逮捕された日に連れて行かれた病院で、いつもと同じ薬を4日分もらいました。しかし、15日に勾留決定され、留置担当者から「5日目からの薬は同じでいいか?」と聞かれ「同じがいい」と答えました。しかし17日飲もうとしたら1種類だけこれまでの薬と色が違いました。

不審に思い留置担当に尋ねたら「変わってない!」の一点張りでした。「では飲まないのか?」と問ただされ仕方なく飲みました。私には飲まないという選択肢はありません。飲むしかないのです。

その後不安になり「処方箋を見せて下さい」と言うと留置担当は「外にあるから」と拒否しました。「病院が間違えたのではないか」と責任転嫁もしました。「弁護人と接見したい」と告げても拒否されました。別の人が処方箋と医師の見解を書いたような書類を持ってきました。見ると薬が勝手に変わってました。事前の承諾もなくそれを私に飲ませたのです。分量が20mgから25mg増量されており「なんで増えてるの!」と思わず叫びました。この薬は副作用や離脱作用が強く、これまで長い間苦労してなんとか20mgまで減らしてきたのにショックでした。

翌日18日に「効能が同じと医師が言ったので大丈夫」と説明されました。でも処方箋と医師の見解の書いたコピーは見せてくれません。「担当の弁護士にも見せることはできない」と言われました。これでは毒を盛ってるのと同じです。信用できません。さらに処方した医者は精神科医でないと知ってますます不安になりました。私が「主治医の名前を言わない、かかりつけの病院名を言わないからだ」と責められました。

不信感がいっぱいで眠りが浅くなってます。昨日の夜は吐きました。体調は悪化しています。すぐに医者に診てもらえるよう弁護士から要求してもらってますが、「21日の定期検診でそのとき薬の件を聞いてみたら」と言われ「病院に連れて行く理由がない」と言われました。

アトピーがひどいと早くから訴えてますが「21日に定期検診があるから」と棚上げです。「とにかく病院の先生に診察してもらって塗り薬がほしい」と言いましたが、まだ出てません。アトピーはひどく悪化して、あちこちから血がいっぱい吹き出してます。血がでたとき「布団が汚れる」「かかりつけの病院名をいわないからだ」とまた責められました。

21日の定期検診のとき「従来の処方どおりの薬をだす。アトピー痒み止めの薬をだす。」と定期検診の医師に言われました。でもその従来どおりの薬が飲めるのは23日からです。「もとに戻せるのになんで変えたのか?勝手に変更した医師の名前と病院名と何科の専門なのか教えてほしい!」と要求しても「留置場のルールで教えられない」と一蹴されました。

早いうちから訴えているのにどうして23日まで待たないといけないのか。
今でもアトピーは悪くなってます。今朝もかゆくて我慢できないから、塗り薬をだすよう要求しましたが、まだ手元に届いてません。取り調べのときにも伝えましたが、なんの対応もなしです。

とにかく留置担当の対応がひどすぎます。
私は本来、勾留される理由もないのに、この対応はあまりにも理不尽です。

(以上、傍聴者のメモから。実際の陳述内容とほぼ同じです。)



<ぱぉんさん救出チームからの訴え> 2013年1月18日

昨年12月4日、拘置所に移送されてから、ぱぉんさんは再び薬を与えられず、精神状態がパニックになり「保護房に移されるかもしれない。留置場の方がまだ良かった」と訴えています。一時期は非常に危ない状態でしたが、まだ薬の名前を教えてもらえないでいます。拘置所の医療制度は本当にひどいものです。ぱぉんさんは幼少のころから持病があり、主治医の処方した薬ももらえず、何の薬かわからないまま飲むことは、どれほどのストレスになることか!

12月28日、医師の診断書と意見書を提出したにもかかわらず、ぱぉんさんの保釈申請は却下されました。何の罪も犯してないのに不当に勾留までされ、この扱いは拷問にも等しいです。基本的人権すらありません。この件について、憲法学者は36条『拷問の禁止』に抵触するかもしれないとまで言及しています。

ぱぉんさんが不当逮捕されてから2ヶ月が経ちました。昨年夏から彼女は被曝の初期症状である甲状腺異常で通院していました。11.13弾圧で身柄拘束される直前の2週間では、39度を超える原因不明の高熱が続いたこともありました。
それでも満身創痍で「子供を守ろう」「被災者守ろう」「燃やすなガレキ」と声を上げ続けてくれたのです。

私達救出チームは引き続き『ぱぉんさんの即時釈放と無罪』を訴えていきます。

文責MU

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