★弁護人を通じ、ぱぉんさんの手記が届けられたので、掲載します★
『メッセージ <5> 』
ぱぉんです。
"保釈中につき期間限定"「ぱぉん手記」。
いつも長文でごめんなさい…。
※発信する文章は全て、信頼している私の弁護人を通じて書いています。
のぞき見している大阪腐警の公安三課さん、天満太郎さん、此花花子さんも、よかったらどうぞ最後までお読み下さい。
※どなたも私に連絡を取らないで下さい。腐れ公安から皆さん一人一人を守るために。
「薬をくれ!大阪腐警との格闘」
勾留決定の後、持病の薬の事で、大阪腐警布施署の留置係や取調官との格闘が始まりました。
私は幼い頃から身も心も激ヨワな子で、3歳ぐらいからアトピーと診断されて医者にかかっていました。成長するにつれ、食べ物アレルギーも出ました。
また幼稚園では、外で遊ばずに先生のマネしてピアノを弾いてばっかりいた為、親がピアノ教室に入れてくれたんですが(記憶ナシ)、幼い頃の私は、生活のありとあらゆる雑音が頭の中で音符になってしまい、アトピーの痒さと共に、"眠れない子"になっていきました。
当時住んでいた家は、ある私鉄の線路沿いで、遮断機が近くにあったのですが、カンカンカンカンーって鳴る遮断機の注意音の音程が時々変わるんですよ。微妙に低くなったり。(苦笑)
生活環境の音から自分をシャットアウトする術がその時はなく、鳥のさえずりさえピアノの鍵盤になってしまい、少しでも音がする環境では眠れない子でした。
これを「絶対音感不眠症」と呼びます。
(注 / ぱぉんの勝手名)
そんな風に、持病と共に生きてきました。
アトピー、アレルギー、睡眠障害、混合性抑うつ。
さて、話をポリ署に戻します。
逮捕された日、此花署から連れられた病院で出た常備薬は4日分。
・・・そりゃそうですよね。逮捕当日から20日間分出してたら、「勾留の満期は確定」ってポリが自らバラす事になりますからね。
ちなみにこの薬とは、うつ・不眠の精神科の薬です。
10日間の勾留延長が決まり、11月16日の朝、「薬が今日でなくなるけど、同じ薬でいいか?」と留置担当に聞かれたので、「同じでいい」と答えました。
<薬の飲み方>
留置場でも拘置所でも同じだったのですが、薬の飲み方が決まっています。
まず係が私の手に、錠剤を裸で渡します。
薬のプラスチックのケース(?)はなく、透明のケースに錠剤だけ裸で入っています。
布施署の留置場で私が飲んでいた薬は計5錠だったので、まず手に3錠。それを自分の舌に乗せ、係に見せる。係が「いいよ」と言ったら水で飲む。同じ動作で残りの2錠を飲みます。
その後、両方の手のひらを見せ、コップの中を見せ、舌を出して見せ、舌を上に上げて口の中を見せ、「らりるれろ」と言わされます。
・・・だいぶ屈辱的で面倒くさいです。
こっちは薬が必要なんだから、隠し持つつもりもないし、どうせ毎日房の中や被疑者を検査するのだし、何の意味があんの?
薬ぐらい普通に飲ませーや!らりるれろ。
<薬、変わっとるやんけ!事件>
事件は翌17日の夜に起こりました。
薬を飲もうと思ったら、1粒だけこれまでと色が違っていました。
ぱぉん「ちょっと待て!なんで薬変ってんの?」
留置係「?同じのって自分で言ったんやろ?」
ぱ「これ、ピンクになってるやん!同じちゃうやん。変ってるやん。」
係「・・・じゃ飲まへんの?」
ぱ「飲まへんのは無理。処方箋見せて。」
係「処方箋は外にあるから(?)見せられへん。」
ぱ「(外ってどこやねんw)とにかく見せろ。」
係「しゃーないな・・・」と去る。しばらくして手ぶらで戻ってきて、「同じ薬やって」と言う。
そんなもん、信用できるか!!
何度も何度も「とにかく処方箋を見せろ」と要求。
そうこうしているうちに、ちょっと上司っぽい女性が処方箋と、処方した医師が書いた書類を片手に、私の房へ。
「通常なら見せられへんねんけど、特別に」と恩着せがましく言った後、私には手渡さず、鉄格子を挟んだ向こうに、ご丁寧にも処方した医師の名前を隠すようにして、処方箋を提示。
「ピンクの薬は"CR25mg"やって」と。
ちょっと待て!!
私が飲んでるのは20mgや!
何を勝手に増やしとんねん!!
毒を盛ってるのと同じやないか!
抗議しまくったら、係は処方した医者に問い合わせた模様。
医師によると「前から飲んでる薬と、成分も効能も同じ」との返答。
・・・成分・効能は同じに決まってるやろ!!
その後も「なんでや?」「前の薬に変えろ」などの要求をしたものの、薬を飲む時間は20時、時すでに遅し、というか「お医者さんが同じって言ってるねんから、それでエエやん。大丈夫やん。」という態度なので、変更はききませんでした。
「医師の名前を教えろ」と言ってもダメの一点張り。
「処方箋を見せろ」と言ってもダメの一点張り。
そのやり取りの中で、「全く納得いかん。弁護士に連絡して」と言いましたが、それも却下。取り調べ最中でも何してても、被疑者が弁護士を呼んで欲しいと言えば、彼らにそれを断る権限はありません。
しかし、この時の留置係はとことん無視しました。
ぱ「とにかく弁護士に連絡しろ」
係「今日はもう無理」
ぱ「じゃあ明日朝一番で連絡しろ」
係「私ら、明日勤務じゃないからできない」
・・・はぁ?!(*゜Д゜)
ぱ「じゃあ明日の係に伝えろ」
係「わかったわかった!明日の担当の人に、弁護士さんに連絡してもらうように引き継ぎをしたらエエねんな?」
ぱ「はじめからそう言うたらエエやろ!」
「もう時間遅いから」「どうせこの時間やったら弁護士さんのとこも留守電やろ」など、適当な言い訳をつけて、結局その日弁護士さんに連絡がいく事はありませんでした。
再度「飲まへんの?」と聞かれ、飲まないという選択肢がない私は、仕方なく飲んだのでした。
怒り心頭。
その後も、何を飲まされたのかわからず、怒りが収まらない私は、「医者の名前は?」「専門医か?」「というか留置係の責任者、誰や?」など抗議を続けましたが、彼女らは私の房から立ち去って行きました。
こちらは檻の中に閉じ込められた状態なので、彼女たちは私の房から逃げることで、私の抗議や要望から逃れていたワケです。
房を去るオバハン、最後に「あんまり考え過ぎたら余計体に悪いんちゃうか?」と言い捨てていきました。
おい!単なる妄想とでも思ってんのか?!
翌日も不安感が消えず、留置係に「処方箋は?」などと問い詰めましたが、「21日(水)に定期健診があって、その時に処方したお医者さんがちょうど、ホントにちょ~~うど来るから、自分で聞いたら?」と。
ぱぉん「その医者は精神科の専門医なん?」
留置係「違う。精神科ではない。」
・・・ますます不信感が募る結果に。
結局、21(水)の定期健診の時、留置場の検査室までやってきた男性の医者に「なんで薬変えたん?」と聞いたら、「いわゆる後発薬で、効能など同じだから。不安なら元に戻す。」と。元に戻せるんなら最初から勝手に変えんな!!
私に説明なく、勝手に薬を変えた医者は、なるほど精神科医ではないだろう、と思いました。その事がどれだけのストレスになるか、彼にはわからないのです。
(ちなみにこの時の医者の氏名ゲット)
しかし元の薬が処方されるのは定期健診の翌日22日、飲めるのは翌々日の23日からだ、とこれまた留置場のルール。
エエ加減にせぇ!!!!!
これも抗議しまくったけど、22日まで、ワケのわからない薬を飲んでいました。
ちなみに23日、ホンマに元の薬に戻ったのか、飲む前に係に「処方箋か薬のケースを見せろ」と要求。「見せるまで飲まへん」という私の抗議に呆れ果てた様子で、オバハン係が「この薬の空のケースを見せたらわかるか?」と言ったので「わかるから見せろ」と。
オバハン、一旦どこかへ行きましたが、しばらくして手ぶらで帰ってきました。「ケース、もう捨てててなかったわー」と。
ぱぉん「じゃあ処方箋!」
留置係「見せられへん」
ぱ「もう全く信用できん。とにかく処方箋。」
またまた上司っぽい女性が二人でやって来て、鉄格子の向こうに処方箋をかざし、「ほら、元に戻ってるでしょ?」と。
ぱぉん「錠剤がケースに裸で入ってるんやから、ホンマに元通りの薬を飲ますんかは一切信用できひんけどな!」と言いつつ、結局飲みました。飲まんと離脱症状が出るし、眠れないし、他に選択肢がないので仕方なく。
・・・らりるれろ。。。
その後も、布施署にいる間、ほぼずっと「処方箋を出せ」と言い続けていました。
しかし警察側はとにかく「見せられへん。弁護士からの要求でもダメだ。」の一点張り。
弁護士が要求しても見せられへん処方箋って・・・。
彼女たちは私に、一体どんな薬を飲ませてたんだ。
全く信用できませんでした。
また、薬を飲む時間も、最後まで変更される事はありませんでした。
普段なら夕食後と寝る前に分けて飲む薬を、20時に一気に飲むため、薬が効いてきたら意識はだいぶ朦朧としています。
たまに弁護士さんの接見が21時以降になることがあるんです。その場合、留置担当が「弁護士さんが来るって連絡入ってるから、寝てたら起こすね。」とか言ってくれたりしますが、私の場合、本当に困るのが、薬を飲む時間はどうしても変更できないという点でした。
既に20時に薬を一気に飲んでるので、21時以降にお会いした弁護士さんとの話はほぼ覚えていません。
だいぶ朦朧としていて、記憶もあやふやです。
接見の時、ノートとボールペンを持って行くという許可を出させていたのですが(←こんな事すら自分から強く言わないと持って行かせないです)、自分で書いたメモもあまり覚えていないので、一度「弁護士さんが遅くなるとわかっている時だけでも、薬を飲む時間を遅らせて欲しい」と要求してみましたが、やっぱりダメでした。
<ヒドくなっていくアトピー>
そして今度はお風呂です。アトピーのこと。
私はナゼか水が変わると、その土地の水に慣れるまで時間がかかる体質らしく、また、アトピーの薬を一切持っていなかったので、お風呂が超心配でした。
使える石鹸とかシャンプーとかも決まったものしか使えないし、さてどうしようか、と。
檻の中から自費で購入できたニベアで大丈夫か?! ・・・などと考えているうちに、少なくとも10日間の勾留が確定したのですが、私、アトピーの薬がなかったから超不安で、勾留20日間になっても布施署ではお風呂入らんとこーと思ってたんですよ。お風呂入らんでも死ぬワケでもなし。
お風呂は水・日曜の週2回だったのですが、留置されてから1回目・2回目のお風呂は拒否しました。
すると留置担当、様々な暴言を吐きました。
「臭いのはゴメンやで」「不衛生。汚い。」
「あんたが風呂入らんのは勝手やけど、あんたが臭いと他の人に迷惑や。」
「シーツは洗えるけど。布団が汚れる。」
など。(全てノートにメモ済み)
でも、護送中に手首にはめられた紺色の布、留置1日目の布団のシーツ、ポリ署で借りた服、などのせいであちこち痒くてたまらんし、だんだんヒドくなってきてて、掻いては血を出し、どうしようもなくなったので、逮捕されてから4日目に留置係に「アトピーの塗り薬が欲しい」と言いました。
係「あんた、ここ来た時アトピーの薬なんか言うてなかったやんか!」
ぱ「持ってなかっただけ。ヒドなってるから薬を出せ。」
係「だいたいあんたが主治医を言わんから、色々面倒な事になってる」
ぱ「何でポリに主治医言わなアカンねん。」
係「あんたが言わんから、こっちもわからん。」
ぱ「だから今、アトピーで全身痒いから塗り薬を出せ、と言うてる」
・・・やり取り、延々。
係「21日(水)の定期健診に医者が来る。その時に言うたら?」
ぱ「それまでガマンできひん。もうあちこち掻いて血出てるし。」
係「こっちにもルールがあるから。あんたの勝手ばっかり聞いてられへん。」
ぱ「勝手な事じゃない、普通の権利やないか。薬だけ出すのが無理なら病院連れてけ。」
係「病院に連れていく必要ない。」
ぱ「お前、マジでエエ加減にしろ。訴えんぞ。」
係「お前?おーー怖っ。お前やて。怖いわ。」
↑結果、逃げた。
アトピーの件でも留置係と散々格闘しました。
また取調べに行く時、エレベーターの中で公安(女性)が「今日はえらい顔腫れてるけど大丈夫?」って言うてました。取調官にも、黙秘はしつつ、体調や薬の事だけは訴えていました。「アトピーの塗り薬を出せ。無理なら病院連れてけ。あちこち痒くて血が吹き出とる。もう無理。留置係はすぐ逃げるし、話にならん。」
取調官は「留置係に言うとくわ」と言っていたものの、対応ナシ。
顔が腫れてるのを見てるくせに、何もしません。放置です。
結局21日(水)の定期健診まで待たされました。
健診の時、医者にアトピーの事を言い、体などを見せたら、「かゆみ止めの塗り薬を出します」と。しかし、こちらも同じく、「留置場のルールで、使えるのは23日(金)の朝からだ」と。
この頃、ぱぉんはもうだいぶ諦めモードでした。
どれだけ抗議しても全く聞く耳持たん連中に、だいぶ疲れていました。
<人相変わっとるやんけ!事件>
23日(金)の朝、処方された塗り薬を、ヒドかった顔と体に塗りました。
す・る・と。。。
逆にカブれたーーー!…Orz。
特に顔がヒドく、赤く晴れ上がってパンパン。蚊に刺されたみたいにまぶたが腫れ、目が開いていない。掻いた所から少し黄色い汁が出て、つけていたマスクがすぐに汚れる…。
"運動"の時に鏡を見て、自分で自分の顔のヒドさにビックリしました。
再度、「弁護士を呼べ」と要求。
さすがに留置係もヤバイと思ったらしく、私のところに接見に来てくれた弁護士さん全員に連絡した、と。
取調べの事はまた改めて書きますが、ちょうどその土日、取調べがなかったんです(やる気ナシ)。だから取調官には顔を見せる事がなく、「ヒドなってるやんけー!」と抗議する手段がありませんでした。
マジでヤバイと思ったラシイ留置係、私の再三の要求にようやく応え、「病院に連れていく」と言いだしたのは、翌週27日の火曜日でした。
それまで「病院に連れていく必要がない。連れていく段取りができひん。」と拒否し続けていた留置係、さすがに人相が変わるほどヒドくなってる状況は放置できなかった様です。
27日(火)、例の"ますだ似"と女性ポリに連れて行かれた先は、天王寺の近く(推定)にある警察病院。多くの人がいる待合室に、手錠をかけられた状態で待ち、ようやく皮膚科の専門医の診察を受けることができ、そこで飲み薬と塗り薬が出ました。
警察病院で処方された塗り薬で、全身かぶれた症状はあっという間にキレイになりました。
これも結構怖いことで、多分処方された薬はステロイド入りの超キツイ薬だったんだと思います。皮膚科の塗り薬・飲み薬も、これまで何年もかけて一生懸命減らして来たのに、一気に無駄になりました。
それと留置係、なぜか警察病院で出た処方箋だけは私に見せに来ました。
・・・なんで?(°Д°)
<無責任な人たち。ほとんどイジメ。>
留置係やポリの対応は、ホントにヒドかったです。
22日(木)は私の勾留理由開示公判だったのですが、私の意見陳述はその9割が、持病に対応しないヒドい扱いを訴えた内容でした。意見陳述の途中、あまりの対応のヒドさに、悔しくてちょっと泣いてしまった…。けど最後まで頑張って意見を言いました。
裁判長の小野寺くんは、「勾留のことについての意見がないようですが…」と言っていましたが、私は意見陳述の最後に、「本来なら留置場なんかにいる必要がないのに、あまりにも対応が不当すぎる。」と言ったのです。しかも私の意見陳述の後、小野寺くんは「留置場の問題を提議されたということで…」と、私の陳述を"問題提議"として片付けたのです。
彼はちゃんと聞いていたのでしょうか。
そもそも彼には被疑者の意見を聞く耳があるのでしょうか。
薬をめぐる格闘はずっと続いていました。
責任を問い詰め、責任者の名前を聞いても、予想通りの「答えられへん」。「あんたのほうで勝手にニックネームでもつけといて」と。
「責任持って話せる上司を連れて来い」と言っても「おらん」とウソをつく。
本当に信じられない人たちです。
あ、そうそう。
1週間に2~3度(もちろん平日)、布施署長が留置場にやって来ます。
デッカい声で「署長巡視ー!」という号令がかかり、ぞろぞろと部下を引き連れた署長らしき人が入ってきます。留置担当が(多分)並んで敬礼し、「総員何名、異常ありません!」「敬礼!」の大声の後、またぞろぞろと引き返していく、という"署長巡視"という名のナゾの儀式。
・・・責任者、おるやん?
ホント、ポリ署の人間というのは応用というものを知りません。
政治活動をほとんど禁止され、下らないルールに縛られて生きているのでそれも当然といえますが、「こういう時はこうする」というのがあらかじめ決まっていないと、こちらの要求にはほぼ全て「ダメ」だと言います。とにかく「ダメ」だらけ。
警察官や拘置所の職員などというのは、個人で判断して物事を決めることができない体質みたいです。それゆえ、責任の所在もあからさまに不明確で、平気で責任転嫁もします。自分のする事には一切の責任を持たない、無責任極まりない人種がヤツラの実態です。
留置係や拘置所の職員=看守というのはその典型です。
私に対する医療措置は、その後大きな問題に発展したのですが、その際も「後で弁護士さんに個別に問合せしてもらうから名前を教えろ」「責任者は誰や?」「署長に言うたらエエの?」と聞いても、「教えられない」「教える必要がない」の一点張り。
無責任極まりない、卑怯者の集団です。
ただルールを守らせる事、それが一番大事で、ルールの前には人一人の事などおかまいなしです。
拘禁されてた間の生活を振り返ると思うんですけど、男性より女性の方が陰湿な気がします。ほとんどイジメです。信じられない差別用語をフツーに使います。
布施署に留置されていた時も、彼女たちのそうした人権侵害を多く見て来ました。薬のことでやり合ってしばらくしてから、「トイレットペーパーなくなった」って言うても数時間ほったらかしとかw ガキか!w
男性警官、男性職員なんかは、むしろ私とあまり言葉を交わさないように、関わらんようにしてる様な印象を受けました。
セクハラ問題とか色々考えるんでしょうね、怖いんでしょうね、彼らも。
でも女性はホントにヒドかった。
やる事も言う言葉も本当に陰湿で、ジメジメ・ねちねちしてて、少しでも反抗するヤツは人間じゃない、そもそも檻に入れられてる人は人間じゃない、そんな扱いでした。冤罪で檻に閉じ込められている人がいるかも知れないという事、まだ無罪か有罪かもわからない=推定無罪という言葉すら、彼女たちの頭にあるのかギモンでした。
<最後に余談>
警察病院に行く車内、"ますだ似"と女性のポリの会話。
「俺(ますだ似)、今朝から禁煙してる。」
「え~?絶対無理ですよー。」
「今度こそいける。」
「無理無理。だって何年吸ってるんですか?」
「えーと、18ん時やから・・・17年ぐらいかな。」
「えっ・・・未成・・・」
「あ!ちゃうわ、15年ぐらい!」
ますだ似!私の隣であわてて訂正してたけど、遅いで!
ポリが被疑者の前で堂々と「18の時ぐらいから吸ってた」ってバラしてどうする!
お酒とタバコはハタチになってからやでー!!
ちなみに自分で歳もバラしとるで!
・・・また長くなりました。
読んで下さっている方、ごめんなさい。
持病をお持ちの方、ちょっとだけ参考にして下さい。
もちろんパクられんようにするのが一番ですが、今のこのご時世、いつ何時どんな言いがかりでパクられるかもわかりません。
もしパクられてしまった時、持病がある人はどうすればいいか。ちょっとでも参考になれば幸いです。
とにかく何でも諦めずに要求する・抗議することが大事だと痛感しました。
私の場合、何も言わなければそのままアトピーの薬が処方される事もなかっただろうし、そもそも逮捕された日に常備薬がある事を言わなければ、うつ・不眠の薬も出なかっただろうと思います。
布施署の対応は本当にヒドかったです。
しかし実は移送された拘置所の方がもっとヒドいのでした。
拘置所の事は、また改めて書きます。
今回は留置されていた時のノートを見ながらだったので、この文章はまぁまぁの難産でした。
読んで下さってありがとうございます。
また書きます。
ぱぉん、でした。
2013年4月25日(木)
************************
<救援会から お願い>
これから長く続く裁判に、たくさんの費用がかかります。
仲間達を救援するため、引き続きカンパのご協力をお願いいたします。
▼カンパ振込先▼
郵便振替「00910-1-145152」
加入者名「関西大弾圧救援会」
詳細は、コチラ
『メッセージ <5> 』
ぱぉんです。
"保釈中につき期間限定"「ぱぉん手記」。
いつも長文でごめんなさい…。
※発信する文章は全て、信頼している私の弁護人を通じて書いています。
のぞき見している大阪腐警の公安三課さん、天満太郎さん、此花花子さんも、よかったらどうぞ最後までお読み下さい。
※どなたも私に連絡を取らないで下さい。腐れ公安から皆さん一人一人を守るために。
「薬をくれ!大阪腐警との格闘」
勾留決定の後、持病の薬の事で、大阪腐警布施署の留置係や取調官との格闘が始まりました。
私は幼い頃から身も心も激ヨワな子で、3歳ぐらいからアトピーと診断されて医者にかかっていました。成長するにつれ、食べ物アレルギーも出ました。
また幼稚園では、外で遊ばずに先生のマネしてピアノを弾いてばっかりいた為、親がピアノ教室に入れてくれたんですが(記憶ナシ)、幼い頃の私は、生活のありとあらゆる雑音が頭の中で音符になってしまい、アトピーの痒さと共に、"眠れない子"になっていきました。
当時住んでいた家は、ある私鉄の線路沿いで、遮断機が近くにあったのですが、カンカンカンカンーって鳴る遮断機の注意音の音程が時々変わるんですよ。微妙に低くなったり。(苦笑)
生活環境の音から自分をシャットアウトする術がその時はなく、鳥のさえずりさえピアノの鍵盤になってしまい、少しでも音がする環境では眠れない子でした。
これを「絶対音感不眠症」と呼びます。
(注 / ぱぉんの勝手名)
そんな風に、持病と共に生きてきました。
アトピー、アレルギー、睡眠障害、混合性抑うつ。
さて、話をポリ署に戻します。
逮捕された日、此花署から連れられた病院で出た常備薬は4日分。
・・・そりゃそうですよね。逮捕当日から20日間分出してたら、「勾留の満期は確定」ってポリが自らバラす事になりますからね。
ちなみにこの薬とは、うつ・不眠の精神科の薬です。
10日間の勾留延長が決まり、11月16日の朝、「薬が今日でなくなるけど、同じ薬でいいか?」と留置担当に聞かれたので、「同じでいい」と答えました。
<薬の飲み方>
留置場でも拘置所でも同じだったのですが、薬の飲み方が決まっています。
まず係が私の手に、錠剤を裸で渡します。
薬のプラスチックのケース(?)はなく、透明のケースに錠剤だけ裸で入っています。
布施署の留置場で私が飲んでいた薬は計5錠だったので、まず手に3錠。それを自分の舌に乗せ、係に見せる。係が「いいよ」と言ったら水で飲む。同じ動作で残りの2錠を飲みます。
その後、両方の手のひらを見せ、コップの中を見せ、舌を出して見せ、舌を上に上げて口の中を見せ、「らりるれろ」と言わされます。
・・・だいぶ屈辱的で面倒くさいです。
こっちは薬が必要なんだから、隠し持つつもりもないし、どうせ毎日房の中や被疑者を検査するのだし、何の意味があんの?
薬ぐらい普通に飲ませーや!らりるれろ。
<薬、変わっとるやんけ!事件>
事件は翌17日の夜に起こりました。
薬を飲もうと思ったら、1粒だけこれまでと色が違っていました。
ぱぉん「ちょっと待て!なんで薬変ってんの?」
留置係「?同じのって自分で言ったんやろ?」
ぱ「これ、ピンクになってるやん!同じちゃうやん。変ってるやん。」
係「・・・じゃ飲まへんの?」
ぱ「飲まへんのは無理。処方箋見せて。」
係「処方箋は外にあるから(?)見せられへん。」
ぱ「(外ってどこやねんw)とにかく見せろ。」
係「しゃーないな・・・」と去る。しばらくして手ぶらで戻ってきて、「同じ薬やって」と言う。
そんなもん、信用できるか!!
何度も何度も「とにかく処方箋を見せろ」と要求。
そうこうしているうちに、ちょっと上司っぽい女性が処方箋と、処方した医師が書いた書類を片手に、私の房へ。
「通常なら見せられへんねんけど、特別に」と恩着せがましく言った後、私には手渡さず、鉄格子を挟んだ向こうに、ご丁寧にも処方した医師の名前を隠すようにして、処方箋を提示。
「ピンクの薬は"CR25mg"やって」と。
ちょっと待て!!
私が飲んでるのは20mgや!
何を勝手に増やしとんねん!!
毒を盛ってるのと同じやないか!
抗議しまくったら、係は処方した医者に問い合わせた模様。
医師によると「前から飲んでる薬と、成分も効能も同じ」との返答。
・・・成分・効能は同じに決まってるやろ!!
その後も「なんでや?」「前の薬に変えろ」などの要求をしたものの、薬を飲む時間は20時、時すでに遅し、というか「お医者さんが同じって言ってるねんから、それでエエやん。大丈夫やん。」という態度なので、変更はききませんでした。
「医師の名前を教えろ」と言ってもダメの一点張り。
「処方箋を見せろ」と言ってもダメの一点張り。
そのやり取りの中で、「全く納得いかん。弁護士に連絡して」と言いましたが、それも却下。取り調べ最中でも何してても、被疑者が弁護士を呼んで欲しいと言えば、彼らにそれを断る権限はありません。
しかし、この時の留置係はとことん無視しました。
ぱ「とにかく弁護士に連絡しろ」
係「今日はもう無理」
ぱ「じゃあ明日朝一番で連絡しろ」
係「私ら、明日勤務じゃないからできない」
・・・はぁ?!(*゜Д゜)
ぱ「じゃあ明日の係に伝えろ」
係「わかったわかった!明日の担当の人に、弁護士さんに連絡してもらうように引き継ぎをしたらエエねんな?」
ぱ「はじめからそう言うたらエエやろ!」
「もう時間遅いから」「どうせこの時間やったら弁護士さんのとこも留守電やろ」など、適当な言い訳をつけて、結局その日弁護士さんに連絡がいく事はありませんでした。
再度「飲まへんの?」と聞かれ、飲まないという選択肢がない私は、仕方なく飲んだのでした。
怒り心頭。
その後も、何を飲まされたのかわからず、怒りが収まらない私は、「医者の名前は?」「専門医か?」「というか留置係の責任者、誰や?」など抗議を続けましたが、彼女らは私の房から立ち去って行きました。
こちらは檻の中に閉じ込められた状態なので、彼女たちは私の房から逃げることで、私の抗議や要望から逃れていたワケです。
房を去るオバハン、最後に「あんまり考え過ぎたら余計体に悪いんちゃうか?」と言い捨てていきました。
おい!単なる妄想とでも思ってんのか?!
翌日も不安感が消えず、留置係に「処方箋は?」などと問い詰めましたが、「21日(水)に定期健診があって、その時に処方したお医者さんがちょうど、ホントにちょ~~うど来るから、自分で聞いたら?」と。
ぱぉん「その医者は精神科の専門医なん?」
留置係「違う。精神科ではない。」
・・・ますます不信感が募る結果に。
結局、21(水)の定期健診の時、留置場の検査室までやってきた男性の医者に「なんで薬変えたん?」と聞いたら、「いわゆる後発薬で、効能など同じだから。不安なら元に戻す。」と。元に戻せるんなら最初から勝手に変えんな!!
私に説明なく、勝手に薬を変えた医者は、なるほど精神科医ではないだろう、と思いました。その事がどれだけのストレスになるか、彼にはわからないのです。
(ちなみにこの時の医者の氏名ゲット)
しかし元の薬が処方されるのは定期健診の翌日22日、飲めるのは翌々日の23日からだ、とこれまた留置場のルール。
エエ加減にせぇ!!!!!
これも抗議しまくったけど、22日まで、ワケのわからない薬を飲んでいました。
ちなみに23日、ホンマに元の薬に戻ったのか、飲む前に係に「処方箋か薬のケースを見せろ」と要求。「見せるまで飲まへん」という私の抗議に呆れ果てた様子で、オバハン係が「この薬の空のケースを見せたらわかるか?」と言ったので「わかるから見せろ」と。
オバハン、一旦どこかへ行きましたが、しばらくして手ぶらで帰ってきました。「ケース、もう捨てててなかったわー」と。
ぱぉん「じゃあ処方箋!」
留置係「見せられへん」
ぱ「もう全く信用できん。とにかく処方箋。」
またまた上司っぽい女性が二人でやって来て、鉄格子の向こうに処方箋をかざし、「ほら、元に戻ってるでしょ?」と。
ぱぉん「錠剤がケースに裸で入ってるんやから、ホンマに元通りの薬を飲ますんかは一切信用できひんけどな!」と言いつつ、結局飲みました。飲まんと離脱症状が出るし、眠れないし、他に選択肢がないので仕方なく。
・・・らりるれろ。。。
その後も、布施署にいる間、ほぼずっと「処方箋を出せ」と言い続けていました。
しかし警察側はとにかく「見せられへん。弁護士からの要求でもダメだ。」の一点張り。
弁護士が要求しても見せられへん処方箋って・・・。
彼女たちは私に、一体どんな薬を飲ませてたんだ。
全く信用できませんでした。
また、薬を飲む時間も、最後まで変更される事はありませんでした。
普段なら夕食後と寝る前に分けて飲む薬を、20時に一気に飲むため、薬が効いてきたら意識はだいぶ朦朧としています。
たまに弁護士さんの接見が21時以降になることがあるんです。その場合、留置担当が「弁護士さんが来るって連絡入ってるから、寝てたら起こすね。」とか言ってくれたりしますが、私の場合、本当に困るのが、薬を飲む時間はどうしても変更できないという点でした。
既に20時に薬を一気に飲んでるので、21時以降にお会いした弁護士さんとの話はほぼ覚えていません。
だいぶ朦朧としていて、記憶もあやふやです。
接見の時、ノートとボールペンを持って行くという許可を出させていたのですが(←こんな事すら自分から強く言わないと持って行かせないです)、自分で書いたメモもあまり覚えていないので、一度「弁護士さんが遅くなるとわかっている時だけでも、薬を飲む時間を遅らせて欲しい」と要求してみましたが、やっぱりダメでした。
<ヒドくなっていくアトピー>
そして今度はお風呂です。アトピーのこと。
私はナゼか水が変わると、その土地の水に慣れるまで時間がかかる体質らしく、また、アトピーの薬を一切持っていなかったので、お風呂が超心配でした。
使える石鹸とかシャンプーとかも決まったものしか使えないし、さてどうしようか、と。
檻の中から自費で購入できたニベアで大丈夫か?! ・・・などと考えているうちに、少なくとも10日間の勾留が確定したのですが、私、アトピーの薬がなかったから超不安で、勾留20日間になっても布施署ではお風呂入らんとこーと思ってたんですよ。お風呂入らんでも死ぬワケでもなし。
お風呂は水・日曜の週2回だったのですが、留置されてから1回目・2回目のお風呂は拒否しました。
すると留置担当、様々な暴言を吐きました。
「臭いのはゴメンやで」「不衛生。汚い。」
「あんたが風呂入らんのは勝手やけど、あんたが臭いと他の人に迷惑や。」
「シーツは洗えるけど。布団が汚れる。」
など。(全てノートにメモ済み)
でも、護送中に手首にはめられた紺色の布、留置1日目の布団のシーツ、ポリ署で借りた服、などのせいであちこち痒くてたまらんし、だんだんヒドくなってきてて、掻いては血を出し、どうしようもなくなったので、逮捕されてから4日目に留置係に「アトピーの塗り薬が欲しい」と言いました。
係「あんた、ここ来た時アトピーの薬なんか言うてなかったやんか!」
ぱ「持ってなかっただけ。ヒドなってるから薬を出せ。」
係「だいたいあんたが主治医を言わんから、色々面倒な事になってる」
ぱ「何でポリに主治医言わなアカンねん。」
係「あんたが言わんから、こっちもわからん。」
ぱ「だから今、アトピーで全身痒いから塗り薬を出せ、と言うてる」
・・・やり取り、延々。
係「21日(水)の定期健診に医者が来る。その時に言うたら?」
ぱ「それまでガマンできひん。もうあちこち掻いて血出てるし。」
係「こっちにもルールがあるから。あんたの勝手ばっかり聞いてられへん。」
ぱ「勝手な事じゃない、普通の権利やないか。薬だけ出すのが無理なら病院連れてけ。」
係「病院に連れていく必要ない。」
ぱ「お前、マジでエエ加減にしろ。訴えんぞ。」
係「お前?おーー怖っ。お前やて。怖いわ。」
↑結果、逃げた。
アトピーの件でも留置係と散々格闘しました。
また取調べに行く時、エレベーターの中で公安(女性)が「今日はえらい顔腫れてるけど大丈夫?」って言うてました。取調官にも、黙秘はしつつ、体調や薬の事だけは訴えていました。「アトピーの塗り薬を出せ。無理なら病院連れてけ。あちこち痒くて血が吹き出とる。もう無理。留置係はすぐ逃げるし、話にならん。」
取調官は「留置係に言うとくわ」と言っていたものの、対応ナシ。
顔が腫れてるのを見てるくせに、何もしません。放置です。
結局21日(水)の定期健診まで待たされました。
健診の時、医者にアトピーの事を言い、体などを見せたら、「かゆみ止めの塗り薬を出します」と。しかし、こちらも同じく、「留置場のルールで、使えるのは23日(金)の朝からだ」と。
この頃、ぱぉんはもうだいぶ諦めモードでした。
どれだけ抗議しても全く聞く耳持たん連中に、だいぶ疲れていました。
<人相変わっとるやんけ!事件>
23日(金)の朝、処方された塗り薬を、ヒドかった顔と体に塗りました。
す・る・と。。。
逆にカブれたーーー!…Orz。
特に顔がヒドく、赤く晴れ上がってパンパン。蚊に刺されたみたいにまぶたが腫れ、目が開いていない。掻いた所から少し黄色い汁が出て、つけていたマスクがすぐに汚れる…。
"運動"の時に鏡を見て、自分で自分の顔のヒドさにビックリしました。
再度、「弁護士を呼べ」と要求。
さすがに留置係もヤバイと思ったらしく、私のところに接見に来てくれた弁護士さん全員に連絡した、と。
取調べの事はまた改めて書きますが、ちょうどその土日、取調べがなかったんです(やる気ナシ)。だから取調官には顔を見せる事がなく、「ヒドなってるやんけー!」と抗議する手段がありませんでした。
マジでヤバイと思ったラシイ留置係、私の再三の要求にようやく応え、「病院に連れていく」と言いだしたのは、翌週27日の火曜日でした。
それまで「病院に連れていく必要がない。連れていく段取りができひん。」と拒否し続けていた留置係、さすがに人相が変わるほどヒドくなってる状況は放置できなかった様です。
27日(火)、例の"ますだ似"と女性ポリに連れて行かれた先は、天王寺の近く(推定)にある警察病院。多くの人がいる待合室に、手錠をかけられた状態で待ち、ようやく皮膚科の専門医の診察を受けることができ、そこで飲み薬と塗り薬が出ました。
警察病院で処方された塗り薬で、全身かぶれた症状はあっという間にキレイになりました。
これも結構怖いことで、多分処方された薬はステロイド入りの超キツイ薬だったんだと思います。皮膚科の塗り薬・飲み薬も、これまで何年もかけて一生懸命減らして来たのに、一気に無駄になりました。
それと留置係、なぜか警察病院で出た処方箋だけは私に見せに来ました。
・・・なんで?(°Д°)
<無責任な人たち。ほとんどイジメ。>
留置係やポリの対応は、ホントにヒドかったです。
22日(木)は私の勾留理由開示公判だったのですが、私の意見陳述はその9割が、持病に対応しないヒドい扱いを訴えた内容でした。意見陳述の途中、あまりの対応のヒドさに、悔しくてちょっと泣いてしまった…。けど最後まで頑張って意見を言いました。
裁判長の小野寺くんは、「勾留のことについての意見がないようですが…」と言っていましたが、私は意見陳述の最後に、「本来なら留置場なんかにいる必要がないのに、あまりにも対応が不当すぎる。」と言ったのです。しかも私の意見陳述の後、小野寺くんは「留置場の問題を提議されたということで…」と、私の陳述を"問題提議"として片付けたのです。
彼はちゃんと聞いていたのでしょうか。
そもそも彼には被疑者の意見を聞く耳があるのでしょうか。
薬をめぐる格闘はずっと続いていました。
責任を問い詰め、責任者の名前を聞いても、予想通りの「答えられへん」。「あんたのほうで勝手にニックネームでもつけといて」と。
「責任持って話せる上司を連れて来い」と言っても「おらん」とウソをつく。
本当に信じられない人たちです。
あ、そうそう。
1週間に2~3度(もちろん平日)、布施署長が留置場にやって来ます。
デッカい声で「署長巡視ー!」という号令がかかり、ぞろぞろと部下を引き連れた署長らしき人が入ってきます。留置担当が(多分)並んで敬礼し、「総員何名、異常ありません!」「敬礼!」の大声の後、またぞろぞろと引き返していく、という"署長巡視"という名のナゾの儀式。
・・・責任者、おるやん?
ホント、ポリ署の人間というのは応用というものを知りません。
政治活動をほとんど禁止され、下らないルールに縛られて生きているのでそれも当然といえますが、「こういう時はこうする」というのがあらかじめ決まっていないと、こちらの要求にはほぼ全て「ダメ」だと言います。とにかく「ダメ」だらけ。
警察官や拘置所の職員などというのは、個人で判断して物事を決めることができない体質みたいです。それゆえ、責任の所在もあからさまに不明確で、平気で責任転嫁もします。自分のする事には一切の責任を持たない、無責任極まりない人種がヤツラの実態です。
留置係や拘置所の職員=看守というのはその典型です。
私に対する医療措置は、その後大きな問題に発展したのですが、その際も「後で弁護士さんに個別に問合せしてもらうから名前を教えろ」「責任者は誰や?」「署長に言うたらエエの?」と聞いても、「教えられない」「教える必要がない」の一点張り。
無責任極まりない、卑怯者の集団です。
ただルールを守らせる事、それが一番大事で、ルールの前には人一人の事などおかまいなしです。
拘禁されてた間の生活を振り返ると思うんですけど、男性より女性の方が陰湿な気がします。ほとんどイジメです。信じられない差別用語をフツーに使います。
布施署に留置されていた時も、彼女たちのそうした人権侵害を多く見て来ました。薬のことでやり合ってしばらくしてから、「トイレットペーパーなくなった」って言うても数時間ほったらかしとかw ガキか!w
男性警官、男性職員なんかは、むしろ私とあまり言葉を交わさないように、関わらんようにしてる様な印象を受けました。
セクハラ問題とか色々考えるんでしょうね、怖いんでしょうね、彼らも。
でも女性はホントにヒドかった。
やる事も言う言葉も本当に陰湿で、ジメジメ・ねちねちしてて、少しでも反抗するヤツは人間じゃない、そもそも檻に入れられてる人は人間じゃない、そんな扱いでした。冤罪で檻に閉じ込められている人がいるかも知れないという事、まだ無罪か有罪かもわからない=推定無罪という言葉すら、彼女たちの頭にあるのかギモンでした。
<最後に余談>
警察病院に行く車内、"ますだ似"と女性のポリの会話。
「俺(ますだ似)、今朝から禁煙してる。」
「え~?絶対無理ですよー。」
「今度こそいける。」
「無理無理。だって何年吸ってるんですか?」
「えーと、18ん時やから・・・17年ぐらいかな。」
「えっ・・・未成・・・」
「あ!ちゃうわ、15年ぐらい!」
ますだ似!私の隣であわてて訂正してたけど、遅いで!
ポリが被疑者の前で堂々と「18の時ぐらいから吸ってた」ってバラしてどうする!
お酒とタバコはハタチになってからやでー!!
ちなみに自分で歳もバラしとるで!
・・・また長くなりました。
読んで下さっている方、ごめんなさい。
持病をお持ちの方、ちょっとだけ参考にして下さい。
もちろんパクられんようにするのが一番ですが、今のこのご時世、いつ何時どんな言いがかりでパクられるかもわかりません。
もしパクられてしまった時、持病がある人はどうすればいいか。ちょっとでも参考になれば幸いです。
とにかく何でも諦めずに要求する・抗議することが大事だと痛感しました。
私の場合、何も言わなければそのままアトピーの薬が処方される事もなかっただろうし、そもそも逮捕された日に常備薬がある事を言わなければ、うつ・不眠の薬も出なかっただろうと思います。
布施署の対応は本当にヒドかったです。
しかし実は移送された拘置所の方がもっとヒドいのでした。
拘置所の事は、また改めて書きます。
今回は留置されていた時のノートを見ながらだったので、この文章はまぁまぁの難産でした。
読んで下さってありがとうございます。
また書きます。
ぱぉん、でした。
2013年4月25日(木)
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