関西大弾圧救援会 garekitaiho1113@gmail.com

「大阪駅前街宣」弾圧、がれき説明会弾圧、関電前弾圧、オキュパイ大飯弾圧などの救援について綴ります

なぜ私が 狙い撃ち逮捕・起訴されなくてはならないのか・・(ぱぉん)

2013年09月05日 23時00分31秒 | 11.13がれき説明会弾圧
< 「がれき説明会弾圧」 第1回公判にて >

ぱぉんさん 冒頭陳述 (2013年9月3日 大阪地裁)

はじめに、本日傍聴に来て下さった支援者の皆さまに心からお礼申し上げます。ありがとうございます。今回のこの不当な弾圧による裁判が、一体どのようにして行われ、どのようにして終わるのか、皆さんの目に、耳に、心に、ぜひとも焼き付けて下さい。

私は、3.11の東日本大震災と、福島第一原発の事故直後、環境省が言い出した震災廃棄物の広域処理に対し、最初からオカシイと思い、反対運動に関わってきました。それまで、いわゆる市民運動などとは無縁の生活を送ってきました。この政策のオカシサに気がついた時、私は、被災者のためにも絶対に西日本でのがれき焼却には反対しなくてはならない、そう強く思い、行動してきました。原発事故による避難者が西日本には大勢います。被災地に家族を残したままでいる方々は、少しでも内部被ばくを減らして欲しいと、西日本から安全な食材を送っています。西日本の地域を汚染から守ることこそ、いまだ避難できない原発事故被害者や被災者のためになる、そう確信し、反対してきました。

何よりも、私にはもともとアトピー・アレルギーや混合性うつ障害などの持病があります。あまり体が丈夫でない上、化学薬品にも弱いので、生命の危機を感じたから、だから汚染の拡散・ましてや焼却など、絶対に認められないと反対してきました。

昨年6月、大阪市長の橋下が受け入れを表明したことにより、関西で受け入れる自治体が大阪市だけになったので、大阪市への抗議・要望に1点集中しました。あるジャーナリストの講演会を主催したことがきっかけで、「大阪此花発!STOPがれき 近畿ネットワーク」(以下「此花発」と言います)という団体を立ち上げ、講演会の主催だった私がそのまま代表になりました。

私たち此花発は、議論の結果、毎週火曜日の夕方5時から、大阪市役所前で抗議行動をするようになりました。大阪市が受け入れをやめないので、私たちは9月も10月も11月も、市役所前での抗議行動を重ね、主催のデモも3度行いました。

また、大阪市会へも毎度、大量の陳情書を提出しましたが、議会は反対派全員の声を聞くことなく、大阪市は昨年7月、がれき受け入れに関する補正予算案を可決しました。

その間も、大阪市、大阪府、環境省にあてて、私を含めて、一体どれだけ多くの人が要望書、請願書、質問状を送ったでしょうか。その全てがほぼ無視され、棚上げにされ、中身のない回答に終始しました。

大阪市が開催してきた説明会についても述べておきます。大阪市はこれまで、此花区民や大阪市民に参加を限定した説明会を重ねてきました。どれも周知徹底が全くなされず、反対する私たちが、ろくに広報をしない大阪市の代わりに、自作ビラを配ったり、集会やデモの場でマイクを通して告知をしたり、ネット上で情報を拡散してきました。

近隣の市町村からは何度も「大阪市民に限定する説明会ではなく、対象の幅広い説明会を開催して下さい」という要望が出されましたが、大阪市はそれも無視し、大阪市民以外をずっと排除し続けて、現在に至っています。

私は大阪市が開催した住民説明会には全て行きました。会場の外で、参加される方にチラシを配ったり、抗議をしたりしていました。どんなに説明会を聞きたいと訴えても、最後まで、参加させてもらえませんでした。

11月13日は、試験焼却前の最後の住民説明会でした。大阪市がHPで発表したその日、私はすぐに、これまでと同じように情報を拡散し、あちこちで告知をしました。私はこれまでの説明会には全て行っていたので、11月13日に行かない理由がありませんでした。

当日、現場で会った職員は、これまでと同様、話しかけても逃げるばかりで、話し合いに応じる気配など全くありませんでした。そして、今この裁判にかけられている抗議行動をやりました。誰が言い出したわけでも扇動したわけでもありません。私の行動は常に「ど・フリー」です。この行動の意味は、縦割り社会でしか生きられない方々には理解できないかも知れませんが、私がやっていたのは、大阪市に対する正当な抗議です。それなのに、なぜ逮捕・起訴されなくてはならないのか、全く理解できません。

私たちは誰一人とも傷つけたりしてはいません。むしろ多くの人を今も傷つけているのは誰でしょうか?焼却で日々空気を汚染し、多くの人を市外へと避難させ、洗濯物を外に干すことのできる日常を奪ったのは一体誰でしょうか?暴力をふるっているのは一体誰でしょうか?あいつだと指をさされ、逮捕容疑も告げられず、1人に対し一体何人の警察官で暴力的な「ご指名」逮捕をしたのでしょうか?

私は105日間の勾留ののち、2月25日に保釈されました。勾留中は薬をもらえず、持病が悪化し、自筆で文章が書けなくなり、まともな判断力を失っていました。憲法研究者に「これ以上の勾留は憲法36条が絶対に禁じる拷問だ」という声明を発表してもらったことにより、ようやく保釈が認められました。あのまま勾留が続いていたら、私という人間は殺されていたんじゃないかと、今でもそう思っています。

私は憲法21条に則って、自分の意思を伝え続けてきました。当然の権利です。今まで市民運動とは無縁で、人前に出ると持病の精神的症状が出ることもある私が、それでもこうした行動をやってきたというのには、当然理由があります。それは、明日の被告人質問で、詳しく話すつもりです。

大阪市から説明を聞くことすら排除され、挙句、なぜ私が狙い撃ち逮捕・起訴されなくてはならないのか。私はこの件について、声を大にして、行政と警察・検察の連携による、権力の不当な"弾圧"であると言っておきます。

以上

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