何ヶ月も前ですが、役所に行きました。玄関すぐに窓口があって小さな部屋が見える、そんな部署に用事が。机が5個くらいあったけど、在席者は2人のみ。1名は二十代らしく、もう1名はもしかして定年後の再雇用かもしれない年配者。若者は電話中で私に何度も頭を下げる。年配者は、デスクトップパソコンに夢中。見たことないくらい高速なブラインドタッチ。
いいでしょう、若者よ。担当も順番もあるのだから、待ちましょう。時間に余裕はあるわ。
和やかな気持ちだったけど、あまりに暇なので、年配者のテクニックを鑑賞していた・・・ら。
いや、同じキーを一本指で数分間打っているけど、何をしているのかしら? もしかして、仕事しているふり? そういえば、昼休み直前よねえ。
若者からのごめんね光線が強まる。申し訳ございませんがお待ちくださいと言われているように感じる。これがなければ年配者に声をかけるんだけど。年配者は窓口のごく近く、私にとって最寄りの位置。気が付いていないはずはない。手を休めなくても何か言うもんではないかい?
世の中、過労死した人もいて、その人が払った税金からもあなたの給料は払われているのよ。でも・・・。この年配者みたいなタイプと働いたこともある。だから、若者を気の毒に思う気持ちが勝り、怒りは感じない。・・・というか、なんか、もう、失笑。
これは数年前のことだが。入院中の父の脳細胞を活気付けたかった。梗塞を生き残った神経回路をうまく使えば、その分希望が増えるもの。だから、朝から晩までそばにいたかったけど。病院の決まりで午後だけが面会時間。面会時間めいっぱいを共にできるのでもなかった。看護作業のために退室しなければだめだとか、本人が眠っていてこちらは見ているだけとか。
初めて実感したけど、看護師って個人差が大きいのだ。廊下で男女が騒いでいて、前にもあったし父もうるさがるので注意しに行ったら男性看護師(リーダーと紹介された)が女性看護師の首を抱えようとしていて、互いにはしゃいでいたという・・・。時間があれば父に話しかけたりしてくれたありがたい看護師もいた。この人は他病院から転職してきたばかり。3人で体位交換の際、なんかひと手間かけようとしたら、他の2人が「うちではそれはしないのよ!」とすごんでやめさせていた。
担当看護師さんに指名制があれば、お金が続く限り指名したいよね、と家族で語り合ったものだ。
去年のこと。年に何度か行く喫茶店が変わった。
落ち着く店内で、昼食でもお茶でも、味や料にしては安いし、なんかお腹がほっとする味。そして、何よりも、お店の人達。何度目かで確信したのだが、喫茶店というよりもシティホテルみたいな物腰。でも、恐縮させるものではない、絶妙な感じ。
それが・・・。変わったのだ。味は、作る人が変わったと思う。作る人以外も、なんか、普通の喫茶店になっていた。値段も建物も家具も同じなんだけどね。人なんですよ~。
同じような商品・値段なら、間違いなく感じのいいお店に行く。でも、最終的には値段で選ぶことが多い。残念がながら。だから、サービス向上をあまり強くは言えない。でもね。
同じ仕事でも、人によって違う。
海外旅行ではチップの作法に悩んだけど、チップ社会である国は21世紀でもそうなのでしょうねえ。今なら前向きに取り組める。明らかに良いサービスを受けたら、対価の支払いではなく1票投じるつもりで払えばいいんじゃないでしょうか?
人事評価とか売り上げアップとか、サービスを提供する側が意識する指標はあるけど。同僚の目の前で、サービスを受ける側がはっきり意思表示したらいいと思うんだけど。だって・・・。「お礼の言葉」だけだと社交辞令と思われたり、もともとやる気のない人のうちにはお礼を言われるのとさぼれるのでは後者のメリットが大とみなすタイプが多いのでは?
まあ、現実的には。袖の下めいたりして、うまくいかないか。
・・・と、いうようなことを、「事業仕分け」を報じる番組を見ながら考えた。国立女性教育会館の所長(?)が、蓮舫議員に物言いを一方的だ、と反論する場面を使った局は多い。
この施設やその運営団体のあり方の仕分け結果も根拠も知らないけれど。どんな職場でも、たとえ、「廃止」と判定されるような職場でも、やりがいをみつけてサービスを磨いている人達はいるんだろう(そうでない人達もたっぷりいるんだろうけどさ・・・)。
仮に、存在意義のない職場でも、配置された人によってはできるだけの意義を探したり作ったりして、ベストを尽くす。予算を引っ張ってきてとコネを作って、というのではなくて。訪れた人の使い心地を改善する努力とかね。与えられた業務だけでは不十分なサービスなら、改善する。
学生時代の単発バイトで、封筒にパンフレットを入れるだけの2日間を過ごしたことがある。初日、封筒とパンフレットの壁を見てうんざりしたけど。どうせやるなら1時間前の自分より速く・・・とか、頑張っちゃったよ。つまらないと思っても工夫して、誰より自分のためにやりがいを作ろうとする。人類が環境に適応するには、こういう「自分で洗脳」みたいな行為は役に立ってきたと思うんです。
事業仕分けは、日本が倒産しないための努力なのだから、殺伐としても当然だろう。それは気にしない。
だけど。誰かの仕事のプライドが否定されるのを見るのはつらいな。もちろん、バブル崩壊の20年もの間、民間ではずっとずっと繰り返されてきた出来事である。
政権交替のタイミングもあって、今年の事業仕分け作業では質も量も足りない。だから、来年もみっちり行う必要がある。
来年には完全にやってほしい。こんな、出血が続いているような状態は、さっさと終わってもらいたいよ。
若い世代には多額の借金を負わせることになっているのなら、せめて殺伐とした状況は今の世代でかたをつけるべきなんだ。そして、こういうもののたねはもう蒔かないでくれよ。
・・・と書いていてちらつく疑問がある。
アメリカではまたファンドが活気ついてきた、と前に読んだことがある。サブプライムがこけた今、自然災害の発生を材料にした商品が開発されているとか。彼らが好調な間は、また「景気が良く」なる?
仕事とか社会的地位・評価って何なのだろう。金融商品やその材料の評価分析をする人だけでは財は何も生まれないのに。
まあ。事業仕分けにしろ八ツ場ダムにしろ社会の不思議にしろ。この時代に生まれ合わせたのだから、根気よく付き合おう。・・・って、ほとんど何もしないんだけどさ。次から次に忘れていくより良いと思うの。