輪島市の大火災現場は各局が中継や録画を放送していた。
どの局のリポートでも、まだ焦げ臭い、とのこと。
マスクもメガネもなしに住宅密集地だった現場に立つ彼ら彼女ら。あれは、昔ながらの建築物が多い地域だったから大丈夫だった・・・ということは言えないか?
首都直下地震の話題では、「木密」地域の危険性が指摘されている。今回の輪島市、そして魚沼市の大火災が例に出される。
確かに、ある程度以上に乾燥した木は燃えやすい。住宅密集度が同じでも、新建材の方が防災のためには優れているのだろう。
とはいえ。
新幹線内での放火事件の現場を思い出すと、どうかなあ、と思ってしまうのだ。
「燃えた」でなく「溶けた」と描写したい現場の姿。燃えている間に化学物質が現場に充満したんだろうな、と想像してしまう。
もちろん。
あり得ないけど新幹線が木製だったら、あの車両はもっともっと燃えてしまい犠牲者は増えただろう。
さて、今回の輪島市の火災現場の家々が新建材製ばかりだったら?
延焼まで時間がかかり、あれほどの被害は出なかった?
どうなんだろう。消火活動の開始時刻や能力(何台の消防車が稼働できたのか)によっては、やはり広く延焼したはずだ。
今回は、建材や工法(屋根の瓦がずれて木材部分が露出し、そこに火が移った。・・・という推測する専門家のコメントがあった)といった建築物そのもののだけの問題ではない。地震・津波・道路の遮断といった要素がなければ、通常の消火活動が行われ、あれほどの被害はなかったかもしれない(ただ、魚沼市の火災を思うと、そうもいかない事態もあり得る)。
あの規模の火災で、燃えたのが新建材だったら。
鎮火して時間が経っていてもまだ焦げ臭い・・・ではなく。有毒(程度はわからない)ガスが充満していて目を開けていられない・危険なので専用のマスクを・・・だったろう。
ガスというか化学物質の種類や濃度によっては、周辺の生き物にも被害は及ぶだろうし。長い間ガスが漂っていたかもしれない。
現場にあった自宅跡に来ている方々がインタビューに答えておられた。今日明日の悲しみや不安だけでなく、何ヶ月何年何十年単位の選択や決断やいろいろな感情が控えている。
せめて、来たい場所に来ることができて良かった、と。私は、勝手ながら思う。大事な場所には毒ガスが充満しているから近づけません、というのではなくて良かった。
失われてしまった古い家と古い町並みとは、そういう環境だったのだと思う。
生活と町はどんなふうに再建されていくのか。当事者が納得する結果が得られるよう、見守りたい。