トラカリコン!

「虎・借り・コン!」。虎の威を借りた狐。虎の威を借りて吠える狐が私…。虎が何であるかは、本人にもわからない。

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「はだしのゲン」のこと

2013-08-25 12:28:30 | その他ニュース関連
小学生の時に1冊「見た」。「読んだ」ではない。同級生何人かと一緒に1冊を取り囲んで、ページがめくられる度に「うわー、見て~」と誰かが言ってみんな大騒ぎ。
「読んだ」のは2011年の1月か2月。全巻一気に借りられたので。想像していた話(=広島で被爆したゲン少年が差別に苦しみながら仲間と助け合って元気に生きていく)とは少し違った。
以下、記憶違いもあるかと思いますが。

第2次戦争中の銃後の生活から入る。例えば、日露戦争に従軍した年配者が、ことあるごとに自分達はロシアに勝ったのだからお前達もこの戦争で勝てるはずだ、と主張して止まない(今の日本では、なぜあのような無謀な戦争をしたのか?と研究され続けているというのに)。当時は、年長者に逆らうなんてとんでもないという社会だったろうから、徴兵される年齢層の若者達も言うなりになる場合が多かったろう。怖い怖い。
戦後の被爆者の苦難。全身がぼろぼろの人が近所に忌み嫌われた巻は小学生の時に見た衝撃の方が強い。大人になって見ると、政治が助けてくれたわけではないんだなあ・むしろ住処を壊して道路工事しちゃうんだ、などとしみじみ。そんな中をたくましく生きていくゲン達だが、今の日本では、鉄くずはまだしも糞尿(肥やしの原料)を集めて収入にすることもできないだろうなあと思うと心細くなる。アメリカが被爆者達を研究材料にする話もあって、非常時に国の政治や行政をあてにならない。私ならどうなったろう? 生き抜けたろうか。

議論を呼ぶと思った点は数多く。

戦後の空気がまだ残っていた時代(子供の頃には、銃後で空襲から生き残ったり兵士として人を殺傷した経験を持つ大人達が社会にたくさんいたのだ)に生まれ育ったせいだと思うけど、私には全否定できない事柄。
ゲンの仕返しは荒っぽい。指をくいちぎったり。・・・そういう時代だった?
戦後、洋裁で生計を立てるにあたり、本当は仲間が仕立てたのに外国の有名ブランドのワンピースだと嘘をついて売りまくる。・・・そういうのに騙される方もだめかも。例えば闇市を違反とする法を守っていたら、生き残れない時代だったそうだし。
日本軍が中国で一般市民にまで残虐の限りを尽くす。・・・こういうことがあったのか否かは延々と論争されているが、今こういうのを描いたら「ない」派が黙っちゃいないだろうな。

ゲンのお父さんに始まり、まともな大人は絵を描く職業ばかり(上に書いた、迫害される全身ぼろぼろの人も画学生だったような・・・?)。・・・他の職業ではしっかりした人生観と両立し難いのでしょうか、と私はしょんぼりした。
共産主義は正しい!という主張が作品としてはかけらも否定されない。否定するのはつまらない登場人物ばかり。・・・振れ幅が大きすぎないか?
上の2点は、ゲンの成長につれて変化するのかもしれない。社会の空気を戦争中から描いた作品なので、その移り変わりも反映されるかもしれない。・・・だが、第1部完結後に続くはずだった第2部以降は執筆を断念されてしまった。残念。

世界はひどいもので、どの人にとっても不条理さがある。しかし、生命力と柔軟さ(出会う人と物事に、先入観を持たず・自我を捨てず)を持って生きていこう。そう、父が家族に教えた(と記憶している)ように、麦のようにまっすぐすくすくと。そうしていく中で仲間ができ、助け合い、戦後の社会が作られていく。
総じて、そういう気持ちのいい物語だと思う。


で、このたびの騒ぎだが。

議論をちゃんと追っているわけではないが、おかしなことになっているような。


ある人が松江市(2014.1.5.訂正。訂正前には島根市と書いていました・・・)の教育委員会に「はだしのゲン」が学校の図書室で他の本と同じように読めることに抗議。その結果、教育委員会は閲覧方法を閉架式に切り換えるよう各校に依頼。それについて批判的な報道がされた。
変なのは、図書室の開架棚から撤去する理由が各段階で異なること。

その人は、私の感覚でいうと最近の右翼的な人の見解(例えば、中国で日本軍が残虐行為をした証拠はないのだから、中国が日本に抗議するのも日本が認めるのも誤りである・・・と断言して他を受け付けない)にのっとって、「はだしのゲン」は間違った歴史を伝える危険な作品だから子供にできるだけ読ませたくないと言っている。
松江市(2014.1.5.訂正。訂正前には島根市と書いていました・・・)の教育委員会は、その抗議をきっかけに「はだしのゲン」を読み返した。結果、暴力描写がハードな故に子供閲覧はだめという今の基準(そういう基準が映画などで作られたのは平成に入ってから、つまりゲンが出版されて30年ほど後)にあてはめて閉架式に。報道はこれを受けて、暴力描写残虐描写による制限はこの作品に関してはナンセンスではないか、という話にしている。

今の日本で、松江市(2014.1.5.訂正。訂正前には島根市と書いていました・・・)教育委員会に抗議した人のような考え方の人々・・・歴史修正主義者と呼んでさしつかえないと思う・・・と、そういう人々に反対を唱える人々・・・私はどちらかといえばそうだが・・・の、どちらが多いのかわからないけど(ご本人のブログを部分的に呼んだ限り、ああいう主張をする人は、中国や韓国に攻撃的というのがお決まりのパターンなんだよね・・・。そして、この件に関するコメントに、残虐行為は外国もやっている・今の中国もやっているんだから抗議してください、と回答していた。国内の問題から外国・「異民族」への怒りに目をそらさせるのは、どの国どの時代でも支配者の常套手段ではないか。のらないでおこうよ)。
安倍内閣になって、前者の方が勢いがあるんだろうなとは思っている。また、私が子供だった時代は、後者の方が力があったような気がする。
この度の報道のされ方は、両者の意見へのコメント(マスコミにとってはどちらにつくががたぶん政治的に難しい)を避けるため、意図的に松江市(2014.1.5.訂正。訂正前には島根市と書いていました・・・)教育委員会段階での理由;暴力描写残虐描写によるこの作品への閲覧制限の是非に偏らせている。いや、それとも松江市(2014.1.5.訂正。訂正前には島根市と書いていました・・・)教育委員会のしたたかな戦略なんだろうか? 歴史修正論争ではもつれるけど、表現の自由なら今の日本においては制限に反対する人の方が圧倒的に声が大きい。
歴史修正論争なんて国内外レベルでやっかいなテーマなのだから、それを一公共団体相手にしかけられても困るよ・多くの機関いやマスコミでも見て見ないふりしているのに、と私なら思う。表現の自由の制限にすりかえれば、議論の土俵が広がる。日本中に下駄を預けた松江市(2014.1.5.訂正。訂正前には島根市と書いていました・・・)教育委員会、巧みだ。身を切らせて骨を断つ。嫌みではなく、国際的な交渉に向いているのではないかと思う。

まあ、この件の結末が、話題になったおかげで「はだしのゲン」の売れ行きが良い・読ませたくなかった人は自殺点もいいところだ・・・というのが。しゃれているといえばそうだが、論争の内容から離れてしまって結果オーライというのが、また。
本質的な決着が先送りになる、お馴染みの光景。
だが、この人をあざ笑って緩い空気に浸るのは天に唾すること。いつか本質的な問題に追いつかれる、そんな予感。