待賢門院璋子。1101~1145
璋子(たまこ)が17歳になったので白河法皇は関白の藤原忠実に息子の忠通の妻とするように申し渡した。ところが忠実は評判の悪い璋子との縁談を拒否する。この為、忠実は関白の位を追われているから余程のことである。この一件も後に悲劇を招く要因となる。
そこで、白河法皇は孫である2歳下の鳥羽天皇の中宮とする。鳥羽天皇と璋子の間には6人の皇子・皇女が生まれているので夫婦仲は良かった。しかし法皇と璋子との関係はしばらく続いていたので、始めに生まれた皇子(後の崇徳天皇)が法皇の子であると知ると鳥羽天皇は倒錯した恨みが膨らんでいく。
さらに法皇は璋子の生んだ皇子の成長が待ちきれず、5歳になると鳥羽天皇を退位させ崇徳天皇を即位させる。その6年後に法皇は亡くなった。法皇の死後、今度は上皇となった鳥羽が院政を布くことになる。鳥羽にはどうにもならなかった重石が取れた。鳥羽は白河法皇に位を追われた関白・忠通を復権させる。
そこに若い女が現れる。後の美福門院得子(なりこ)である。鳥羽は若い得子(なりこ)を寵愛し、璋子からの妖しい呪縛から解放されてゆく。そんな宮中の複雑な愛憎劇など若い武士たちには知る由もなかった。
西行(佐藤義清)が北面の武士として鳥羽上皇の院御所に伺侯したのは19歳であり、待賢門院璋子が36歳、崇徳天皇18歳のときであった。御所の庭は満開の桜。廊下を歩く璋子を一目見たときに義清の全身に電気が走った。その匂うばかりの美しさは花の精だろうか、この世のものではない。義清は完全に打ちのめされ心を奪われた。「このお方のためならいつでも死ねる。」そう感じた。
~~さわやか易の見方~~
*** *** 上卦は沢
******** 若い女
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******** 下卦は山
*** *** 若い男
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「沢山咸」の卦。咸は感と同意。感激、感動である。若い男性が若い女性に恋の火花を散らす。
感動や感激は理屈ではない。せよと言われて出来るものでもなく、するなと言われて止めらるものでもない。自然に心が感応するのである。
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