さわやか易

人生も歴史もドラマとして描いております。易の法則とともに考えると現代がかかえる難問題の解決法が見えてきます。(猶興)

枕石寺伝説

2014-04-20 | 名僧たちの求めたもの

枕石寺(茨城県常陸太田市)


親鸞が二人の弟子を連れ常陸(ひたち)の国を布教して歩いていた頃である。寒風の中歩いていると、日も暮れ雪も降ってきた。当たりに民家も見当たらない。どうにか歩いていると、幸いに一軒の家があった。親鸞たちは一夜の宿をお願いすることにした。

「この吹雪の中を難儀しております。廊下の隅になりともお泊め願えませんか。」と頼む。ところが出てきた主人はにべもなく、「汚らしい乞食坊主め、お前らを泊めることは出来んな。」「そう言われても、他にあてはありません。どうか休ませていただけませんか。」重ねてお願いすると、「お前たちは坊主じゃないか。仏道修行するものは、身命を惜しまず野や山に伏すのが当たり前じゃないか。この偽坊主めが、さっさと行ってしまえ!」

仕方なく、親鸞たちは先に行こうとした。しかし、闇夜に一寸先も見えない。そこで門の扉止めの石を枕に休むことにした。寒さは厳しくなるばかり。弟子の一人が「お師匠さま、大丈夫ですか。」と声をかけると親鸞は、先ほどから作っていた歌を詠んだ。
「寒くとも 袂に入れよ 西の風 弥陀の国より 吹くと思えば」

一方、家の主人である。名を日野左衛門という。かつては京の御所を守る文武に優れた武士であった。しかし傲慢な性格が災いし、やがて罪を着せられこの地に流されていた。しかし観音菩薩を座敷に安置し信仰は深かかったと見える。親鸞たちを追い返した左衛門は寝床に入って休んでいた。

夜中に左衛門の夢枕に聖徳太子が現れ、『左衛門よ、悲しきは汝のあさましさよ。先にきたり給える僧侶はただの僧侶ではない。阿弥陀仏の本願、他力の念仏の御教えを聞き逃したくなければ、鄭重にお迎えし、尊敬おこたるなかれ!』

左衛門は驚いて飛び起きた。すると傍らの寝床には同じ夢を見て起きた妻がいた。夫婦は互いに今見た夢の話をすると、松明を照らし急いで外に出た。するとかすかに門の外に念仏の声が聞こえてきた。左衛門夫婦は声を震わせ「何と無慈悲なことをしたものか。申し訳もありません。」平に謝り家の中に招じ入れた。

親鸞は左衛門に請われるままに、阿弥陀仏の本願、他力の念仏の御教えを懇ろに語った。左衛門夫婦は熱心に聞き入り、たちどころに信心を獲得し、無二の念仏者になった。そして速やかに親鸞のお弟子になることを願い出ると、親鸞は快く受け入れた。左衛門に入西房道円という法名を授ける。後に親鸞の高弟・二十四輩となった入西房道円がこの地に建てたのが枕石寺である。

~~さわやか易の見方~~

******** 上卦は山
***  *** 動かぬもの
***  ***
***  *** 下卦は水
******** 困難、悩み
***  ***


「山水蒙」の卦。蒙とはつる草が蔽い茂る様をいう。人間でいえば無知蒙昧の状態。無知なるものをいかに啓発してゆくかである。誰にでも明るい未来はあるものの、無知なるものはよき指導者につかねばならない。

各地に寺があるが、寺にはそれぞれ建立の歴史がある。寺に参拝するときは、その建立の歴史を知った上で参拝したいものである。

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