枕石寺(茨城県常陸太田市)
親鸞が二人の弟子を連れ常陸(ひたち)の国を布教して歩いていた頃である。寒風の中歩いていると、日も暮れ雪も降ってきた。当たりに民家も見当たらない。どうにか歩いていると、幸いに一軒の家があった。親鸞たちは一夜の宿をお願いすることにした。
「この吹雪の中を難儀しております。廊下の隅になりともお泊め願えませんか。」と頼む。ところが出てきた主人はにべもなく、「汚らしい乞食坊主め、お前らを泊めることは出来んな。」「そう言われても、他にあてはありません。どうか休ませていただけませんか。」重ねてお願いすると、「お前たちは坊主じゃないか。仏道修行するものは、身命を惜しまず野や山に伏すのが当たり前じゃないか。この偽坊主めが、さっさと行ってしまえ!」
仕方なく、親鸞たちは先に行こうとした。しかし、闇夜に一寸先も見えない。そこで門の扉止めの石を枕に休むことにした。寒さは厳しくなるばかり。弟子の一人が「お師匠さま、大丈夫ですか。」と声をかけると親鸞は、先ほどから作っていた歌を詠んだ。
「寒くとも 袂に入れよ 西の風 弥陀の国より 吹くと思えば」
一方、家の主人である。名を日野左衛門という。かつては京の御所を守る文武に優れた武士であった。しかし傲慢な性格が災いし、やがて罪を着せられこの地に流されていた。しかし観音菩薩を座敷に安置し信仰は深かかったと見える。親鸞たちを追い返した左衛門は寝床に入って休んでいた。
夜中に左衛門の夢枕に聖徳太子が現れ、『左衛門よ、悲しきは汝のあさましさよ。先にきたり給える僧侶はただの僧侶ではない。阿弥陀仏の本願、他力の念仏の御教えを聞き逃したくなければ、鄭重にお迎えし、尊敬おこたるなかれ!』
左衛門は驚いて飛び起きた。すると傍らの寝床には同じ夢を見て起きた妻がいた。夫婦は互いに今見た夢の話をすると、松明を照らし急いで外に出た。するとかすかに門の外に念仏の声が聞こえてきた。左衛門夫婦は声を震わせ「何と無慈悲なことをしたものか。申し訳もありません。」平に謝り家の中に招じ入れた。
親鸞は左衛門に請われるままに、阿弥陀仏の本願、他力の念仏の御教えを懇ろに語った。左衛門夫婦は熱心に聞き入り、たちどころに信心を獲得し、無二の念仏者になった。そして速やかに親鸞のお弟子になることを願い出ると、親鸞は快く受け入れた。左衛門に入西房道円という法名を授ける。後に親鸞の高弟・二十四輩となった入西房道円がこの地に建てたのが枕石寺である。
~~さわやか易の見方~~
******** 上卦は山
*** *** 動かぬもの
*** ***
*** *** 下卦は水
******** 困難、悩み
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「山水蒙」の卦。蒙とはつる草が蔽い茂る様をいう。人間でいえば無知蒙昧の状態。無知なるものをいかに啓発してゆくかである。誰にでも明るい未来はあるものの、無知なるものはよき指導者につかねばならない。
各地に寺があるが、寺にはそれぞれ建立の歴史がある。寺に参拝するときは、その建立の歴史を知った上で参拝したいものである。
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