さわやか易

人生も歴史もドラマとして描いております。易の法則とともに考えると現代がかかえる難問題の解決法が見えてきます。(猶興)

悲劇の崇徳上皇

2014-04-20 | 名僧たちの求めたもの

怨霊となる崇徳上皇(歌川芳艶画)


その後上皇は四国の讃岐へ流罪となる。讃岐での孤独な生活に耐えながら上皇は血書にて写経に取り掛かる。3年間を費やして「五部大乗経」を書き上げると弟の覚性法親王を介して宮中の後白河天皇に届けようとした。ところが権力を握っていた信西入道が天皇にも見せずに送り返してしまう。

上皇は激怒され、一切の望みを断ち切る。それからは髪も切らず爪も切らず、生きながら天狗のような姿となった。血書の経巻に向かって「これよりのちは三悪道に抛げ籠み、其の力を以て、日本中の大魔縁となり、皇を取って民となし、民を皇となさん。」という祈請を立て、舌の先を食い切って流れる血を以て「大乗経」の奥に書きつけ、海の底に沈められたという。

保元の乱から8年後、上皇は46歳で崩御された。火葬された煙は都を指して流れ、人々を恐怖に陥れた。歴代天皇の中でこれほど無残な死を遂げた人はいない。このドラマの基である紀野一義先生の「名僧列伝」には「世にもたぐいまれな美しい人が、世にもたぐいまれな権力者の胸に抱かれて宿したこの運命の人は、日本最高の地位にのぼり、やがて没落し、流行く孤舟となってこの松山の地に至り、一片の煙となった。」とある。

上皇が亡くなって4年後、51歳の西行は讃岐を訪ねている。小さな土饅頭を盛り上げただけの粗末な墓に手を合わせた。人の世の栄枯盛衰を見届けた西行の胸中はいかがであっただろうか。西行は一晩中読経を続けた。(仏の世界では宮中の玉の床も、草の床も同じではないでしょうか。上皇さま、どうか安らかにお眠り下さい。)
よしや君昔の玉の床とても かからん後は何にかはせん

~~さわやか易の見方~~

***  *** 上卦は地
***  *** 大地、暗黒
***  ***
******** 下卦は火
***  *** 太陽、文明、文化
********


「地火明夷」の卦。明夷(めいい)とは明が夷(やぶ)れる。明るいものが傷つき敗れるである。太陽が暗黒の地に沈む象。世の中が暗黒の時代に入ることを意味する。こんな時はあわてて局面打開をはかろうとしてはいけない。じっと耐え忍び、内面の実力を磨くことである。

この時代から王政は表舞台から裏の存在になっていく。王政が復古するのは実に700年の後である。明治天皇は即位する前に、崇徳天皇の御霊を京都に帰還させ白峯神宮を創建した。天皇家にとって長い長い夜が続いた。

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