モナリザを母にしようプロジェクト

モナリザを聖なる母にしようという
プロジェクトを立ち上げました。

モナリザ盗難事件の真相 ※転写です。

2015-06-23 08:53:34 | 日記

 フジTV「アンビリバボー」2004年11月18日放送分『モナ・リザが盗まれた』より

※続きです。

その人物はイヴ・ショドロンという男で、マルケスに年代物の家具をいくつも集めるように伝えていた。マルケスはモナ・リザ盗難と別にもう一つの計画を進めており、二つが揃って初めて完結する計画だった。
 盗難の数ヶ月前、マルケスはモナ・リザに関心のある金持ちをアメリカから
ルーブルに呼び寄せた。そして絵の前から人がいなくなると、マルケスは額縁
を少し持ち上げ、裏に印をつけさせた。それには重大な意味があった。
 1911年8月20日(日)午後3時。盗難計画が決行された。ペルージャとその
友人のランチェロッティ兄弟が実行役だ。3人は観光客にまぎれ、モナ・リザ
の前に集結。モナ・リザが展示されている部屋の横にある部屋が目標だった。
観光客がいなくなると、部屋の片隅のある場所に忍び込んだ。
 ルーブルは館内で絵を描く自由を認めており、そこはそんな人々の画材道具
を預かる小さな倉庫だった。日曜日は混雑するために絵を描くことが許されて
いなかったため、倉庫に用事のある者は誰もおらず、月曜日の休館日を挟んで
火曜日の朝まで誰も来ない場所だ。

 忍び込んだ3人はそこで休館日・月曜日の朝まで待ち、持ち込んだ作業員の
服を着込んだ。午前6時30分、一週間分の損傷を修復する電気技師や大工、清
掃員などの職人がやってきた。彼らはみな同じ作業服を着ていた。彼らは身分
証明書を持っておらず、作業服がその替わりだった。3人もその作業服に身を
包み、誰にも怪しまれることなく倉庫を抜け出した。
 午前7時、清掃をするふりをして3人はモナ・リザを壁からおろした。休館
日は作品が一日中あちこちに動かされるので、怪しまれずにすむ。マルケスは
休館日の内部事情を調べ尽くしていた。モナ・リザは板のキャンパスに描かれ
ており、ペルージャはいとも簡単に額から絵を取り外した。休館日は警備も手
薄で、普段は百人いるところが10人しか警備員が配備されていない。この事も
マルケスは知っていた。
 出入口の警備員がいなくなった隙に、3人はモナ・リザを持って外に脱出、
午前8時に計画は成功した。モナ・リザ盗難のニュースは世界中に衝撃を与え
たが、これはマルケスの計画にとってお膳立てに過ぎなかった。

モナリザ盗難事件の真相

2015-06-23 08:36:48 | 日記

以前にも、ブログで書いた事があるが、モナリザは、かって天才贋作者イブ・ショドロンにより、6枚の贋作が制作された。
詐欺師マイケルが、ショドロンと手を組み、巧妙な手口で、貴族に売られた、モナリザ(贋作)の総額は、40億円というのは、知る人ぞ知る、話である。

モナリザを盗んだ実行犯は、ルーブルでガラスケースの工事を行ったという、大工、。ヴェンチェンツォ・ペルージャだった。

 フジTV「アンビリバボー」2004年11月18日放送分『モナ・リザが盗まれた』
にて、この一連の内容が取り上げられ放送されたらしい。
私は番組を観ていないが、この放送の詳細が纏めて書かれてある文章を、ネットで見つけた。

※以下転写文です。

 かつてあの名画モナ・リザが盗まれた。美術館に出入りしていた職人による
単独犯ということが定説だったが、実はこの盗難事件の裏には巨額の詐欺事件
が隠されていた。その事実を突き止めたのは、ニューヨーク在住のエドミー・
ライトさんの夫でルポライターのセイモアさん。彼は3年前に亡くなったが、
7年かけてこの事件を綿密に調査し黒幕の存在を突き止めただけでなく、事件
の全貌を明らかにしたのだ。
 1910年10月、モナ・リザが盗まれる1年ほど前のパリ。ヴェンチェンツォ・
ペルージャ(32歳)はイタリア出身の貧しいガラス職人で労働者の集まるカフェ
で酒を飲んでいた。すると、そこには不釣り合いなきちんとした身なりの男性
がペルージャに声をかけ、ルーブル美術館の防護ガラスについて話し始めた。
 その頃ルーブルでは、絵画に硫酸を浴びせたり傷を付けたりする事件が相次
いでおり、額縁に防護ガラスを付けることが決定していた。ペルージャはその
防護ガラスを取り付けるためにルーブルに出入りしていたのだ。
 すると男は秘密厳守と絶対服従を条件に、職人では一生手にできない大金を
やると計画を話し始めた。この男こそ、モナ・リザ盗難事件の黒幕・マルケス
・ヴァルフィエルノだった。
 その数日前、マルケスはルーブルを見物して計画を練っていた。そして出入
りしている職人なら怪しまれずに内部事情を探れるだろうと思いつく。ペルー
ジャは打ってつけの人物だった。さらにマルケスは、芸術家の集まるモンマル
トルでも、ある人物に接触していた。
 

ミトラ(王冠)を被ったモナ・リザ

2015-06-20 20:36:53 | 日記

私が購入したトランプ(教皇冠を被ったモナ・リザの絵が描いてある)は、
単に教皇冠ではなく、
ミトラ(宝冠)だったってのが、最近分かりました。


やっぱり、私の勘は当たってたかも?

現代に至るまで、イタリアとかでは、モナ・リザの研究は、かなり進んでいたと思われます。

しかし、研究結果は、
宗教上のタブーとかあるゆえに
真実を公に出来なかったんですよね。

モナ・リザは、「母をモデルとして描かれたものであり、宗教画である」ってのが、真実の解釈だったのに、キリスト教に反する内容が描かれていた為、宗教画として扱われることが許されず、一個人の肖像画として扱われたんですよね。

私が購入した、トランプは
真実を知っている人が作った
「風刺画」だったわけですよね?

キリスト教の教皇冠を被ったモナ・
リザ。

それもミトラ(王冠)

何故か男性っぽい顔立ちをしていて、反対方向を向いている。

トランプの箱

モナ・リザの裏側のデザインは、
「リッタの聖母」だった。

ここにも、隠蔽された秘密があった。




最初の一書きはモナ・リザでも最後の一筆は母の微笑みだった

2015-06-20 19:54:58 | 日記

※ある日のブログ、内容を一部変え投稿します。


仮にダ・ヴィンチが
ジョコンダという女性から、強烈なインスピレーションを受けたとしても
ダ・ヴィンチが描いたのは紛れもなく
体はリッタの聖母(カテリーナを思い出しながら描いた絵)であり
顔はダ・ヴィンチ自身であるのだから、、、



仮に最初の一書きは、モナ・リザだとしても、最後の一筆は母(カテリーナとダ・ヴィンチが融合した女性)の微笑みだったのだから



あの時、
モナ・リザに
『来世の母』というサブタイトルを付けてあげて下さいと
ルーブル美術館の館長さん宛てに
手紙を書こうと思った。


あの時、
私に、ちゃんとした英語力さえあれば、きっと手紙を書いていたんだろうな。



上記ブログを書いて、数年後、
最近の独り言。


ふぅ~(深いため息)

モナリザも、はやし氏の精査とやらにかかった。(>_<)

ついに
男にされてしまったか。

はぁ~(深いため息)


まぁ、ダ・ヴィンチの要素はあるにはあり、私も認めてるんだけど。
身体は、カテリーナだもんね。(^_^;)


ブログを書きはじめた理由

2015-06-20 19:41:26 | 日記

※以前書いたブログを転写します。

タイトル

「ブログを書きはじめた理由」

2014.07.25

こんな話をしても、誰も信じて頂けないかもしれませんが
偉大なる芸術家の魂(ダ・ヴィンチの霊魂)から聞いた
「モナリザ」の真実のタイトルは
「来世の母」でした。
レオナルドは、来世で再び、カテリーナの魂に出会えることを祈りました。不遇な幼少期の自分を嘆き、「来世の母」を描くことにより慰められました。今生は、母の温もりを知らずに育った子供時代、その切ない感情を大人になっても、ずっとレオナルドは引きずっていたのです。母を看取って、何年か経過した後、モデルとして目の前に現れた、ジョコンダ夫人に、亡き母の面影を感じ、目の前にいる彼女を描く事か出来なかった、、、。
依頼された物を製作することなど、どうでもよくなったレオナルドは、自分自身の為に、一つの作品を作りあげることに、没頭したのです。
レオナルドが、その絵に
自身が付けていたタイトルは
「来世の母」でした。
だから、モナリザじゃない。
絶対に、モナリザじゃない。
あの絵は、リザ夫人を描いた作品ではないのだから
「モナリザ」というタイトルは、根本的に間違っています。
しかしながら、
「モナリザ」というタイトルは、作品と共に、価値あるブランドみたいになっているから、
私の主張は、なんてちっぽけ
なんだろって、、、
何度、悩んだことだろう?
いくら偽りのタイトルでも、「モナリザ」は揺るぎようがないタイトルになっているから
私は、『モナリザにサブタイトルを付けるよう、ルーブル美術館に働きかけよう』と思った
その為に、沢山
モナリザはモナリザじゃないんだって、証拠集めをしょう!!
それが、このブログを書きはじめるきっかけだったのです。
今更ですが、これが、ブログを書かせて頂くようになった理由です。