フジTV「アンビリバボー」2004年11月18日放送分『モナ・リザが盗まれた』より
※続きです。
その人物はイヴ・ショドロンという男で、マルケスに年代物の家具をいくつも集めるように伝えていた。マルケスはモナ・リザ盗難と別にもう一つの計画を進めており、二つが揃って初めて完結する計画だった。
盗難の数ヶ月前、マルケスはモナ・リザに関心のある金持ちをアメリカから
ルーブルに呼び寄せた。そして絵の前から人がいなくなると、マルケスは額縁
を少し持ち上げ、裏に印をつけさせた。それには重大な意味があった。
1911年8月20日(日)午後3時。盗難計画が決行された。ペルージャとその
友人のランチェロッティ兄弟が実行役だ。3人は観光客にまぎれ、モナ・リザ
の前に集結。モナ・リザが展示されている部屋の横にある部屋が目標だった。
観光客がいなくなると、部屋の片隅のある場所に忍び込んだ。
ルーブルは館内で絵を描く自由を認めており、そこはそんな人々の画材道具
を預かる小さな倉庫だった。日曜日は混雑するために絵を描くことが許されて
いなかったため、倉庫に用事のある者は誰もおらず、月曜日の休館日を挟んで
火曜日の朝まで誰も来ない場所だ。
忍び込んだ3人はそこで休館日・月曜日の朝まで待ち、持ち込んだ作業員の
服を着込んだ。午前6時30分、一週間分の損傷を修復する電気技師や大工、清
掃員などの職人がやってきた。彼らはみな同じ作業服を着ていた。彼らは身分
証明書を持っておらず、作業服がその替わりだった。3人もその作業服に身を
包み、誰にも怪しまれることなく倉庫を抜け出した。
午前7時、清掃をするふりをして3人はモナ・リザを壁からおろした。休館
日は作品が一日中あちこちに動かされるので、怪しまれずにすむ。マルケスは
休館日の内部事情を調べ尽くしていた。モナ・リザは板のキャンパスに描かれ
ており、ペルージャはいとも簡単に額から絵を取り外した。休館日は警備も手
薄で、普段は百人いるところが10人しか警備員が配備されていない。この事も
マルケスは知っていた。
出入口の警備員がいなくなった隙に、3人はモナ・リザを持って外に脱出、
午前8時に計画は成功した。モナ・リザ盗難のニュースは世界中に衝撃を与え
たが、これはマルケスの計画にとってお膳立てに過ぎなかった。