モナリザを母にしようプロジェクト

モナリザを聖なる母にしようという
プロジェクトを立ち上げました。

あれから5ヶ月

2015-06-26 22:07:54 | 日記
5ヶ月前の私、その時の精神状態と愚痴をブログにしました。


タイトル

「何か泣きたくなってくる。」
2015.01.22

実名だします。すみません。
はやし浩司さんの、ダ・ヴィンチ関連の動画観ると、泣きたくなってくる。
泣きたくなるけど、悔しいから泣きません。
悔しくて腹立たしくてたまりません。
あれも違う、これも違う、あれの真実はああで、これの本来の意味はこうでと、頭のなかで一つ一つ反論しているけど、あちらの力が強すぎて、正論が伝わりません。真実が世の中に届きません。
何か、めちゃくちゃ疲れました。
あの人は一体何をしようとしているんだろ?
エイリアン関係、古代文明等では、もしかしたらそうかも?って引き込まれた時期もあったけど、ダ・ヴィンチ関係は、まるで出鱈目。
あの人の動画のせいで、気分悪くなり体調崩しました。
大事な貴重品、落としました。
腹が立って腹が立ってしょうがなくて、私生活が、うまくまわりません(;_;)
愚痴いっぱい、ごめんなさい(>_<)
これから先、どうなるんだろ?魂がくもり、私の第三の目も塞がりました。
でも、なんとか立ち直らなきゃですね。


アイルワースのモナリザについての考察

2015-06-24 15:25:02 | 日記

2013年6月10日 9:56

Gree日記より


(※本日、新たな内容を少し追加)


モナリザ新たなるタイトルに向けてというブログに投稿しましたが数日後、突然文字化けしました。

運良く、送信履歴に文章が残っていた為、Greeで日記を書くことが出来ました。



5月22日、投稿タイトル、「アイルワースのモナリザ考察いろいろ」


パスカル・コット氏が復元した、モナリザの500年前の画像にて、モナリザの洋服の袖の色は、綺麗な赤茶色だったね。プラドのモナリザの服の袖の色は、更に赤みが強いね。

アイルワースのモナリザの服の袖は、本物を観ていないから何とも言えないけど、あまり赤みが感じられない褐色だね。

やっぱり、あの絵は、割と新しい絵だと思う。

イヴ・ショドロン(名前、間違っていたら、ごめんなさい)は、古い画材を、必死になって探していたよね?

1911年頃に描かれた絵だとしたら、全てに辻褄があう?

天才的贋作者イヴ・ショドロンは、古い画材を
懸命に探していた。イヴ・ショドロンが関わったものだと仮定したら、科学的には、当然、測定値が古い年代のものだと判明される。

髪を覆うベールのディテール写し損ねも、経年劣化のモナリザを前に贋作されたものだとしたら、繊細なタッチで、描けるわけがない。

モナリザには、元々は柱があったのではないかという論議は度々なされ、ルーブル美術館に正式な調査を依頼したくらい、その論議が活発な時代があったのは、歴史的に、皆周知すること。
あのように強調された柱を描くことは、逆に嘘っぽい絵のように感じる。


唇は確かに、ほんのり紅いが、全体的に、モノトーンで暗めの色彩の絵のにて唇だけ、ヴァザーリの書物を意識したように、紅をさしたような姿に、違和感を感じるのは私だけだろうか?


背景が単調なのは、やっぱり、描く時間が足りなかった為だよね。


ルーブルのモナリザの背景は複雑過ぎる。

だから、作者は
フィリップ・ド・シャンパーニュのモナリザの模写の背景を真似た。


犯行の狙い目は、ルーブル美術館にモナリザの絵が盗まれていた期間


ルーブル美術館にモナリザ不在の時期に、売買されなきゃ意味がない?


ルーブルにモナリザなき時期に、「ダ・ヴィンチが描いた、もう一枚のモナリザが実はあるんです」
なんて話に、お金持ちの貴族なら、飛びつくかもしれないって思うのは私だけだろうか?




モナリザ盗難事件の真相 ※転写です。

2015-06-23 09:12:49 | 日記

 フジTV「アンビリバボー」2004年11月18日放送分『モナ・リザが盗まれた』より

※続きです。


 だが、金を要求したことや犯行の手口、共犯者のことを問い詰められると、
ついにランチェロッティ兄弟のことを洩らす。だが兄弟は聴取でペルージャが
盗難をしたことは知っていたが、盗みに手は貸していないと訴えたのだ。多く
のイタリア人が、モナ・リザはイタリアに返還されるべきと考えていたので、
ペルージャの行動は好意的に迎えられたという。
 こうして1914年1月、モナ・リザはイタリアからフランスに返還され、ペル
ージャには7ヶ月の禁固刑が言い渡された。単独犯とされ、他に裁かれた者は
いない。釈放後に彼は田舎に戻って結婚し、身を落ち着けたという。
 モロッコでペルージャのことを知ったマルケスは、自分の名前も身分も明か
していなかったので、逮捕される心配はしていなかった。だが、完璧な計画の
名誉が傷つけられた気がした。そこでアメリカの親しい友人で新聞記者のカー
ル・デッカーに事件の真相を告げた。ただし自分が生きている間は絶対に公表
しないことを約束させた。
 その17年後の1931年にマルケスが亡くなると、1年後の1932年、デッカーは
サタデーイブニングポスト誌に真相を記事として発表する。しかし当時人々は
世界的な不況に苦しんでおり、20年前の事件を書いたこの記事に注目する余裕
はなく、埋もれてしまった。この記事の存在をつきとめ、さらに綿密な調査を
加えた結果を改めて発表したのがセイモアさんだったのだ。彼の著作の題名は
「モナ・リザが盗まれた日」。
 しかしマルケスはデッカーの記事以外、自らの痕跡を見事に残さなかった。
彼の片腕だった贋作画家・ショドロンも同様だった。また、だました金持ちに
ついても明かさなかったので偽物のモナ・リザの行方もわからない。ルーブル
美術館は、モナ・リザの盗難に関しては一切の取材を拒否している。現在では
モナ・リザは、当時と比べものにならないほどの厳重さで守られている。




モナリザ盗難事件の真相 ※転写です。

2015-06-23 09:05:06 | 日記

 フジTV「アンビリバボー」2004年11月18日放送分『モナ・リザが盗まれた』より

※続きです。


絵の裏には、その男がルーブルで自らつけた印、自分のサインが確かに書かれていた。一体どういう事なのか。実はここに天才的な策略が隠されていた。
盗難の数ヶ月前、ショドロンは古い家具を利用してある事を行っていた。実は
ショドロンは天才的な贋作画家で、マルケスにモナ・リザの贋作制作を依頼さ
れていた。古い家具を集めるように伝えていたのは、その背板をキャンパスとして利用するためだった。古い板に描くことで、より本物に近づけようとしたのだ。
 こうして仕上げた偽物を、館内で絵を描くことが許されていたことを利用し
持ち込み、人目につかないチャンスを狙って本物の裏側に仕込んだのだ。
 つまり、マルケスがルーブルに呼び寄せた金持ちは、裏に仕込まれた贋作に
サインをしていたことになる。素人であることから信用し、偽のモナ・リザに
大金を払ったのである。実はマルケスがこうして騙した金持ちは一人だけでは
なかった。贋作は6枚も作られていた。1枚の本物を売るより偽物を多く売っ
た方がより大金を稼ぐことができるのだ。
 マルケスの計画は大成功、実際に彼がいくら手にしたかは伝わらないのだが
推測では現在の金額で40億円近い大金を騙し取ったという。しかし最後に彼はミスを犯した。大金を手にしたマルケスはモロッコのリゾートで骨休めをしていたのだが、気のゆるみからペルージャへの連絡を怠ってしまった。
 盗み出したモナ・リザは時期を見て、ルーブルに返却するつもりでいたマル
ケス。そうすれば警察を出し抜いた上で全てが丸く収まる。マルケスは利益も上げ、美術館も安堵する。さらにカモとなった金持ちにはルーブルはフランスの面目を保つために偽物の替え玉を飾っている、と話すつもりだった。
 ところが1912年秋、ペルージャはマルケスが手を汚さずにさらに連絡もしてこないことに腹を立て、イタリアの画商、アルフレード・ジェリに接触して、
モナ・リザを売りつけようとした。そして警察に通報されあっけなく逮捕され
イタリアで裁かれることになったのだ。

モナリザ盗難事件の真相 ※転写です。

2015-06-23 08:58:30 | 日記

 フジTV「アンビリバボー」2004年11月18日放送分『モナ・リザが盗まれた』より

※続きです。


 忍び込んだ3人はそこで休館日・月曜日の朝まで待ち、持ち込んだ作業員の
服を着込んだ。午前6時30分、一週間分の損傷を修復する電気技師や大工、清
掃員などの職人がやってきた。彼らはみな同じ作業服を着ていた。彼らは身分
証明書を持っておらず、作業服がその替わりだった。3人もその作業服に身を
包み、誰にも怪しまれることなく倉庫を抜け出した。
 午前7時、清掃をするふりをして3人はモナ・リザを壁からおろした。休館
日は作品が一日中あちこちに動かされるので、怪しまれずにすむ。マルケスは
休館日の内部事情を調べ尽くしていた。モナ・リザは板のキャンパスに描かれ
ており、ペルージャはいとも簡単に額から絵を取り外した。休館日は警備も手
薄で、普段は百人いるところが10人しか警備員が配備されていない。この事も
マルケスは知っていた。
 出入口の警備員がいなくなった隙に、3人はモナ・リザを持って外に脱出、
午前8時に計画は成功した。モナ・リザ盗難のニュースは世界中に衝撃を与え
たが、これはマルケスの計画にとってお膳立てに過ぎなかった。盗んだモナ・
リザは共犯者・ランチェロッティ兄弟の愛人の部屋に隠された。マルケスは、
残りはまた次回と言ってペルージャに約束の金を支払った。ルーブルで働いて
いるために警察の調査が入るだろうから、それが終わったらモナ・リザを自分
の部屋で大切に保管するように、とマルケスは言った。
 マルケスは、ペルージャに名前も身元も明かしていなかった。自分を親方と
呼ばせ、連絡も自分が必要な時だけ自分から取っていたのだ。マルケスの予想
通り、ペルージャも警察の取り調べを受けたが無難に乗り切り潔白とされた。
そして言いつけ通り、モナ・リザを自分の部屋に持ってきて保管した。その頃
マルケスは、もう一つの計画を実行するためにパリからニューヨークに渡って
いた。
 盗難の数ヶ月後のニューヨークにて、マルケスは、盗難の少し前にアメリカ
からルーブルに呼び出した金持ちの男に会っていた。男は大金と交換にマルケ
スからあるものを受け取る。モナ・リザだった。だがモナ・リザはペルージャ
が自分の部屋で保管しているはずだ。本物かどうか疑う男に、マルケスは裏を
見るように言った。