モナリザを母にしようプロジェクト

モナリザを聖なる母にしようという
プロジェクトを立ち上げました。

一角獣の、謎について TVでは、本当の内容を報道しない。

2015-11-27 20:06:55 | 日記
★ある日のブログ、転写します★

やはり、TVでは、本当の内容を報道しないのだと、つくづく思いました。
テレビ東京の番組は、観ていませんが、粗筋を読み、おかしな点を見つけました。

※テレビを観られた方の情報を転写します。

一角獣にはどんな意味があるのでしょうか。一角獣は清らかな心を持った女性のみが手なづけることが出来るとされてきました。つまり純潔の象徴なのです。「一角獣を抱く貴婦人」はおそらく女性の結婚祝いのために描かれた作品だと思われます。

※転写終わります。


おそらく女性の結婚祝いのために描かれた作品というのは、本当なのでしょうか?
このような、あり得ない姿(あり得ない大きさ)の一角獣をラファエロが、結婚祝いに描いたとは、思えませんよね?
グリーで知り合いになったグリ友さんにも、教えて頂いていた内容ですが、きちんと研究されている方の情報も、見つけました。
実は、専門家の研究の結果によると、
ラファエロは、元々、犬または子羊のような小動物を描いていたそうなんです。
それが、後に一角獣に描き変えられたそうです。
専門家の方は、パトロンの支持により、ラファエロが絵を描き変えたのでは?と分析されていました。
ある日、絵にあまり詳しくない、私の友人が、「一角獣を抱く貴婦人」の絵を観た感想を話してくれました。
(絵に対して、あまり詳しくない方のほうが、
時として、素直で率直な感想が聞けるので、ありがたいです。)
「この一角獣、めちゃくちゃ変だよね。羊のような動物に、角は、とってつけたように描かれていて、無理やり一角獣にさせられたように見えるよ!」
ふむ。ふむ。
やはり、友人の勘は当たっていそうです。
ラファエロは、元々は、一角獣を描いていなくて、後で一角獣に描き変えたという、専門家の分析とも
合っています。

レンブラントさん ※続きの文章

2015-11-12 15:23:47 | 日記


昨年末頃より、様々な記憶が、繋がった時、レンブラントのことも調べていた。
フェルメールの家とレンブラントの家は、案外と近かった。(地図で見ると近く感じたが、実際のところはどうか?オランダに行ったことがないので不明)
レンブラントさんは、私のことを、覚えてくれていたのだろうか?嬉しくて、嬉しくて 感動して
その場を離れ
別の展示作品を観ても
涙が暫く
止まらなかった。
ようやく
涙が止まった頃に
フェルメールの
『レースを編む女』が
目の前に現れた。
感動して…またまた泣いてしまった。
『レースを編む女』は、小品の多いフェルメールのなかでも小さい部類に入る。
小さな作品ではあったが、存在感は、たっぷりで、ひときわ 輝いていた。
逆に小さな作品であるからこそ…
小さな宝石箱の中身を観るような感覚となり
心を奪われる。
『レースを編む女』は、その完成度の高さゆえ代表作のひとつに数えられる珠玉の1点である。
緻密な描き方の中にも、赤と白の糸の部分は、絵の具をそのまま垂らしたのではないか?と思わせるような斬新な描き方をしていた。
完璧な作品!!
私は、京都まで来て本当に良かったと思った。
フェルメールの作品以外でも、素晴らしい作品 は数多くあり
絵画を堪能することが出来て
本当に良かった。





レンブラントさん

2015-11-12 15:16:34 | 日記

ある日のブログを転写します。

当時のタイトル

「新月の日の奇跡」

2009年9月、シルバーウィークにて、家族旅行をした。
家族旅行といっても、私とベビーちゃんは、ほとんど別行動で、泊まるホテルだけ一緒という内容で計画されていた。
私は京都市美術館で、フェルメールの絵画『レースを編む女』を、どうしても観たかった。ダンナが、私の意志を尊重してくれたから、私は、念願のその場所に行くことが可能となった。
ちなみに、ダンナと上の子二人は、甲子園のキッザニアに足を運んだ。
私は、とても嬉しかった。フェルメールの絵に出会えるのは、5年ぶりだった。
そう奇跡が起きたあの日、あの時
2004年絵画芸術
300年前の父親の背中ミラクル体験
今回は、ルーブル美術館展で起きたミラクル体験の話をしようと思う。
後に知った話であるが、その日は新月だったらしい。
9月18日の正午前、ついに私は京都市美術館の前にいた。
お腹は空いていたが、そんなことなど、とりあえずどうでも良かった。
私は浮き足立った感情を抑えることが出来ず、長い列で順番を待つ時間が、とても、とても長く感じられた。
次男は、私の背中で、すやすやと眠っていた。ずしりと重いということだけ、辛抱すれば、ベストなコンディションだと思った。
40分くらいは順番を待ち、やっと会場となった。
会場を入ってすぐの話である。
私は、またしてもミラクル体験をすることになった。
入り口から進路に沿って歩いたら
レンブラントの『自画像』が展示されてあった。
私は、じっと絵を見つめていた。
すると
一瞬
奇跡が起きた。
絵は、右目が、右方向に、そして左目が、やや前方を見るように描かれていた。
私は、レンブラントの視線を中心に考えて、彼にとって左側に立っていた。
彼の目は
ぎょろりと
こちらを向けた。
その後
彼の魂は私に語った。
「よく来たね」
私はその瞬間
涙が
あとから あとから
溢れて止まらなくなった。

私は、レンブラントの肖像画の前に立ちすくんで
ただ
ただ
泣くばかりだった。
レンブラントは、1606年にレイデンで生まれて、その後1631年にアムステルダムに移り住んだ、偉大な画家である。代表作は、『夜警』集団肖像画として有名だ。






『来世の母』の受胎告知

2015-11-11 09:46:03 | 日記

※ 以前書いたブログを転写します。

タイトル
「モデルは誰であるかという論議はあまり必要ではない。」

2011.02.23

世界各国の研究者の方々に大変、失礼な話ですが
未来は、モナ・リザのモデルは誰であるか?という論議はあまり必要ではなくなると思います。
ダ・ヴィンチは受胎告知を描いた頃の年代に遡って、自分のルーツを探っていました。
母と引き裂かれた幼児期の辛い感情を思い出し、また、絵画芸術を志した自分を振り返りました。
自分の集大成ともいえる作品、それは『来世の母』でした。
ダ・ヴィンチは、如何に天才と称されたとしても、自分は孤独な一人の人間であることを悟ります。
だから、来世に望みを託したのです。
モナ・リザは、母をモデルに描いたリッタの聖母(下絵)に通じ、それは、受胎告知を(仲間と共同で)描いた頃の、芸術に対する、真っ直ぐな志を持っていた自分に通じる絵でした。
それを原型とし、自分の顔に似せた絵を描き、自分の魂と母の魂を共存させた絵を描こうと思いつきました。

すると
す~っと
穏やかなる感情が生まれました。

ダ・ヴィンチは、来世の母の大いなる愛に包まれて幸せでした。
受胎告知のマリアの横顔や亡き母の面影や、ダ・ヴィンチ自身をパズルのように組み立てて、一見、肖像画のような女性を描きましたが、絵を描いている途中、義母の姿も蘇ってきたであろうと思います。義母もまた、ダ・ヴィンチにとって大切な存在だったかもしれません。彼がジョコンダ夫人から強烈なインスピレーションを得て、その絵を描くことを思いついたのなら、モデルはジョコンダ夫人であるという説も、全くの間違いではないのです。

しかし
共通して
大切な
大切な
大切な
テーマが存在します。

それは
『来世の母』の受胎告知です。
ダ・ヴィンチは
全宇宙を包み込むような
美しく慈悲深い
聖母を描きたかったのだと思います。



『眠る女』のテーマは曖昧さを感じるという事2011.06.13

2015-11-08 18:50:58 | 日記

※ある日のブログを転写します。(本日、内容の一部を校正)

タイトル

『眠る女』のテーマは曖昧さを感じるという事


フェルメールの『眠る女』
女性は恋人と別れ話をした後、ワインを飲み、酔って眠ってしまったのだろうか?

それとも
テーブルに、飲みかけのワイングラスを置いて、もう直ぐ来るであろう恋人を、目を閉じて待っているのだろうか?

テーマは
曖昧さを鑑賞する事にある。


後世の美術関係者は、いい加減に『眠る女』というタイトルを付けてしまった…

その為、タイトルが固定されて絵画の奥深き真意を
私達は感じる事が出来なくなってしまった。
偉大な芸術家の魂に二度、悲劇は起きた。


タイトルが固定されてしまうという悲劇


モナ・リザは
単なる肖像画ではないから
決して個人的な名前を付けてはならなかった。


『眠る女』の正確なタイトルは
『頬杖をつく女』


多感な女性が、目を閉じて、何を感じ、何を思っているのか…それを鑑賞する事に醍醐味が生まれるはずの絵画だった。