モナリザを母にしようプロジェクト

モナリザを聖なる母にしようという
プロジェクトを立ち上げました。

本当のダ・ヴィンチコード「モナ・リザは人類への警告」※続きの文章

2015-04-28 22:15:06 | 日記

※鹿児島の方のブログ、転写続けます※

自然の流れ→「すべてに抵抗せずに受け容れ、身をゆだねなさい。」という事を暗示しています。
服装→「生死」の暗号。
16世紀のイタリアで一般的だった妊婦や出産直後の女性が着用するガーゼのように薄い透明のベールを喪服の上にまとっています。
「生と死について考え、 " 今 " を生きなさい。" 今 " しか存在しないのだから。」という意味があります。
微笑み…「中庸」「慈愛」の暗号。
マイナスでもない、プラスでもない、「中庸」の道を歩めば、地球・宇宙に対して見返りを求めない愛、「慈愛」が溢れ出てくる事を示しています。
モデルの女性…「真理」の暗号。
リザ・デル・ジョコンド、ダ・ヴィンチの母、自画像説…。
様々な説がありますが、
ダ・ヴィンチは誰かをモデルに描いたわけではありません。
モデルが誰だか分からないような作品を描きたかったんです。
そこには「判断を下さず、ありのままの世界を見て、自他に境が無い事を知りなさい。」というメッセージが込められています。
袖…「場」「宇宙」の暗号。
現代物理学で、この世界のすべてを表せるとしている「場」の表現に酷似しています。
人間の意識が宇宙に影響を与えているという事を示しています。
ダ・ヴィンチは生涯、『モナ・リザ』を手放さず、手を加えたと言われています。
そこには、人類への警告を示したこの作品を絶対に後世に残したいという強い意志が感じられます。
それは、
ダ・ヴィンチが "すべてを" 愛していたからです。

本当のダ・ヴィンチコード「モナ・リザは人類への警告」

2015-04-28 22:04:13 | 日記

本当のダ・ヴィンチコード「モナ・リザは人類への警告」


過去ブログを振り返って読んでいました。レオナルド・ダ・ヴィンチの意識と繋がることが出来るという鹿児島の方が、ブログにてモナ・リザは人類への警告の絵画であるという内容を書かれていましたが、改めて読んでみたら、私が追及している内容と、とてもシンクロしています。
ダ・ヴィンチの意識からのメッセージ、しっかりと受け取らせて頂きたいです。


※2011.10.29記述内容 転写です※


※レオナルド・ダ・ヴィンチの意識と繋がることが出来るという鹿児島の方のブログより。


レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)作『モナ・リザ』は人類への警告です。
ダ・ヴィンチは晩年、大洪水の絵しか描いていません。
これは、人類がこのまま宇宙の秩序を破れば、終末が来る事を予言しています。
その事を警告するために描かれたのが『モナ・リザ』です。
瞳…「思い込み」「目の錯覚」の暗号。
右目が正面を向いているのに対して左目はやや左を向いています。
思い込みによりどちらの目も正面を向いていると錯覚しがちです。
生物の中で目の錯覚を起こすのは人間だけです。
これは発達した脳(大脳新皮質)が真実に対して「解釈」を後付けするからです。
ほとんどの人が「ありのままの世界」を見ていない事を示唆しています。
雲…「心の曇り」の暗号。
「欲求や感情に操られる側から操る側に移り、心を綺麗にしなさい。」というメッセージが込められています。
本当に澄んだ心を持てた時、この世の中のものすべてに対して愛と感謝の気持ちでいっぱいになり、幸福感と充実感で満ち溢れます。
海や川を流れる水…「命の源」「循環」「意識」「自然の流れ」の暗号。
命の源→生物は海で誕生したと考えられ、すべての生物にとって水が必要です。
水の大切さを伝えています。
循環→生態系の循環や原子の循環など、「すべてはつながっている」という事を意味しています。
意識→最近の研究で脳細胞には水分子だけを通す穴が存在し、その水分子の動きが脳神経細胞の活動を引き起こす事が明らかになりました。
「意識を覚醒し、宇宙の秩序に目覚めなさい。」というメッセージがあります。



モナリザのモデルは誰なのか?(続きの文章)

2015-04-28 21:29:42 | 日記


つまり
モナリザは
あなたです。
モナリザは
私でもあります。

心穏やかな時に
モナリザを見ると
モナリザは、慈悲深げに見えます。
心に疚しいことがある時に
モナリザを見ると
モナリザは、怒ったような顔つきに見えるかもしれません。

つまり
あなた自身(私自身)の
心の投影

まるで「鏡」のような絵だと思います。

外見的には美しさを極めたような顔立ちではありませんが
それゆえに
心の奥底にある
琴線にふれるような
「内面の美」
「内観」
を感じ取ることが出来るのだと思います。


http://blog.m.livedoor.jp/kochie-141016/article/50331787?guid=ON

モナリザのモデルは誰なのか?

2015-04-28 21:12:56 | 日記

「モナリザのモデルは、誰なのか?」
2013.12.06 記述

以前書いたブログを転写します(*^o^*)
タイトル「モナリザのモデルは、誰なのか?」
結局のところ、モナリザは、誰の姿でもなかったのだと
世の人は、理解するでしょう。
はじめから、モデルは誰なのか?という論戦自体、必要がなかったのですね。
ダ・ヴィンチは、特定の人の姿を、描いたのではなかったのだから、、、
しかしながら
面白い話です。
誰の姿でもない絵画は、誰の姿でも
ある絵なのですから。あの絵画は、鑑賞者にとって、変幻自在なモデルとなります。誰の姿でもない絵は、誰の顔にも見えてしまうから不思議です。
何度も書いた内容です。
元々あの絵は、ダ・ヴィンチが
自からへの慰めの為に描かれた絵画です。
自分の魂と、母カテリーナの魂を、 融合させ、来世での再会を
神に祈った絵画でした。
来世で、巡り合う
来世の母の姿です。
しかし、最終的にダ・ヴィンチは
来世の母を、自からだけの来世の母にとどめる事なく、世の人々に
普遍的な光を与える
全てに通じる母の姿にさせました。
絵画は、パズルのように他の絵画と、交じり合ったり組み合わさったりします。さりげに
イエス・キリストとマクダラのマリアの真実も封じ込めました。
モナリザのモデルは、
ダ・ヴィンチが絵画制作着手時には、純粋に
追憶の母への思慕的なものだったのかもしれないのですが
発展し進化し、だんだんワンネスへの道しるべ的な全てを現す絵画となったのです。ダ・ヴィンチが、絵を描くあいだに体感した、数多くの悟りが、あの絵画を生み出した背景なのでしょう。
もはや、モナリザのモデルを限定しようと考えることすら
馬鹿らしくなるように
ダ・ヴィンチの発想は万人の思考を超越したものでした。宇宙の真理や、宗教のあるべき姿や、歴史の真実を、モナリザと呼ばれる絵画に、まるで隠し絵のように、閉じ込めたのです。
しつこいようですが、何度も書きます。モナリザは、元々肖像画ではありませんから、誰であるかに拘る必要はないのです。
肖像画より、むしろ宗教画に近い絵画です。
しかしながら、神と人との境界線を持たない絵画だから、当時の世相においては、宗教画の特徴が多い婦人ということで、反感をかうでしょうね(^_^;)
12月6日(金)
このブログ記事に追記をします。
誰の姿でもない。
しかしながら
モナリザは
誰の姿にも通じています。

「大乗」

2015-04-28 21:01:19 | 日記


※以前書いたブログ記事を転写します。

タイトル「大乗」
2014.04.03記述


不思議な夢を見て、その後、直ぐに目覚めました。
目覚める直前に見た夢だからなのか?
夢の映像や、内容を鮮明に覚えていました!
辞書か、経典か?何か分厚い本のページに「大乗」ってあり、それがクローズアップされ、私がそれを見せられる夢です。
その後、メッセージが降りて来ました。「モナリザは、大乗仏教。大乗仏教は、全てを認め、全てを救う」
何だか、凄くありがたかったです。
「大乗」って学生時代、社会科の授業で習った知識くらいしかないです。奥が深い言葉だと思いますが、おおよその意味を調べてみました。
※以下、ネットで調べた文章を転写します。「大乗とは?」
 仏教の2大宗派の一つ。
 紀元前後ごろ、従来の正統学派(部派仏教)が限られたエリート層のみの救済にしか目を向けなくなったことに対する反動として、広く大衆一般の救済を目的に説かれた、一種の社会・思想運動。
 「大乗」はサンスクリットのマハーヤーナ(Maha-yana)の訳で、大きな乗り物を意味し、衆生救済を重んじる大乗仏教に対する自賛を込めた呼称。
 これに対し旧来の部派仏教のことを「小乗」と呼んだ。これは大乗側からの蔑視を込めた呼び方であり、世界史用語としては不適当であり、部派仏教の自称である「上座部仏教」がふさわしい。  自・他にとらわれぬ自由の境地=「空 (くう) 」を尊び、徳目「六波羅蜜 (ろくはらみつ) 」を実践して「菩薩 (ぼさつ) 」(=六波羅蜜の実践者)となることを奨励した。
 中国・日本に伝わり発展。