※ 以前書いたブログを転写します。
タイトル
「曖昧さの美学」※両性具有の考察
古今東西、色々な芸術家が、両性具有に憧れを抱き、それをテーマの一つとし、芸術作品として表現しようとしてきました。
あくまでも私個人の意見ですけど、
男であるのか?女であるのか?分からない、それが最も美しい状態だと考えます。
男性性と女性性が混じりあい、逞しさと優美さを兼ね備えた人物は、とても魅力的です!
例えるなら、ダ・ヴィンチが描いた「洗礼者 ヨハネ」のような人物に、心惹かれます。
いにしえに活躍した芸術家達は、両性具有の美を表現する時
はっきりと、そのものズバリを描いたり(彫刻においては形作ったり)した者も、いたことは事実です。
しかし、それらの作品は、魅力的に感じられなかったり、何世紀もの間、日の目を見ることもなく葬られたり、脚光が当たることもなかった、、、。
それは、いったい何故なんでしょう?
心理学的にも、それが何を表現されているか?
解った時点、問題解決した段階から、人はそのものに対する興味が薄れてしまう。
探求心が奪われ、魅力なきものに変化してしまうのです。
男であるのか?女であるのか?どちらを表現したんだろうか?
そういう「曖昧さ」が、実は大変重要なんです。
ダ・ヴィンチやミケランジェロなど、真に芸術を理解した芸能家達は、この「曖昧さの美学」を、至るところにちりばめた絵画を描いています。
そうです。ある意味、モナリザも両性具有の美を意識した絵画なんですよね。
(この点においては、コミュニティ及びブログにて再三追及した内容ですから、省略させて頂きます。)
両性具有を意識した芸術作品を発見した時は、是非「曖昧さの美学」を感じとって下さい。
あなたが、その真髄を理解出来れば、芸術作品が、ますます魅力的に見えてくるはずです。