モナリザを母にしようプロジェクト

モナリザを聖なる母にしようという
プロジェクトを立ち上げました。

「リッタの聖母にも下絵となる絵があった」ブログより転写、本日追記あり

2015-10-17 14:47:09 | 日記

「モナ・リザ」の下絵として「リッタの聖母」というタイトルの絵が存在する。
そして「リッタの聖母」にも同様に、顔の傾き、おでこのライン、鼻のライン等、極めて一致している絵が存在する。


※下記は、ブログより転写

ダ・ヴィンチがヴェロッキオ工房で弟子の一人として絵画を学んでいた時代の『女性の頭部』という絵は、リッタの聖母と顔の俯いた角度が同じです。

更に、二つの絵を合成させたら、おでこのラインや鼻のラインが、ぴたりと一致しました。




顔の分析、そして体の下絵2011.03.02 のブログより転写、本日一部追記

2015-10-16 19:27:16 | 日記
《モナ・リザの体は、リッタの聖母と同一である》この内容が証明されたとして、将来的に下記のような展開があれば良いなぁ~


モナ・リザは多くの研究者によって顔の部分が自画像ではないか?との分析がされている。


その情報や画像は
ネットや書籍に数多く出回っているので、今更私が申すまでもない。


顔のベースのモデルがいて、
更に体のベースは、1490年からいたとすれば、完璧にモナ・リザはモナ・リザではないということにならないだろうか?


(※史実によると、ダ・ヴィンチがジョコンダから妻の肖像画を依頼されたのは1503年である)




モナ・リザと同じくらい有名な絵

2015-10-16 19:20:17 | 日記

2011.03.02
「モナリザ新たなるタイトルに向けて」のブログより転写



私は、小学生の頃
父親に質問した。
モナ・リザと同じくらい有名な『頬杖をつく女』という絵があるけど、誰が描いた絵なんだろう?


父親は、そんな絵は知らないと答えた。


私は不思議で不思議でしょうがなかった。
『頬杖をつく女』は、物凄く有名な絵のはずなのに。モナ・リザと同じくらい、誰もが知っている絵のはずなのに。何故だろう? …そう思った。


これからの文章は
希望的観測です。


未来は
『眠る女』のタイトルが『頬杖をつく女』に変わる。


『モナ・リザ』に『来世の母』というサブタイトルが付けられる。


それを筆頭に
枠に囲まれた、概念というものが、排除される。


既成概念が外されたことで、人類は宇宙的な視野に立って、物事を捉えるようになる。何百年も、待ち続けた真理の扉が開けられた。


全ては
ひとつで
繋がっている。



生まれ変わりの科学的証明

2015-10-15 20:11:03 | 日記


2009/10/09 02:35
GREE日記より

タイトル
「生まれ変わりの科学的証明」


正直なところ
自信はないが
もしかしたら
未来では、
生まれ変わりを科学的に
証明することが
出来るかもしれない。


近代科学と
スピリチャルサイエンス
二つが
混じり合い
融合し
蝶の羽のような
形態をつくる。


そこに
真理の科学が
生まれる。


近年の
絵画研究における
X線撮影等による科学調査や分析は
目を見張るものがある。


もしも 私の
『眠る女』の鏡の記憶が本物であったならば
最先端の科学で
『鏡』に何かを
発見出来るかもしれない。


まず
原画とは違うので
外の着色が施されているところと
あきらかに
絵の具密度は違っているはずである。


加筆跡や
加筆層においても
充分に
精査して頂きたい。


私は
メトロポリタン美術館が
実際に
動いてくれる
その日まで
働きかけを
止めてはならない。

モナ・リザの真実

2015-10-10 11:14:01 | 日記
2009/10/23 05:58
GREE日記より


最初に降りてきたフェルメールの魂は、日に日に、レオナルド・ダ・ヴィンチの魂に形相を変えていきました。

モナ・リザの真実を聞かされた時の私、
涙が後から後から溢れて止まりませんでした。
泣きながら、一心不乱に文章を記述しました。

※以下その時書いた文章です。


『頬杖をつく女』※現在のタイトルは「眠る女」は、曖昧さを意識的に取り入れた作品でありましたが、『モナリザと呼ばれている絵』の曖昧な微笑みは、意識的に描いた作品では、ありません。

自分が…深い悲しみを背負って生きていた故の偶然の産物でした。ダ・ヴィンチ時代は天才と言われました。しかし…天才である前に、幼き頃、母親と引き裂かれるように別れた経験のある、痛みを背負った悲しい魂の一人の人間でした。

死ぬ間際に、叫びました。母親の名前を…「カテリーナに逢いたい。カテリーナに逢いたい。生まれ変わってもう一度カテリーナに逢いたい。」と叫び続けていました。自分にとって、真に心を許せる女性は、産みの母であるカテリーナただ一人でした。

『来世の母親をイメージして描いた女性像』を持ち運び、何処へ行っても、その女性像を眺めていました。
自分の顔を、女性に見たてて描きました。首から下は、母カテリーナを若返らせてデッサンし着色をしました。『来世で再び巡り逢いたい母』を描き、生まれ変わって、 もう一度カテリーナに逢いたいと祈り続けていました。未来の景色に現れた自分の母親を連想して描いた絵でした。自分は、この母親のもとに、何処の国に生まれるのだろうか?どんな景色の中で自分は生を受けるのだろうか?予言をし…思いつくままに描いた絵でした。未来の風景の中に、あたたかな微笑みを浮かべた優しい母親を描く予定だった絵画です。

来世の母親が、優しく自分に微笑みかけてくれるはずの絵でした。