モナリザを母にしようプロジェクト

モナリザを聖なる母にしようという
プロジェクトを立ち上げました。

モナリザのモデルは誰なのか? 追記 『モナリザは心の鏡である』

2015-06-28 20:59:49 | 日記

これも、ある日のブログより転写

モナリザのモデルは誰なのか?

※追記

『モナリザは心の鏡である』

誰の姿でもない。
しかしながら
モナリザは
誰の姿にも通じています。
つまり
モナリザは
あなたです。
モナリザは
私でもあります。
心穏やかな時に
モナリザを見ると
モナリザは、慈悲深げに見えます。
心に疚しいことがある時に
モナリザを見ると
モナリザは、怒ったような顔つきに見えるかもしれません。
つまり
あなた自身(私自身)の
心の投影
まるで「鏡」のような絵だと思います。
外見的には美しさを極めたような顔立ちではありませんが
それゆえに
心の奥底にある
琴線にふれるような
「内面の美」
「内観」
を感じ取ることが出来るのだと思います。
http://blog.m.livedoor.jp/kochie-141016/article/50331787?guid=ON

モナリザのモデルは誰なのか?

2015-06-28 20:51:54 | 日記
タイトル
「モナリザのモデルは、誰なのか?」
2013.12.06記述
以前書いたブログを転写します(*^o^*)
タイトル「モナリザのモデルは、誰なのか?」
結局のところ、モナリザは、誰の姿でもなかったのだと
世の人は、理解するでしょう。
はじめから、モデルは誰なのか?という論戦自体、必要がなかったのですね。
ダ・ヴィンチは、特定の人の姿を、描いたのではなかったのだから、、、
しかしながら
面白い話です。
誰の姿でもない絵画は、誰の姿でも
ある絵なのですから。あの絵画は、鑑賞者にとって、変幻自在なモデルとなります。誰の姿でもない絵は、誰の顔にも見えてしまうから不思議です。
何度も書いた内容です。
元々あの絵は、ダ・ヴィンチが
自からへの慰めの為に描かれた絵画です。
自分の魂と、母カテリーナの魂を、 融合させ、来世での再会を
神に祈った絵画でした。
来世で、巡り合う
来世の母の姿です。
しかし、最終的にダ・ヴィンチは
来世の母を、自からだけの来世の母にとどめる事なく、世の人々に
普遍的な光を与える
全てに通じる母の姿にさせました。
絵画は、パズルのように他の絵画と、交じり合ったり組み合わさったりします。さりげに
イエス・キリストとマクダラのマリアの真実も封じ込めました。
モナリザのモデルは、
ダ・ヴィンチが絵画制作着手時には、純粋に
追憶の母への思慕的なものだったのかもしれないのですが
発展し進化し、だんだんワンネスへの道しるべ的な全てを現す絵画となったのです。ダ・ヴィンチが、絵を描くあいだに体感した、数多くの悟りが、あの絵画を生み出した背景なのでしょう。
もはや、モナリザのモデルを限定しようと考えることすら
馬鹿らしくなるように
ダ・ヴィンチの発想は万人の思考を超越したものでした。宇宙の真理や、宗教のあるべき姿や、歴史の真実を、モナリザと呼ばれる絵画に、まるで隠し絵のように、閉じ込めたのです。
しつこいようですが、何度も書きます。モナリザは、元々肖像画ではありませんから、誰であるかに拘る必要はないのです。
肖像画より、むしろ宗教画に近い絵画です。
しかしながら、神と人との境界線を持たない絵画だから、当時の世相においては、宗教画の特徴が多い婦人ということで、反感をかうでしょうね(^_^;)