モナリザを母にしようプロジェクト

モナリザを聖なる母にしようという
プロジェクトを立ち上げました。

悟り

2014-03-20 09:22:56 | 日記

過去ブログ、一部分文章を変えて転写します!

タイトル「悟り」
2011.10.31

ダ・ヴィンチは、一足とびに悟りの境地に達したのではないと思う。天才と謳われながらも、寂しい孤独な一人の人間である自分と向き合ったのが、モナ・リザ(本当はモナ・リザではないが)の発想であり、着眼であった。孤独な自分の為に、自分にとって、救いの手を差しのべてくれる聖なる母を描こうと思った。ダ・ヴィンチは聖なる母の絵に、手を加え手を加えしながら…今で言うインナーチャイルドを慰めることが出来たのだと思う。
自分の魂と母親の魂が共存し、二人の魂が仲良く融和された作品、それを観ながら、幼い頃の寂しかった自分と向き合い、人間にとって最も大切なものは何かを模索し続けたのだろう。
私は、こう考える。
ダ・ヴィンチが到達した境地、それは無条件の愛だったと思う。
母親が我が子にかける愛情は、決して見返りを求めたりはしない。
ただただ、愛しいと思う。そして、自分のことよりも何よりも子供の幸せを願う。
(哀しいかな、幼児虐待とかネグレクト愛とか、この感情に当てはまらない場合も時にはあるが……)
しかしながら
やはり一般的に母親と言えば、海や大地のような大いなる愛を連想する。
ダ・ヴィンチは、
来世に望みを託し、来世で微笑む母親を描いた。絵は、完成に近づけは近づくほどに、ダ・ヴィンチは、悟りの境地に達していったのだろう。この世に存在する全ては、一つで繋がっていることに気付いた。
全てに神が宿っていることに畏敬の念を抱いた。
私とあなたに境はない。
モナ・リザは
やはり真理を現す絵画であった。



ワンネス

2014-03-20 08:29:47 | 日記

過去ブログ、一部分文章を変えて、転写します。

タイトル
「ワンネス」
2013.07.13

私は、ジョコンダ婦人を完全否定しているわけではないのです。
モナリザが、全ては一つを現す絵画なら、当然そのなかにジョコンダ婦人も含まれます。
ただ、モナリザに、一個人の女性モナリザ(リザ婦人)というタイトルがついたという歴史には、やはり違和感を感じざるをえません。
レオナルドのアトリエを訪れたジョコンダ婦人
レオナルドは、彼女に会い、追憶の母を思い出した。そして、衝撃のインスピレーションを体験した。
レオナルドは、目の前の彼女を描くことが出来なかった。
その後、、、
レオナルドは、様々な発展的構想や、悟りを得た、、、
そして、、、現在ルーブル美術館にある、あの名画が生まれたのです。




レオナルドを知れば知るほど、モナリザにジョコンダ夫人を感じなくなる。※続きの文章

2014-03-19 13:13:59 | 日記

世界で最も有名な絵画に
タイトルがふたつ
荒唐無稽のような話に感じられる人も多いかとは思いますが
元々、ダ・ヴィンチがジョコンダ夫人を描いていないと証明されれば
有り得ない話ではないと思いませんか?



レオナルドを知れば知るほど、モナリザにジョコンダ夫人を感じなくなる。

2014-03-19 13:10:37 | 日記

過去ブログを転写します!

タイトル
レオナルドを知れば知るほど、モナリザにジョコンダ夫人を感じなくなる。
2013.06.25

ダ・ヴィンチを研究されている方が出版された本や、モナリザを熱心に研究されている方のブログ等を
参考までに、幾つか拝読させて頂いています。
共通して言えることは
その誰もが
モナリザをジョコンダ夫人だと、思っていない、ということ。
今まで読ませて頂いたなかで、一番多いご意見は
レオナルドの理想の女性像
※母に対する憧れや思慕を含めて、理想の女性を描いたという見解のようです。
続いて多いのが
神(女神)、聖母(イエスの母聖母マリア、マクダラのマリア)など
※絵画から、レオナルドが託した宗教的なメッセージ等を読み取り、ダ・ヴィンチコードの続編のようなスタイルで文章を書かれています。
弟子のサライというご意見も、割とよく見かけます。
母カテリーナというご意見も、結構多くみられます。
レオナルドの自画像というご意見も、根強いです。
レオナルドを知れば知るほど(研究すればするほど)モナリザは、ジョコンダ夫人であるとの解釈や観念から
だんだん
だんだん
遠ざかっていくようですね。
私は、モナリザは
全ては一つを象徴する絵画。全ての宗教を超えた、全ての宗教観を一つにするような、聖母像であるとの見方をしています。モナリザから、フリーエネルギーを感じます。
元々は、母に対する思慕や憧れが根源だったかもしれない。
だけど、レオナルドは、絵を描いているうちに、様々な意識が拡張し、何らかの悟りを開き
発展的思想が膨らみ続け、最終的に、あのような微笑む女性像を描いたのだと思います。
そろそろ、モナリザと言われている絵画を
ラ・ジョコンダ(ジョコンダ夫人)だという解釈の呪縛から
解放させてあげたいです。
タイトル名となった、ジョコンダさんの魂も、空の上で
それを望んでいるはずです。
ジョコンダさん自身、そのことに関して、長い間苦しまれていたことを、私は霊的に理解出来るから、、、
願いを込めて書かせて頂きます。
「モナリザ新たなるタイトルに向けて」
モナリザが、ジョコンダ夫人の肖像画ではないと証明がされたら
何がしかのサブタイトルがつけられる日が来るかもしれませんね。

聖なる母

2014-03-17 11:13:11 | 日記

モナリザ解明仲間の、ようちゃんから
先日頂いたメールを転写します♪

※転写許可頂いています。

ちーちゃん

モナリザ見て
今 聖なる母って言葉がよぎりました

なんだか天地の母でもあり 創造の母でもあり 地球自体の母みたいにも感じ 聖なる母を見ていたら自由なる創造を生み出せる気分や感覚になりました
私たちを地上で自己実現に導いてくださっているかのようです ありがとう

ぜひモナリザを聖なる母にしたいですね

転写ここまでです
ようちゃん
ありがとう\(^ー^)/

私も同じ気持ちです!!