モナリザを母にしようプロジェクト

モナリザを聖なる母にしようという
プロジェクトを立ち上げました。

モナリザ盗難事件の真相 ※転写です。

2015-06-23 09:12:49 | 日記

 フジTV「アンビリバボー」2004年11月18日放送分『モナ・リザが盗まれた』より

※続きです。


 だが、金を要求したことや犯行の手口、共犯者のことを問い詰められると、
ついにランチェロッティ兄弟のことを洩らす。だが兄弟は聴取でペルージャが
盗難をしたことは知っていたが、盗みに手は貸していないと訴えたのだ。多く
のイタリア人が、モナ・リザはイタリアに返還されるべきと考えていたので、
ペルージャの行動は好意的に迎えられたという。
 こうして1914年1月、モナ・リザはイタリアからフランスに返還され、ペル
ージャには7ヶ月の禁固刑が言い渡された。単独犯とされ、他に裁かれた者は
いない。釈放後に彼は田舎に戻って結婚し、身を落ち着けたという。
 モロッコでペルージャのことを知ったマルケスは、自分の名前も身分も明か
していなかったので、逮捕される心配はしていなかった。だが、完璧な計画の
名誉が傷つけられた気がした。そこでアメリカの親しい友人で新聞記者のカー
ル・デッカーに事件の真相を告げた。ただし自分が生きている間は絶対に公表
しないことを約束させた。
 その17年後の1931年にマルケスが亡くなると、1年後の1932年、デッカーは
サタデーイブニングポスト誌に真相を記事として発表する。しかし当時人々は
世界的な不況に苦しんでおり、20年前の事件を書いたこの記事に注目する余裕
はなく、埋もれてしまった。この記事の存在をつきとめ、さらに綿密な調査を
加えた結果を改めて発表したのがセイモアさんだったのだ。彼の著作の題名は
「モナ・リザが盗まれた日」。
 しかしマルケスはデッカーの記事以外、自らの痕跡を見事に残さなかった。
彼の片腕だった贋作画家・ショドロンも同様だった。また、だました金持ちに
ついても明かさなかったので偽物のモナ・リザの行方もわからない。ルーブル
美術館は、モナ・リザの盗難に関しては一切の取材を拒否している。現在では
モナ・リザは、当時と比べものにならないほどの厳重さで守られている。




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