
皆様、こんばんは。
事務局です。
10日の一宮市内は、蒸し暑い晴れの1日になりました。
19時15分過ぎ、雷鳴が響き、30分後ぐらいに、土砂降りの雨が降りました。
雨は今も続いています。
本日の寺西は、見積書作成、裁ち切り作業、レイアウトボードを製作でした。
引き続き、青バス200号の乗車会(※)のお話を書いていきます。
※2017年02月19日に開催されました。
青バスは、富山市水橋地区で、撮影会をおこなっています。

青バスは、東大町停留所に停車して、こちらでも撮影会となりました。
同バス停留所の前には、敷地は狭いですが、「水神社」様が鎮座しています。
同神社様は、富山市の記録によると、1870(明治2)年頃に建立されたようです。
下の写真は、水神社様の境内を撮っています。

神社を建立する切っ掛けは、水橋川、現在の白岩川に橋がなかったため、橋の建設し、完成を記念して、神社を建立した、という記録がありました。
江戸時代、水橋川、現在の白岩川の「渡し」には、渡し舟が2艘しかなかったそうです。
藩主や巡見上使(じゅんみじょうし※)が通行する場合は、七浦から集めた小舟70艘ほどを、川の岸から岸の間に、藤づるでつなげて、舟の上に板を並べて、臨時の舟橋が設置されたそうです。
※江戸時代、将軍の代替りに際して、全国の施政や民情を査察するために派遣された、幕府の上使のことです。
下の写真は、水神社様境内から青バスと停留所を撮っています。

幕末になり、人馬の往来が多くなってきました。
そこで木橋、橋の名前を「立山橋」を架けることになりました。
その際、近隣の神社境内の大木千百余本を伐採して、橋の材料を確保したそうです。
大木を使って、橋長365間(約250メートル)、幅2間5尺(約5.5メートル)の馬除けを設けた大きな橋が、1870(明治2)年に完成しました。
神木を伐採したことから、神々にお詫びと感謝、加えて白岩川の将来安泰を念じたい、と地元の皆様は考えたそうです。
そこで、橋の建設で出た余材を利用して、橋畔に、同神社様を建立しました。
祭神は大国主命です。
下の写真は、水神社様境内から青バスを撮っています。

毎年、祭礼をおこなっており、この祭礼が、現在に伝わる「橋祭」だそうです。
毎年7月の第4土曜日に、盛大に開催されている、とのことです。
次回に続きます。
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