今日は父信一(雅号豊誠)の33回忌でした。菩提寺の顕孝庵
に正午、息子達とその配偶者、孫達とその配偶者、ひ孫達で先ず
お墓の清掃、そして本堂で法要の待機。
午後1時から法要が営まれました。集まった一族は27名。海
外在住などで、5名が参加できませんでしたが、父と母キミの間
から生まれた子、孫、ひ孫の数が、配偶者を入れると、36名に
もなったのです。
それと、大変喜ばしいことは、父がなくなってから教までの
33年間、その直系に一人も亡くなった人がおらず、これはたい
そう喜ばしいことです。
法要のあと「木綿や」で、均、滋が音頭をとってのいとこ会で
ある「豊誠会」を賑やかに開催。和やかでワイワイの雰囲気が2
時間半も続きました。
それぞれが挨拶する機会がありました。私は父の思い出として、
父が80歳を超えても習字を練習しており、「この年になっても
上達すものだ」を話しました。
私も父がそう言った頃の年齢になりましたが、その言葉のせい
か、放送大学の大学院に通うきっかけになっていると思います。
に正午、息子達とその配偶者、孫達とその配偶者、ひ孫達で先ず
お墓の清掃、そして本堂で法要の待機。
午後1時から法要が営まれました。集まった一族は27名。海
外在住などで、5名が参加できませんでしたが、父と母キミの間
から生まれた子、孫、ひ孫の数が、配偶者を入れると、36名に
もなったのです。
それと、大変喜ばしいことは、父がなくなってから教までの
33年間、その直系に一人も亡くなった人がおらず、これはたい
そう喜ばしいことです。
法要のあと「木綿や」で、均、滋が音頭をとってのいとこ会で
ある「豊誠会」を賑やかに開催。和やかでワイワイの雰囲気が2
時間半も続きました。
それぞれが挨拶する機会がありました。私は父の思い出として、
父が80歳を超えても習字を練習しており、「この年になっても
上達すものだ」を話しました。
私も父がそう言った頃の年齢になりましたが、その言葉のせい
か、放送大学の大学院に通うきっかけになっていると思います。