最近感じること(ブログ版)

粕井貫次の書き下ろし個人エッセイ

日本海海戦戦勝記念日

2008年05月27日 | 感じること
 今日は旧海軍にとって重要行事であった海軍記念日でした。
今から103年前、日露戦争が最終の海上決戦となり、ロシア
のバルチック艦隊がはるばる航海を続けてウラジオストックを
目指していたのでした。
 これを対馬沖にとらえ、日本海において徹底的に殲滅したの
が昨日と今日にあたります。もうこのことは今日の新聞やテレ
ビにも報ぜられていませんので、殆んどの人は知らないとおも
います。
 有色人種が始めて西洋の大国との戦争に勝ち、特にこの海戦
は歴史上例を見ない圧倒的大勝利でした。
 日露戦争の勝利によって、東洋が西洋の侵略の防波堤にきっ
かけをつくったといえます。また大東亜戦争は日本が負けたと
はいえ、結果としては東洋やアフリカなどの西洋の植民地から
の解放につながったのです。
 そういう意味から、今日は意義深い記念の日と思います。
「誇ろうよ五月の二十七日を」  
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奈良番傘創立60周年記念川柳大会

2008年05月26日 | 感じること
 5月25日、上記の記念川柳会が奈良文化開館で行われま
した。参加者が261名という大盛会でした。
 この発足は昭和17年、当時奈良市役所に勤めていた片岡
つとむさんが職場で呼びかけ、30人ほどで当初4発足したと
番傘主幹の磯野いさむさんのあいさつの中にありました。
 片岡さんは大阪天王寺商業の出身で、私より一つ年上。私
が出た商業学校は大阪東商業で、天商とは商業実践の授業で
お互いに取引をしあった仲。特別に親しみを感じています。
 当時私は577調の「すめら歌」の普及運動にどっぷりで
したから、何となく片岡さんの川柳への打ち込みぶりが分か
るような気がしました。
 その集いが「川柳柳茶屋」となり、「奈良番傘」が育つき
っかけとなったようです。片岡さんは数年前に亡くなられま
したが、惜しい方でした。
 アトラクションとして中国音楽の佳音(カオン)5人で演
奏されました。中国の楽器での色んな曲(中国音楽が中心で
すが)のひと時は楽しかったです。
 ところで本日の選はともかく激戦で、事投句がやっと1句
抜けただけでした。
「つなぐ」   松田俊彦 選
  捨て石をつなぐと見えてきた勝ち目

 
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いとしい

2008年05月19日 | 川柳
 「川柳いこま」5月例会の席題は
「いとしい」で上田有行さんと三好英一郎さんの共選でした。
  再会にちぎれはせぬか振る尻尾
がご両人ともにとっていただき
  あの山の姿いとしい青春譜
を英一郎さんがとっていただけました。
 ほかに宿題「従う」  正春 選
  パソコンのマニュアル通り二度三度
 「若い」       隆昭 選
  検温が若いナースで今日は吉
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語学上達法

2008年05月18日 | 感じること
 今月の「三金会」での卓話は真鍋心平太さんの「シュリー
マンについて」でした。ドイツ生まれで王の墓などを発掘し
巨大な富をえたり、語学の天才という話はしりませんでした。
 発掘の実績もさることながら、十数ヵ国語を話せる能力に
ビックリしました。シュリーマンの語学習得の方法は
  非常に多く音読をすること
  決して翻訳をしないこと
  毎日1時間をあてること
  常に興味ある対象について作文をすること
  これを教師の指導により訂正すること
  前日渡されたものを暗記して次の時間に暗誦すること
だそうです。私は外国語は英語のほかに中国語、ほんのちょ
っとフランス語と韓国語をやりましたが、全然ものになりま
せんでした。もう少し早くシュリーマンの方法をしっていれ
ば、少しは上達していたかも・・・・。
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三金会が盛会

2008年05月16日 | 川柳
 今月の「三金会」は久しぶりの盛会で、14名の出席者でし
た。宿題の「茶」には3句とも抜けました。
  無調法ですと茶室の末席に(卓さん選)
  新郎が美女の野獣と茶化される(卓さん、五選)
  出涸らしのお茶出しておけ税調査
席題の「こする」では
  ほん浮気擦って消してしまえぬか(虎次郎選)
  薬指に輝いている当て擦り(虎次郎選、耕治選)
と好調でした。
 当日の互選での高得点句は
  茶畑に居眠り好きな野の仏     半蔵門
  一服の緑茶に今日を癒やされる   半蔵門
  お茶の間へ土足で入って来るテレビ 四郎
  お茶だけで別れるのには惜しい夜  みのる
  お茶にごすくらいのことはしてあげる 卓
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マイペース

2008年05月09日 | 川柳
 今月の川柳番傘本社「月例川柳句会」の参加者は117名
でした。宿題については先日の奈良奥山へのハイキングの途
中でつくり、孫たちに披露していました。
 宿題「マイペース」については、最初は
「おちょこより私コップで貰います」をつくったところ孫が
「コップより私ジョッキで貰います」と、即刻いいました。
 句会当日、これを次のように変えました。
「ジョッキより僕は缶から一気飲み」で選者の青木勇三さん
に抜いていただきました。
 次にとんだ失敗が災い転じて福となりました。
 宿題「呟く」の題を間違えて「咳く」と手帳に記入してい
たのです。それで2句つくっていました。会場にきて気がつ
いたので慌ててつくり直しました。
「身を正す教育勅語呟いて」を番傘主幹の磯野いさむ氏に選
んでいただきました。いささかアテ込みのきらいはあります
が…。近くの一人が教育勅語が「軍人勅諭でもよかったんで
は?」と。多分その人は陸軍の経験があったのでは?と思い
ます。

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奈良は良いとこ

2008年05月06日 | 感じること
 連休の最後の日、今日も有効に使いました。先ず最初に奈
良県立美術館で開催されている「浮世絵展」を見ました。こ
の浮世絵はアメリカのミネアポリス美術館にある3000点
から選ばれ、そのうち代表的な254点が今回展示されてい
るとのことです。
 浮世絵は丹画、紅画、漆絵といった技法から発展し、次第
に多色刷りとなりました。そして作品の完成までには絵師、
彫師、刷師の連携により、すばらしい作品に仕上がることも
わかりました。
 それにしても19世紀の後半、これらの作品が海外にわた
り、ヨーロッパの絵画界に日本ブームが興りました。先日は
東京のサントリー美術館で「ガレ」の作品を見ましたが、そ
のときも感じました。
 ここに展示されたような日本の有名な浮世絵が、マネやゴ
ッホにも大きく影響したとのこと。こうしたとは日本文化史
上にとっても、嬉しい影響力です。
 浮世絵の美人画、役者絵からは人物の表情や優雅な身のこ
なしが実に優雅に表現されていました。風景画については、
洋画に見られないアングル、波・風・雨・雲・雪などの表現、
描かれた人物の動きなど、実に見事な表現の数々でした。
 有名作者の葛飾北斎は生涯の内、93回も住居を変え、3
0回も違う雅号を使ったそうです。これはマンネリに陥らな
い絶えざる創作意欲への姿勢の表れとも思いました。享年が
90歳という当時としてはきわめて珍しい長命もさこそです。
 歌川広重の「東海道五十三次」「名所江戸百景」も各所の
特徴が鮮やかに表現され、次々と興味が沸きました。
 県立美術館を出てから春日大社の神苑の「藤」を見に行き
ました。藤にもいろいろ種類があって、紫色の濃いものから
殆んど白に近いものなど、楽しく見比べました。
 ただ共通していえることは、当たり前のことですが、藤と
いう植物は棚など、支えるものが必ずなければ育たないこと。、
また江戸川柳に
  「春夏をふらふらまたぐ藤の花」
というのがありますが、季節的にも春と夏の双方にぶら下が
っているようです。神苑にはほかに万葉にちなんだ色んな植
物とその解説がありましたが、その方には私はどうも弱くて
早々に奈良市立写真美術館へ。
 ここでは「入江泰吉写真展」が出品物を変えながら、長期
」にわたって開かれています。今回は昭和30年代の白黒写
真と昭和50年代以降のカラー写真が数多く展示されていま
した。それにしても、入江さんのネガをはじめあらゆる写真
に関するものを確かご本人に遺志により、奈良市に寄贈され
たときいています。
 来館のたびに感心するのですが、大きく引き伸ばされた逸
品の数々をみて、ご本人の業績の素晴らしさと、それを生か
す現在のスタッフの大変な努力ぶりです。
 題材は主に平城宮跡、大ナベ・小ナベ古墳、水上池、東大
寺、興福寺、不退寺、喜光寺、唐招提寺、薬師寺、西ノ京の
風景など、私にとっては何度か訪れたところが殆んどです。
それが写真の大家によって再現されると、奈良に住んでこれ
らにいつでも接することができる喜びを抑えることができま
せん。
 入江さんは西ノ京など、巧緻な寺院建築と素朴な民家の風
景が溶け合った西ノ京など、「めったに他所にないないとこ
ろだ」と絶賛され、同じ題材を季節を変えて何度も作品にさ
れておられますが、全く同感でした。
 同時に開催されていた古美術写真の先駆者である工藤利三
郎さんの作品も展示されていました。明治41年に写真集『
日本精華』の第1輯を発行し、大正15年の第11輯まで
続けられたことは、日本の写真界にとって大いに啓蒙の功が
あったと推測しました。
 
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久しぶりのハイキング

2008年05月05日 | 感じること
 今日は子供の日。孫達はもうこどもでもないが、家内と孫
二人、孫のガールフレンドと一緒にハイキングをしました。
 奈良の破石から滝坂の道を、寝仏、夕日観音、朝日観音を
へて、首切り地蔵で小休憩。青葉、若葉がとっても美つくし
かったです。
 春日奥山のドライブウエイを歩いて鶯の滝へ。ここで滝を
見ながらおにぎりに舌ずつ味を打ちました。あと、若草山の
登山道を頂上から逆に下り、手向山八幡宮に参拝。ここは家
内の生家の氏神であり、こんど始めて次の事知しりました。
 今から1300年も前、東大寺の大仏を建立する際、その
守り神として宇佐の八幡様をお迎えしましたが、それが今の
手向山八幡様とのことです。これは大発見でした。
 そのあと、三月堂、ニ月堂にお参り。二月堂のわらび餅は
はじめてでしたが、いいおやつでした。
 近鉄の奈良駅までは、さすが奈良生まれの家内だけあり、
東大寺や県庁裏の間道である近道を上手に選んで帰れました。
 家に帰ってからは、新しい親戚などと一緒に楽しい夕食を
4時間あまり過ごしました。
 天気予報では午前が70%、午後50%という降水確率
したが、家に着く直前に少し雨にあっただけで、幸運なハイ
キング日和りでした。
 それにしても4時間半、山道を含めほぼ14キロを家内と
もども歩けるというのは有難い限りです。夕食にはビール、
お酒も十分頂けました。 
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「みどりの日」庭の手入れ

2008年05月04日 | 感じること
 連休は放送大学の学習室が閉鎖中だし、特に予定もないの
で、勉強でもしょうかと思っていたところ、家内が昨日に続
いて「庭の手入れをしょうと」。
 雑草えお引きながら考えてこと、
1.こうして勝手に雑草むしりをしているが、アリ、毛虫、み
みずにしては自分らの居住空間があっという間に荒されるの
は大変。
2.芝生以外は雑草として引き抜かれるが、そうした選択は
人間の勝手な都合でしかない。すもません。
3.その雑草の中にも、ほんの小さな花をつけているものが
あり、抜くにしのびずそのまま残しました。ふと川柳「奈良
番傘」で句集を出された方の句を思いだしました。
 正確ではありませんが
「可憐なる小花左官の塗り残し」
であったようです。
 昨日今日と、家内と一緒して草抜きと芝刈をしてすっかり
見違えるような庭になり気分もスッとしました。
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憲法記念日に国旗を掲げ

2008年05月03日 | 感じること
 今日は「憲法記念日」である。日本が戦争に負け、アメリ
カから押し付けられた憲法。まだ主権もない占領下において
せいぜい1週間程度で決められた61年前の矛盾だらけの憲
法と知りながら、お祝いの日の丸を掲げるのにどうもすっき
りしない気持ちでした。
 でも私の家は、駅から1キロ以上もあるのに祝日に国旗を
掲げているのは私の家だけというのはどうしたことだろうか。
 憲法というのは国の基本法であり、国民としてのあらゆる
行動の規準、法制の元締めであるべきはずである。ところが
いまやあらゆる点で矛盾だらけ、ちょっとした国際行動にち
ゅいても違反だこうだという議論が絶えない。
 ある野党の党首に至っては「今の憲法で不自由を感じない」
から変える必要がない」という意味の非常識な発言をしてい
る。
 国会議員たるものは目先の法律の制定よりも、国家百年の
大計を真剣に討議して新憲法制定すべきである。61年前の
敗戦占領下の日本と現在では、あらゆるもので同じものがほ
とんどない。
 日の丸を下ろしながらもう一度考えた。
 
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