最近感じること(ブログ版)

粕井貫次の書き下ろし個人エッセイ

囲碁と人間の幸せ

2008年02月29日 | 感じること
 2月12日、大阪商大で「囲碁と人間の幸せ」と題した公開シンポジ
ュームがありました。
 驚いたことの一つは、韓国では明知大学校に囲碁研究科があり、学部
の各学年に30名、大学院の学年ごとに10名ほどの学生が在籍して
囲碁について勉強していることでした。
 二つ目は、目の不自由な人に碁を教えるボランティア活動が活発であ
ること。石は普通よりも大きめで、黒石の真中に小さな突起があり、指
の感触で白黒が判別できること。また盤面には桟があり、置いた石を固
定させることができる工夫が施されていました。
 三つ目は9×9の盤面が盲人の人や、初心者向けの碁盤としてあるこ
と。それにしても、目の悪い人が、たとえ9×9盤にせよ頭の中で碁盤
面を画けるとはすごいと思いました。
 私は海軍時代、かなり碁に夢中になったことがありました。飛行長の
武田新太郎少佐が、士官室に陣取っていて私たちを呼び止め、よく碁の
相手をさせられたものです。
 私の川柳に、「好きなだけ置けと言われた黒い石」というのがありま
す。それでも置く石が少ないと、白石を親指と人指し指にはさみ、ピン
盤上にはね、落ちたところがここだという相手をバカにした打ち方でお
ちょくられました。でも、少々黒石を置いても最終は殆ど白の盤面にな
ってしまいました。
 戦後はパソコンで囲碁のソフトで対戦にこった時期があり、確か相手
のソフトに「上級・中級・初心」の区別があり、その上「強し君・正し
君、守る君」の区別があったように思います。
 囲碁の世界も、一手一手をやり取りする郵便碁から始まって、最近で
はメールで全国各地の同好社との対戦もあるようです。
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小林一三さんについて

2008年02月19日 | 感じること
 今日は東成スポーツセンターでの太極拳のあと、地下鉄中
央線で近鉄生駒経由で5時半に帰宅できました。それで先日
の太田耕治さんの「小林一三さんについて」聞いたことと、
私の記憶を書きます。
 小林さんは明治6年(1873)生まれですから、私より
50歳年上になります。私が知ったときは阪急電鉄・阪急百
貨店の社長をされておられたようです。
 郊外電車の会社でたしか全国始めて住宅の開発をやったり、
宝塚に遊園地や少女歌劇団、沿線に学校の建設誘致を行なう
など、非凡な商才を発揮されていたようです。
 そのころ聞いた話に「ホワイト・オンリイ・ライス」とい
う逸話がありました。
 梅田の阪急百貨店の北には関西大学があり、そこの学生さ
んがかなり百貨店の食堂を利用していました。ところが当時
の学生には今のようないいアルバイト先はありませんでした。
 お金のない学生さんは食堂で5銭のご飯だけを注文。お皿
の端についてある福神漬に塩と胡椒をご飯に振りかけてお腹
を満たしたようでした。
 営業会議か何かのとき、食堂の責任者が小林社長に「こま
ったことです」といったところ、小林社長は次のように言っ
たそうです。
 「学生さん達は今はお金に苦しいかも知れん。しかし将来
卒業して社会に出たときはエリートである。いやがるどころ
か将来の大事なお客さん。今後は飯を大盛りにしてやれ」と
言ったとのこと。
 その商才を見込まれたのか、太平洋戦争が始まる前の年、
昭和15年の7月、第二次近衛内閣のとき商工大臣に就任し
ています。民間出身者としては異例です。その2年前には
国家総動員法が公布され、正に国を挙げての非常事態だった
のでした。
 そのときの商工省の次官は辣腕の官僚である戦後総理に
なられた岸信介さんでした。この両者の歩調がかみ合わず、
民間出身の小林さんの力が発揮できなかったせいもあり、
大臣としての小林さんの評判は悪く、就任の翌年4月に大臣
を辞任、ただし貴族院議員に勅選されています。
 お元気、エネルギッシュな方で、公職追放が解かれた翌年
の昭和27年に欧米を視察されています。
 84歳で新宿と梅田のコマ劇場の社長に就任、その年の1
1月まで宝塚音楽学校の校長もされていました。
 昭和32年1月、急性心臓性喘息で偉大なる生涯を85歳
で閉じられました。



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ロボットと梅

2008年02月19日 | 川柳
 2月の「三金会」は11人の参加者でした。入選句は下記のとおり。
宿題「ロボット」 誠 選
  ボクは飲みいまロボットは仕事中(互選では4票)
  ロボットのような嫁はんええやろか(互選では2票)
席題「梅」    みのる 蓬芝 共選
  焼けぼくい盆梅展に誘われる(二人とも)
  おじば帰り先ず梅鉢の紋所(蓬芝 選)
  日の丸弁当さえも贅沢終戦時(二人とも)
なお今日の一夕話は太田耕治さんの「小林一三さんについて」でした。
この内容は改めて書きたいと思います。

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もの忘れ

2008年02月17日 | 川柳
 きょう2月17日(日)は義兄の義男さんの3回忌の法要が
あり、月例の句会は欠席しました。「川柳いこま」の3月号へ
下記の投句をしました。
  もの忘れするという友よくわかる
  バレンタイン昔はチョコが飽くほどが
  缶ビール酒一合で今日も吉
  いつもお元気ですネで歳を訊ねられ
  ピンとこぬままに映画がジエンドに
  ぐらつく歯抜かずに済ます方法は
  ご苦労様でした六歳永久歯
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肝心

2008年02月17日 | 川柳
 2月9日の番傘本社句会は107名の出席でした。
席題「迷う」宮田宜子 選
  分の厚い遺言状にない署名
宿題「涙」 片岡湖風 選
  大統領候補思わず出た涙
--------------------------------------------------
「川柳番傘」4月号への投句
  予約してませんがこの歯疼きます
  レントゲンこの歯根元で割れてると
  ああ無残これが抜かれた私の歯
  インプラント新車買うより安いです
  ご自分の歯が八十でまだ二十
  歳ですか歯と目を始めあっちこち  
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日航機の墜落を感知

2008年02月09日 | 感じること
 昭和60年8月12日の夕刻、羽田発大阪空港行きの日航機が舵の故障
で迷走飛行を続け、群馬県の御巣鷹山の中腹に墜落し、520人の死者を
出した大事故を覚えていらっしゃると思います。
 実はあの日、私は山一つ南側の越後湯沢苗場の研修宿舎で2週間のTM
瞑想シディプログラムの受講中でした。研修中は朝食は抜き、食事はすべ
て菜食。もちろん酒・タバコもご法度です。そうした環境の中で、朝夕の
シディプログラムを実行していると、今まで体験したことのない純粋意識
になれるのでした。
 メンバーと一緒に瞑想すると、純粋意識が同調し正座しているまま、体
が空中に浮かび上がる体験もありました。丁度その日もそうした体験のあ
とでした。
 実は研修の期間中は部屋にあるテレビを見ることもご法度でした。とこ
ろがすごく胸騒ぎがして、その禁を破ってテレビをつけたくなったのです。
 スイッチをオンにすると、臨時ニュースで「日航機が迷走飛行中」との
こと。間もなく夕刻の研修が始まりましたので、スイッチを切りましたが、
あとで分かったことは、私がテレビをつけた時刻に日航機が御巣鷹山に墜
落した時刻に合致します。
 テレパシーというものがあるのでしょうか、純粋な意識に事故が反応し
たとしか思われません。
 その後、お酒を飲み普通の食事に戻ってからは、そのときほどの精妙な
意識になる機会がありませんが、今でも不思議な体験をしたと思います。

 


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瞑想中の異常な体験

2008年02月09日 | 感じること
 TM瞑想については最初に「この方法を他に漏らさない」という誓約
をしてありますので、具体的なことはいえませんが、だいたいは次の
ようなやり方です。
 先ず座禅のように正座を組み、気持を落ち着けます。次に教えられた
ある種のことば、つまりマントラを心の中で唱えるのです。すると落ち
着いた心の状態が次第に深まっていきます。
 そして最終には極めて精妙な状態、宇宙と一体となった意識になって
いくのです。
 この時の脳波は覚醒時に普通出ているベーター波がなくなり、座禅の
極地と同じようなアルファー波になっています。
 座禅でこのような段階になるにはかなりの修行が必要ですが、TMで
は修行というよりテクニックとして短期間でこの境地になれるのが特長
といえるでしょう。
 上級コースというのはさらに高度のマントラを唱えることによって
より深い瞑想の境地になれるテクニックです。こうした経験を最低6ヶ
月へてたあと、シダーコースに進むことが許されます。
 シディコースは都市から離れた自然豊かなところで2週間の合宿で
行われます。それまでの研修コースもそうですが、朝食はぬき、食事は
すべて菜食。もちろん酒、タバコは許されません。
 私もこの修行を北関東、冬季はスキー場になる群馬県の県境の苗場で
受けました。講習が終る頃になり、みんなの脳波が同調しますと、正座
した姿勢から体が浮き上がる空中浮遊という状態を何度か経験するので
す。
 私もその時は3回ばかりありました。でも講習の期間が終わって帰宅、
毎日の瞑想は欠かしませんでしたが、瞑想中に体が浮き上がることは
ありませんでした。朝飯をたべ、魚肉・酒をたしなんだからでしょう。
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マハリシ師を悼む

2008年02月09日 | 感じること
 2月6日の産経新聞の夕刊でマハリシ・マヘッシュ・ヨギ師がオランダ
で死去された記事が出でていました。スポークスマンによると、「高齢に
よる自然死だった」とのこと。生年月日は公表されていませんが、91歳
とされています。
 師はインドの中部生まれで、アラハバード大学で物理学を学んだ後、ヒ
ンズー教の聖職者に師事し修行。超越(TM)瞑想と呼ばれる方法を指導。
ヒッピー文化の中心的人物となったといわれています。世界の信奉者は
500万人とも言われています。
 実は私もその一人かもしれません。といいますのは、私は昭和60年
(1985)年にマハリシ師が始められたTM瞑想法を習い、次に上級コース、
さらにシディコース(完全なという意味)も修了したのでした。
 昭和61年にはマハリシ師が創設された米国アイオア州にあるマハリシ
国際大学を船井幸雄先生らと訪問。ビップルームに泊めていただき、シダー
しか入場出来ない1000人収容の瞑想ドームで、アメリカの信奉者と
一緒になりTMのシディプログラムを実行したまたとない貴重な経験を
体験しました。
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