昭和の時代

アナログの時代がなつかしい

ブラタモリ ”彦根編”

2017-12-10 09:48:27 | 日記
 先週の土曜日NHK ”ブラタモリ” は 彦根城を取り上げていた。
彦根城は徳川家康の築城で、鈴鹿山系と琵琶湖に囲まれた防御に有利な場所にあり、
城も目隠しされた数十の銃眼で万全を期し、色鮮やかな赤備の彦根藩士が守っていた。
 城下は整然と区画され、琵琶湖の水運で繁栄し、足軽でも戸建に住まわせていた。
彦根藩は御所の警備を託された恪の高い藩だけに足軽でも厚遇されたようである。
 等々


 その日、久し振りに山口県の知り合いを訪ね渋滞を避けて偶々この石碑の前を通った。
広島県と山口県の県境は川幅100m程の小瀬川で、山口県側を少し上流に上るとこの碑がある。
第二次長州征討、芸州口の戦場の碑で、ここで川を挟んで芸州側から彦根藩が攻め、長州側は
岩国藩と奇兵隊が応戦した。

  "ブラタモリ”で彦根城下の繁栄振りを見ながら、芸州口戦場の彦根藩を想った。
 第二次長州征討には反対する藩が多かったが、彦根藩は勇躍参加し小瀬川の芸州側に赤備えの
兵士を布陣した。対岸の長州側には武将の影も見えない、竹藪の中を隠れるように動く兵士が散見
出来るだけである。
 馬上の武将は従卒の差し出す漆塗りの弁当箱を開きながら、こんな姿も見せぬ無礼な藩は
簡単に討伐出来、早々に彦根に帰れると思ったに違いない。
 火器で射かけるが射程80m程度の彦根の火縄銃では対岸まで届かない。
一方長州側は射程500mの最新式の銃で姿も見せず竹藪から撃ってくる。
上流の小高い丘に登ると幕府側の陣地が一望出来ここからも鉄砲玉飛んでくる。
 幕府側は数を頼んで何回も仕掛けるが死傷者が増えるだけで渡河もかなわず
結局敗走する事になった。百姓町民の奇兵隊に敗けた事がどれほど悔しかった事か。
 四境戦争で決着がつかなかったのは芸州口だけと言われている。
 
 長州藩はは貧乏な藩であったが最新式の銃を手に入れることで四境戦争に勝った。
御近所で最新兵器の発射実験を繰り返しているお国がある、貧乏なお国と聞いている。
 我が国の兵器が火縄銃にならなければよいが。