カネログ~日々もくもく~

カネモク社員が日々感じたことを“もくもく”っと綴っていきます。
あくまでも個人的お気楽ブログなので、どうぞあしからず!

ゆず湯に入りました!

2009-12-24 | Weblog
関東地方は寒波も弱まり暖かな一日になりました。
12月21日に冬至も過ぎ、我が家でもゆず湯に入りました。
冬至といえば、一年の間で昼が最も短く夜が最も長くなる日で、ゆず湯に入ると風邪をひかないなんていわれてますが…
しかし、人類は古くから、冬至を無数の文化的、宗教的な伝統行事と結びつけてきており、冬至は単なる天文学的な現象ではないそうです。

◆冬至の天文学的解説

 冬至の日には、太陽が一年で最も地平線に近くなるため、日光の量も一年で最も少なくなる。だが、よい方に考えれば冬至を境に昼の時間は長くなり始める。そして夏至の日に最も長くなるというわけだ。

 冬と夏の至点を表す英語“solstice”は、“太陽(sol)が静止している(sistere)”という意味のラテン語から来ている。夏至の後の数ヶ月の間、太陽が空に描く弧は少しずつ短く低くなる。そして冬至前後の数日間には、弧の変化がほとんど止まり、太陽が同じ場所から昇って同じ場所に沈んでいくように見える。もちろん冬至を過ぎれば、太陽が空に描く弧は少しずつ長く高くなり、夏至の日にそのピークを迎える。

 太陽が至点に達する日は一年に2回ある(12月21日頃と6月21日頃)。これは、地球の地軸が太陽を回る軌道面に対して平均で23.5度傾いているためだ。季節の変化も、この地軸の傾きによって生じている。

 一年のうち北半球が暖かくなる春から夏にかけての半年間、地球の北極点は太陽の方を向いている。逆に秋から冬の半年間、地球の“上”半分は太陽とは反対方向に傾いており、北半球が冬至を迎える日にはその角度が一年で最も大きくなる。

 ただし、冬至は一年で最も“暗い”日ではあるが、最も寒い日というわけではない。海は暖まったり冷たくなったりするのに時間がかかるため、12月になっても海には夏の暖かさがまだいくらか残っている。そのため最も寒い日は冬至から1カ月半ほど遅れてやって来る。夏の暑さがピークを迎えるのが夏至ではなく、それから1~2カ月後の8月になるのも同じ理由だ。

◆古代から存在する冬至の行事

 いつの時代も人類は夏至を祝ってきたが、多くの場合、冬至を境に戻ってきた太陽の光に対する感謝が捧げられていた。

 謎の多いアイルランドのニューグレンジ古墳など、有史以前に建設された巨大遺跡は、冬至の日の出に太陽の光がちょうど意図した位置に当たるように造られている。

 北欧のゲルマン人は“ユール祭”で冬至を祝った。これは、クリスマス前夜にユールログと呼ばれる薪を燃やし続けるという現在も続く伝統行事の起源である。ユールログは、クリスマスに作られるケーキ“ブッシュ・ド・ノエル(クリスマスの薪)”にもその形を残している。

 12月に1週間かけて農耕神サトゥルヌスを祭るローマの祝祭「サトゥルナリア」には、冬至を祝う儀式も含まれていた。また、ローマ人は古代ペルシャの光の神であるミトラを祭り、日が長くなり始める冬至を祝福した。

 現在も、キリスト教以外の様々な宗教で冬至を祝う行事が、古代から伝わる作法に則って続けられている。

 ジョージ・ワシントン大学の名誉教授で宗教学が専門のハリー・イェイド氏は次のように話す。「最近では環境問題への意識が高まるなかで、伝統的宗教が再び脚光を浴びつつある。これらの伝統的宗教は冬至に別の宗教的な意味を持たせることなく、冬至そのものを祝っている」。

 冬至を祝う行事を現在も続けているのは、こうした伝統的宗教だけではない。マサチューセッツ州ウォータータウンを拠点に活動するレベルズ(Revels)という団体は、毎年様々に趣向を凝らした世界各地の伝統的な音楽と踊りで冬至を祝う「クリスマスレベルズ」の公演をアメリカ各地で行っている。

 レベルズのアートディレクター、パトリック・スワンソン氏は次のように公演の意義を語る。「北半球のほとんどの地域に、冬至を祝う何らかの独自の習慣がある。冬至のお祝いのための伝統的な音楽や踊り、時には演劇などを見つけてくるのはこの上ない楽しみだ」。

 もちろん名前を見てわかる通り、クリスマスレベルズは古くからの冬至の伝統とクリスマスとを融合したものだ。北半球の大部分の地域で、冬至を祝う行事に代わって行われるようになったのがクリスマスだった。

◆冬至とクリスマスの関係

 最初のクリスマス、つまりイエス・キリストが生まれた日がいつなのか、正確にはわかっていない。

 ジョージ・ワシントン大学のイェイド氏は次のように説明する。「初期のキリスト教会では、十字架で刑死したキリストが生き返ったことを祝う復活祭(春分の日の直後に行われる)が暦の中心に据えられていた。聖書に描かれているキリストの復活だけでなくキリストの生誕も祝うべきだと考えられるようになった詳しい経緯はわかっていない」。

 東方教会では伝統的に1月6日をクリスマスとしているが、西方教会ではこの日は、東方の三博士が幼いイエスを訪れたことを記念する“公現祭”とされている。キリストの受胎と刑死が同じ季節とされ、春に受胎すれば冬に生まれることになるため、冬のこの日が選ばれたのかもしれない。

 しかし、クリスマスは伝統的な冬至の習慣とすぐに混ざり合った。イェイド氏によると、「クリスマスの祝祭が西方の地域に広まるにつれて、それまで冬至を祝っていた日にクリスマスの儀式が行われるようになり、西方教会では12月の冬至の日がクリスマスとなった」。

 初期の教会の指導者は、旧来の冬至の習慣にキリスト教的な意味を加えて異教徒をキリスト教に惹きつけようとしたのである。「そして生まれた語呂合わせはとても興味深い。英語などいくつかの言語で、太陽(sun)の再生を、神の子(son)の誕生になぞらえるようになったのだ」。
(ナショナルジオグラフィック )

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