KANCHAN'S AID STATION 4~感情的マラソン論

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2010大阪国際女子マラソン雑感①

2010年02月20日 | マラソン観戦記
1月31日、僕が雨に打たれて走っていた頃、大阪も冷たい雨が降っていた。大阪国際女子マラソンもこの日行なわれていた。(正確に言えば、愛媛マラソンが通常より前倒しで開催されたのだ。)

結果から先に言ってしまうと優勝はエチオピアのアマネ・ゴベナ、2位はポルトガルのマリサ・バロス。いずれも初来日のランナーだ。バロスは昨年の世界選手権で6位に入賞していたランナーだが、ゴベナの名前は正直に言うと初めて知った。日本国内の国際女子マラソン大会で外国人ランナーがワン・ツーフィニッシュを果たしたのは随分久しぶりのことだ。2001年の東京国際女子以来ではないかと思う。

昨秋の横浜国際女子でもロシアのインガ・アピトワが優勝し、国内の女子マラソンで2大会連続日本人が優勝を逃したということで、「(女子マラソン)王国崩壊」という見出しをつけた週刊誌もあった。北京で連続金メダルを逃して以来明るい話題に乏しい女子マラソン界だが、僕はそれほど悲観はしていない。これまでが巧く行き過ぎていたのだと思う。

一応、僕が管理人になっているマラソンファンの掲示板においては、国内の女子マラソン大会でいつも日本人が優勝することに対して、ブーイングが生じていた。もちろん、「反日主義者」が書き込みしていたわけではない。世界チャンピオンになるまで、三流以下の相手とばかり対戦していたと批判されていたボクシングの某兄弟みたいだというわけである。

いわば、このところ、日本の大会に照準を合わせて、ベストの状態でスタートラインに立ってくる外国人ランナーが増えてきたと僕は見ている。もちろん、これは歓迎すべきことだ。男女同時スタートが主流の海外都市マラソンも、ロンドン、ニューヨーク、ボストンなどは女子のエリートランナー部門を男子よりも先にスタートさせて、女子ランナーだけの優勝争いをさせるようになった。それらの大会を目指すランナーたちが「登竜門」として、日本の大会を目指すようになったのかもしれない。実際、ゴベナもバロスも、WMM(ワールド・マラソン・メジャーズ)には1度も出ていない。今後はそれらの大会からの招待状が届くだろう。そうなると、来日してくれなくなってしまうから痛し痒しである。

日本人ランナーで3位にゴールしたのが今年34歳のミセス・ランナーの小まりで、5位がこのレースを「引退レース」としていた38歳のミセス・ランナー小幡佳代子という結果も、若手の台頭が無かったということで失望感を覚えた向きもあろうかと思う。特に、陸上記者の寺田辰朗氏がいみじくも指摘されていたように
「日本人は若い世代に期待したがる国民」
なのであるから。(寺田氏の説では、箱根駅伝が高い人気を保つ理由の一つが「強い選手が卒業していくことで。常にエースが入れ替わること」だという。これには目からうろこが落ちた。箱根に限ったことではない。日本人が学生スポーツが好きな理由も、結局はこれなのだろう。)

しかしながら、女子マラソンというのは、本来は30代になってから、実力を発揮する競技なのではないかと最近つくづく思っている。黎明期の女子マラソンの主役は皆、「ママさんランナー」たちだった。日本においても、「スーパー高校生」として増田明美さんが出現し、実業団の女子駅伝部が次々と作られるまではそうだった。

今や、我が国もまだまだ不完全かもしれないが、女性が結婚して出産後も仕事が続けられるような環境が整備されてきた。結婚が競技生活の終焉を意味し、それ故か女子アスリートの恋愛が御法度だった時代は遠い昔のことのようである。

かつての日本でも、30歳過ぎてからマラソンの自己ベストを更新したランナーはいた。浅井えり子さんに谷川真理さん、有森裕子さんらである。今後はもっと増えてくるだろう。

そんな中、今回の注目選手だった「ママさんランナー」赤羽有紀子はリタイアに終わった。治療のために記者会見を欠席するようなコンディションだったが、前半はハイペースで先頭を引っ張る走りを見せてくれたが、途中棄権に終わった。
もちろん、結果論ではあるが、これならば初めから「ペースメイカー」に徹して、大阪城公園まで、と決めてスタートするという選択肢もあったのではないかと思った。いずれにしても、4月のロンドンマラソンには間に合わせて欲しい。

レース後の講評で、陸連の澤木専務理事の口からは
「コーチの力量の差」
という言葉が出た。赤羽の夫である周平コーチには酷な言葉だったかもしれないが、現在、小を指導している森岡芳彦監督は、過去には日本生命やセガサミーで橋本康子など多くのランナーを育成し、自身も東洋ベアリングではランナーとして21回マラソンを完走、福井と豊橋の中日マラソンで2度優勝を経験している。小幡の指導者、長沼祥吾監督は競技者としての実績こそないが、理論家として知られ、小幡とは15年以上の長きに渡って指導を続けている。なんといっても、彼女はマラソンの棄権が1度もない。周平コーチ自身も競技者としての実績が無い分を何かで埋め合わせて欲しい。

(つづく)





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