KANCHAN'S AID STATION 4~感情的マラソン論

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2011年大阪国際女子マラソン雑感

2011年01月30日 | マラソン観戦記
恒例の「マラソン大賞」にて、大賞の該当者なし、という史上稀に見る不作(凶作かもしれない)の年だった2010年が終わり、新たな年、2011年最初の国際マラソンとなった大阪国際女子マラソン。今年が30回の記念大会でコースもリニューアルされた。さらには、ペースメイカーを導入して、好記録を狙うと主催者側もかなり意気込んでいるなと感じられた。

テレビ中継のオープニングも、歴代優勝者の映像。こういうのは嬉しい。懐かしいなあキャリー・メイ。

しかしながら、コースがフラットになり、ペースメイカーが巧に集団を引っ張ったからといっても、必ずしも好記録が出るとは限らない。晴天ではあったが、強風と4℃という低温がランナーたちを苦しめた。

5km17分のペースについて行ったのは、日本人招待選手のみ。前半から優勝争いは日本人のみに絞られた。優勝を狙える有力候補だった原裕美子と森本友が欠場し、本命となったのが“ママさんランナー”としておなじみになった赤羽有紀子。さらには昨年のこの大会でマラソン・デビューをし、アジア大会の5000m代表になった木良子。今や大学女子駅伝の強豪校となった佛教大出身で、ユニバーシアードのメダルも2個獲得している。“ママさん”であることばかりが話題になる赤羽だが、城西大時代には全日本大学女子駅伝での優勝を経験している。こうした大学女子駅伝の強豪校から、日本代表のランナーが次々と出てくることが、通称杜の都駅伝の権威と存在意義を高めると僕は思っているので、今回もこの2人のマッチレースを期待していた。

しかし、そこに割って入ってきたのが創部2年目の大塚製薬女子陸上部の伊藤舞と、ベテランの堀江知佳である。さらに双子の宮内洋子&宏子。

若手選手の育成のためにと、今回のペースメイカーに選ばれたのが浦田佳小里。これはある意味「贅沢」だ。僕にとっては、「今、一番マラソン・デビューが待ち遠しい若手」だからだ。予定通り、20kmを1時間8分12秒で引っ張り、役目を終えた。これは彼女自身のハーフマラソンのベストタイムのペースだ。

長身で大柄な外国人ペースメイカー、カロビッチが25kmで退いた後、いきなり先頭に立ったのが伊藤だった。昨年の名古屋が初マラソンで4位に入賞しているランナーだが、積極的に仕掛けてきた。それによって宮内ツインズと堀江が腑の落とされた。

創部2年目の大塚製薬だが。メンバーの多くは他チームからの移籍者である。この伊藤もかつてはデンソーに在籍していた。そして、大学女子駅伝の強豪である京都産業大出身である。木とは一学年上になり、全日本大学女子駅伝で同じ区間を走ったこともあった。

その木の父親は順天堂大時代に箱根駅伝を走ったそうである。番組の中で紹介された、彼女の子供の頃の写真。一緒に写った父親が着ていたのは、第一回の京都ハーフマラソンの記念Tシャツだった。(僕も持っていた。)

赤羽、伊藤、木の3人に1度は離されながら堀江が追いついてきた。ベテラン、と言ったが1981年生まれ。赤羽より2歳年下である。随分息の長いランナーという印象があるが、初マラソンの2000年の長野マラソンで4位に入賞した当時、19歳だったのだ。中国の強豪ランナー、孫英傑を思い出させるようなコンパクトな腕降りとピッチ走法で粘りの走りを見せる。29km過ぎて上り坂で赤羽がペースを上げた。遅れていったのが木である。

30km過ぎて堀江が先頭に立つ。しかし赤羽と伊藤も離れない。32kmで伊藤が前に立つ。3人による優勝争い。久しぶりの「名勝負」の予感が漂ってきた。下り坂で伊藤と赤羽が落ちていたペースを上げてきて、堀江が落ちていった。

35km過ぎて、伊藤と赤羽のマッチレースとなる。36km過ぎて赤羽が前に立ったが伊藤もしぶとい。2人の差はなかなか離れない。それどころかさらに伊藤が前に立つ。

38km過ぎて、赤羽がスパート。それにしても、どうしていつもフジテレビのマラソン中継はスパートの決定的瞬間に、ヘリコプターのカメラに切り替えているのだ。伊藤ももうつけない。終始、淡々とした表情で走っていた赤羽だが、実はずっと彼女がレースの主導権を握っていたのだ。堀江や伊藤が前に出ようとも、決して動じていなかった。赤羽の初マラソンは2年前の大阪。今回が5回目のマラソンだ。しかし、もはや「女王の風格」を漂わせている。「母は強し」とはあまりにもベタなフレーズだが、2年前の世界選手権や去年の大阪の失敗から十分にマラソンを学習していたようで、その成果が現われた。これが「世界」を知る者の実力か。

世界選手権代表選考の標準記録(2時間26分以内)は切れなかったが、2時間26分29秒でマラソン初優勝である。正式な内定は出ないが、代表入りの可能性は高いだろう。伊藤も大幅に自己ベストを更新した。3位は堀江。そして4位でゴールしたのがイタリアのアンナ。インチェルティー。海外招待選手の中ではいち早く来日していたというあたりに、今回の大会への意気込みが伺えたが、先頭集団のハイペースにあえてつかず、自分のコンディションに合わせたペースで走り、先頭集団から脱落した日本人ランナーを拾っていって4位まで順位を上げた。日本の男子ランナーが、海外マラソンや世界選手権等で見せる走りをしたようなもので、これはそれなりに評価出来る。

記録は物足りないが気象条件を考えればやむを得ないかもしれない。4月のロンドンにもエントリーしていて、世界選手権代表に選ばれたら、年に3回マラソンを走ることとなるが、もちろんそれは折込み済みで、そのつもりでトレーニング・スケジュールを立てているだろう。相変わらず、日本のメディアは女子アスリートは10代から20代前半の若い選手ばかりを追い掛け回しているが、“アラサー”が世界と戦う今の女子マラソンは眼中にないのかいな。

2月の横浜、3月の名古屋では、記録面にも期待したい。今年はいい年になるかもと予感させてくれた。

それと、スポンサーの社員のマラソン大会のCMは、今年の方がかなり笑えた。

コースの変更に伴い、レース中盤のアルフィーの歌のコーナーが無くなった。寂しがる人もいれば、無くなって良かったという人もいるだろう。僕は、別にどうでも良かった。


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