KANCHAN'S AID STATION 4~感情的マラソン論

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2011横浜国際女子マラソン雑感

2011年12月01日 | マラソン観戦記
ロンドン五輪の前年であるせいか、各競技の五輪出場を目指す戦いへの注目度が高くなっている。そんな中、かつては代表選考が「国民的関心事」とも言われた(某民放局の女子アナがそう言ったのを記憶している。)女子マラソンの代表選考、今ひとつ盛り上がりに欠けていると感じるのは僕だけだろうか?

北京五輪で、男女ともマラソンの入賞無し、という最悪の結果に終わったせいか、「空前のランニング・ブーム」が日本代表のマラソン・ランナーへの注目度と結びついていない。2年前の世界選手権で銀メダルを獲得した尾崎好美にしても、今年の世界選手権で5位に入賞した赤羽有紀子にしても、どのくらいの人がその名前を知っているのだろうか?

以前に比べると、「××ジャパン」と呼ばれる団体競技の注目度が高くなり、マラソンの代表をめぐる戦いの注目度が低くなっている。顔ぶれはどうあれ、日本人が3人五輪に出られることは間違いない、それがどこの誰となるかということがかつてほど注目されなくなっている。

そんな中、国内代表選考レースの第一陣として始まった、横浜国際女子マラソンを観戦した。東京マラソンが始まったことで消滅した東京国際女子マラソンの後継となるこのレース、参加資格がフルマラソンで3時間以内の記録を持つ者と、決められていてこれは東京女子や大阪国際女子よりも厳しい。

スタートしたランナーの少なさがかえって新鮮に見えた。僕が住む、現在は松山市に吸収合併された北条市の人口を上回る、3万人以上のランナーの群れが動き始める光景にも見飽きてしまったせいだろう。「選ばれし者の集う場」であるのだ。

10年以上前、僕がまだ3時間15分に近いタイムでマラソンを完走していた頃、マラソンで終盤に僕を追い抜いて行く女子ランナーに、

「その調子だと、東京(国際女子マラソン)に出られますよ!」

と声をかけると、たいていは苦痛にゆがむ顔でうなずいていた。

「分かってるわ、それを目指すためにここに来たんですから。」

と応えているように感じた。今、女子ランナーたちにとって、横浜を走ることは憧れになっているのだろうか。まだ、始まってからこれが3度目に過ぎないのであるが。

今回の注目ランナーは今夏の世界選手権でメダルを目指すと公言しながら敗れ去った尾崎好美、大学女子駅伝で活躍した木良子、小出門下生の堀江知佳と永尾薫、そして日本人の夫を持つ「走る英国外交官」マーラ・ヤマウチ。世界選手権の上位入賞者が一人もいない、というのが寂しい。かつての東京にはその年の夏の五輪や世界選手権のメダリストや入賞者が必ず来ていたのであるが。

今回の代表選考レースは2時間22分台を目標とするペースメイカーがつく、ということだったが、そんなペースを作れるランナーなら、レースに参加していたら優勝候補だ。もったいない、と思っていたら、暑さのせいか、20kmまでもたなかった。

残念ながら、日本の女子マラソンの実力は低下している。かつては、

「男子はダメだけど、女子は強い。」

などと言われていたが、今は女子もダメになった。急にそうなったわけではない。かつての日本の女子マラソンは国際大会ごとに代表メンバーが総入れ替えしていた。アテネ五輪までは、女子ランナーで唯一、五輪に2回、マラソンで出場したのは有森裕子のみだった。それが北京では野口みずきと土佐礼子がアテネに続いて2度目の代表ランナーとなり、今年の世界選手権は2年前にも出場していた尾崎と赤羽が選ばれていた。かつてほど、若手の台頭が見られなくなってしまったのだ。

高橋尚子や野口なら、ペースメイカーなど必要としていなかった。今回、ペースメイカーがいなくなった後、先頭集団より少し離れてマイペースでレースを続けていたヤマウチが追いつき、集団を引っ張ったが、かつてなら、ヤマウチの役割を土佐礼子が担っていたはずだ。

先頭に立ち、ペースを作るヤマウチ。実は今回、放送席で解説をしていた高橋尚子の最後のメジャー大会優勝となった'05年の東京国際女子マラソンで5位に入賞しているランナーなのだが、「英国人なのに、姓が山内」な彼女のことが一躍知れ渡るようになったのは、'07年の世界選手権大阪大会での健闘(9位。欧州勢の中ではリディア・シモンに次いで2位)と、翌年の大阪国際女子での優勝、そしてインタビューでの流暢で知的な日本語での話しぶりによってだろう。北京五輪の女子マラソン、野口が欠場、土佐がリタイア、中村友梨香は先頭集団につけず。という状況の中。彼女に日本代表ランナー同様のエールを送ったファンも少なくなかっただろう。地元での五輪の出場を目指す彼女だが、昨年のニューヨークシティ・マラソン以降は故障に苦しみ、活動拠点を日本国内から、故郷の英国へと移していた。そんな彼女が久しぶりに好走を見せている。彼女についていた日本人集団のうち、最も若い永尾が先に脱落していった。「名伯楽」小出監督も高橋尚子以後、マラソン代表を生み出せないでいる。永尾はまだ22歳。思えば、こんなに若くマラソンにチャレンジする女子ランナーも減ってきた。

その理由の一つが、高校生の女子ランナーの大学進学率が高くなったせいではないだろうか。かつては、高校駅伝やインターハイで活躍した女子ランナーの多くが実業団に入り、2~3年目にはマラソンのスタートラインに立っていた。その代わり、25歳過ぎて現役で競技を続けるランナーも少なかった。今は、女子ランナーが競技者として活躍できる期間も長くなり、女子ランナーも大学へ進む者が増え、大学女子駅伝のレベルも向上し、学生ランナーも日本代表となるようになった。トップを争う木も大学駅伝の強豪である佛教大の出身、尾崎は高卒だが初マラソンは27歳の時、という「遅咲き」のランナーだ。

39km過ぎて、木がスパート。ヤマウチが遅れる。彼女の姿が、男子のレースで、ケニアやエチオピアのランナーに食らいつきながら終盤のスパートで引き離される日本の男子ランナーと重なった。

「やはり“日本的”なランナーだな。」

と苦笑。いや、このレースの陰のMVPと言ってもいい。尾崎と木のマッチレース。残り2kmで尾崎がスパート。一時は5秒の差がつく。これで決まりか。しかし、そこから木が粘り腰を見せる。尾崎に追いつき、残り500mのスパートで逆転。昨年のアジア大会で5000m代表になった実力を発揮した。そのまま逆転のゴール!

優勝したものの2時間26分台というタイムの悪さを難点に挙げる声もある。世界選手権とは違い、五輪の代表選考は、選考レースの優勝者に「即内定」とはいかないからだ。しかし、選考レースの優勝者。というのは優先されてしかるべきである。

「もし、大阪で2時間22分を切るランナーが複数出現したらどうなる。」

という向きもあろうが、幸か不幸か、今の日本の女子マラソン界を冷静に見渡せば、そのような可能性は極めて低い。

「こんなタイムでは世界と戦えない。」

と切り捨てる向きもあるだろうが、やはり、代表選考というのは「選考レースで死力を尽くしたランナーへのご褒美」であって欲しい。

ダイハツ女子陸上競技部より、浅利純子以来16年ぶりのマラソン日本代表の誕生なるか。

(文中敬称略)



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