賢明な方はとっくにお気づきだろうが、この雑文の中では「世界選手権」と「世界陸上」と2つの呼称が混在している。この両者の違い、お分かりだろうか?
「世界選手権」というのは、IAAF(国際陸連)が主催する、2年に1度の競技大会の名称であり、「世界陸上」というのは、世界選手権の独占放映権を持つTBS(IAAFのオフィシャル・スポンサーでもある。)が制作するテレビ番組の名称である。僕はそのように認識して、2つの名称を使い分けているつもりである。
TBSの「世界陸上」も今回で5回目となった。その間ずっと番組の顔だったのが、織田裕二と中井美穂のコンビである。このご両人、特に織田の言動は、熱心な陸上マニアには不評を買っているのは、ご存知の通りである。
僕も過去のエドモントン大会やパリ大会の観戦記を読み返してみた。我ながら意外に感じたのは、織田個人に対する批判が少なかったことである。せいぜい、
「少しだまっていてくれないか。」
と書いたのと、ファイナリストになった日本人、池田久美子や岩水嘉孝らのことを、
「いやあ、知りませんでした。」
などと臆面もなく語る姿にケチをつけたくらいで、
「競技はスタジオの中で行われているんじゃない!」
「織田の口を封鎖しろ!!」
などとは、書いていなかった。
むしろ、怒りの矛先はTBSの方に向けられていた。織田はプロフェッショナルとして、自分に与えられた役割を精一杯こなしていただけだと思う。(中井美穂も同様に。)批判されるべきは、彼らを起用したテレビ局だと思ったわけである。それに、彼のコメントにいちいちツッコミを入れていたら、文章量が膨大なものになってしまう。
エドモントンの頃から、僕の怒りは主として、
正確な競技開始時間を知らせずに、
「このあとすぐ!」
を連発したり、レースの速報結果を伝えなかったりする中継姿勢に向けられていた。自己防衛のために、専門誌に掲載された「タイムテーブル」を参考にして、競技そのもののみを見るようにしたので、キャスター2人のやりとりは、極力見ないようにしていたのである。
陸上マニアに、織田が不人気なのは、'80年代にプロレス・マニアだった僕にはよく分かる。まさしく、あの「ギブ・アップまで待てない!」を連想させるからだ。
それ何?という人のために簡単に説明すると、テレビ朝日が、新日本プロレスの中継番組「ワールド・プロレスリング」をバラエティ番組にリニューアルさせた番組なのである。ちなみに、仕掛け人は、あのテリー伊藤だったらしい。
これはファンのみならず、レスラーたちにも不評だったようで、司会を担当していた女性タレントの「プロレスをなめたような質問」に、馳浩が凄んで見せた姿はファンの快哉を呼んだほどだった。
だいたい、熱烈なファン=マニアとかオタクとか呼ばれる人種(当然、僕も含めて)は、何であれ、自らが愛情を注ぐ対象物が「素人」に土足で踏み荒らされるのを嫌うのだ。
しかし、テレビ局も視聴率が大事だ。マニアの顔色ばかりうかがっているわけにはいかない。むしろ、マニアックなファンには嫌われるくらいでないと、多数の支持は得られないのだ。
今回で5大会連続して、織田&中井コンビによる番組進行が存続しているのは、彼らに憤るマニアよりも、支持者の方が多いからであろう。
「ギブアップまで待てない!」の視聴率は思いの他伸びず、ほどなく、従来の中継スタイルに戻されたのであるが。
改めて、なぜ、織田が批判される理由を僕なりに考えてみた。
たぶん、織田が「役者」だからであろう。
本来、役者というのは、親が死んだ日でも舞台に上がれば(カメラが回れば)、笑顔をふりまき、来月結婚する予定であれども、役を与えられたら恋を失した悲しみの涙を流さなくてはいけないし、真水を焼酎かのごとく舐めるように飲んで酔っ払ってみせなくてはならない。
もっとも、今どきの芸能人(タレント)というのは、その種の能力が著しく低下していて、そのために、「本音」とか「自然体」とか「等身大」というのをやたらと尊重している傾向があるが。
いわば、「フィクション」の世界で自己を表現する人が、「筋書きの無いドラマ」であるスポーツの生の感動を伝える役目を担うのは、ミス・キャストではないかというのが、僕の意見である。
エドモントン大会の当時、某掲示板において、
「世界陸上のキャスターを、小倉智昭にやらせろ!」
という意見が一定の支持を集めていた。小倉がマラソン・ファンであることは有名だが、もともと彼はマラソン中継も担当した事のあるアナウンサーだった。いわば、「報道」という「ノン・フィクション」の世界に身を置いていた人である。その点がマニアをして、
「彼なら、織田よりもマシだろう。」
という期待感を抱かせたのであろう。
いずれにしても、陸上競技はまだマシかもしれない。世界最高峰の闘いがベストとは言いがたくとも、地上波で生中継されているのだから。ラグビーのワールド・カップは、地上波では放映されなかった。スタジオにいるのが2人きりというのも、しかり。来年の今頃には、郷里に帰ってアルバイトしていそうな若手芸人や、常識の無さを愛嬌と勘違いしているグラビア・アイドルたちが訳の分からない事を口走るところまで、堕ちてはいない。もしくは、スタジオで「歌って踊れるアイドル」たちが、テーマ曲を歌ったりもしない。
それだけでも、よしとしないといけないかもね。
マニアの皆さん、堪え難きを堪え、忍び難きを忍びましょう。
「世界選手権」というのは、IAAF(国際陸連)が主催する、2年に1度の競技大会の名称であり、「世界陸上」というのは、世界選手権の独占放映権を持つTBS(IAAFのオフィシャル・スポンサーでもある。)が制作するテレビ番組の名称である。僕はそのように認識して、2つの名称を使い分けているつもりである。
TBSの「世界陸上」も今回で5回目となった。その間ずっと番組の顔だったのが、織田裕二と中井美穂のコンビである。このご両人、特に織田の言動は、熱心な陸上マニアには不評を買っているのは、ご存知の通りである。
僕も過去のエドモントン大会やパリ大会の観戦記を読み返してみた。我ながら意外に感じたのは、織田個人に対する批判が少なかったことである。せいぜい、
「少しだまっていてくれないか。」
と書いたのと、ファイナリストになった日本人、池田久美子や岩水嘉孝らのことを、
「いやあ、知りませんでした。」
などと臆面もなく語る姿にケチをつけたくらいで、
「競技はスタジオの中で行われているんじゃない!」
「織田の口を封鎖しろ!!」
などとは、書いていなかった。
むしろ、怒りの矛先はTBSの方に向けられていた。織田はプロフェッショナルとして、自分に与えられた役割を精一杯こなしていただけだと思う。(中井美穂も同様に。)批判されるべきは、彼らを起用したテレビ局だと思ったわけである。それに、彼のコメントにいちいちツッコミを入れていたら、文章量が膨大なものになってしまう。
エドモントンの頃から、僕の怒りは主として、
正確な競技開始時間を知らせずに、
「このあとすぐ!」
を連発したり、レースの速報結果を伝えなかったりする中継姿勢に向けられていた。自己防衛のために、専門誌に掲載された「タイムテーブル」を参考にして、競技そのもののみを見るようにしたので、キャスター2人のやりとりは、極力見ないようにしていたのである。
陸上マニアに、織田が不人気なのは、'80年代にプロレス・マニアだった僕にはよく分かる。まさしく、あの「ギブ・アップまで待てない!」を連想させるからだ。
それ何?という人のために簡単に説明すると、テレビ朝日が、新日本プロレスの中継番組「ワールド・プロレスリング」をバラエティ番組にリニューアルさせた番組なのである。ちなみに、仕掛け人は、あのテリー伊藤だったらしい。
これはファンのみならず、レスラーたちにも不評だったようで、司会を担当していた女性タレントの「プロレスをなめたような質問」に、馳浩が凄んで見せた姿はファンの快哉を呼んだほどだった。
だいたい、熱烈なファン=マニアとかオタクとか呼ばれる人種(当然、僕も含めて)は、何であれ、自らが愛情を注ぐ対象物が「素人」に土足で踏み荒らされるのを嫌うのだ。
しかし、テレビ局も視聴率が大事だ。マニアの顔色ばかりうかがっているわけにはいかない。むしろ、マニアックなファンには嫌われるくらいでないと、多数の支持は得られないのだ。
今回で5大会連続して、織田&中井コンビによる番組進行が存続しているのは、彼らに憤るマニアよりも、支持者の方が多いからであろう。
「ギブアップまで待てない!」の視聴率は思いの他伸びず、ほどなく、従来の中継スタイルに戻されたのであるが。
改めて、なぜ、織田が批判される理由を僕なりに考えてみた。
たぶん、織田が「役者」だからであろう。
本来、役者というのは、親が死んだ日でも舞台に上がれば(カメラが回れば)、笑顔をふりまき、来月結婚する予定であれども、役を与えられたら恋を失した悲しみの涙を流さなくてはいけないし、真水を焼酎かのごとく舐めるように飲んで酔っ払ってみせなくてはならない。
もっとも、今どきの芸能人(タレント)というのは、その種の能力が著しく低下していて、そのために、「本音」とか「自然体」とか「等身大」というのをやたらと尊重している傾向があるが。
いわば、「フィクション」の世界で自己を表現する人が、「筋書きの無いドラマ」であるスポーツの生の感動を伝える役目を担うのは、ミス・キャストではないかというのが、僕の意見である。
エドモントン大会の当時、某掲示板において、
「世界陸上のキャスターを、小倉智昭にやらせろ!」
という意見が一定の支持を集めていた。小倉がマラソン・ファンであることは有名だが、もともと彼はマラソン中継も担当した事のあるアナウンサーだった。いわば、「報道」という「ノン・フィクション」の世界に身を置いていた人である。その点がマニアをして、
「彼なら、織田よりもマシだろう。」
という期待感を抱かせたのであろう。
いずれにしても、陸上競技はまだマシかもしれない。世界最高峰の闘いがベストとは言いがたくとも、地上波で生中継されているのだから。ラグビーのワールド・カップは、地上波では放映されなかった。スタジオにいるのが2人きりというのも、しかり。来年の今頃には、郷里に帰ってアルバイトしていそうな若手芸人や、常識の無さを愛嬌と勘違いしているグラビア・アイドルたちが訳の分からない事を口走るところまで、堕ちてはいない。もしくは、スタジオで「歌って踊れるアイドル」たちが、テーマ曲を歌ったりもしない。
それだけでも、よしとしないといけないかもね。
マニアの皆さん、堪え難きを堪え、忍び難きを忍びましょう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます