KANCHAN'S AID STATION 4~感情的マラソン論

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2006東京国際女子マラソン展望vol.1~なぜ、東京なのか?

2006年11月15日 | マラソン時評
今度の日曜日が待ち遠しい。

東京国際女子マラソンに、土佐礼子が出場するからである。彼女にとっては2年8ヶ月ぶりの国内のマラソンであり、テレビの生中継で彼女のマラソンを見るのはアテネ五輪以来である。

それだけでそれだけでうれしい。

土佐礼子と言うランナーを応援し続けてきたのは、やはり最初は彼女が僕の住む町の出身であり、僕の母校の後輩でもある、という理由からだった。だけど、今はそれだけではない。

彼女は実に「面白いマラソン」を見せてくれるランナーだからだ。少しクサイ言い方になれば、彼女の走りには見る者の心を動かす物を孕んでいる。少なくとも、僕はそう思う。

あの名古屋での、「涙の逆転勝利」がその最たるものだが、それだけではない。いきなり2位でゴールして、日本全国のマラソン・ファンを驚かせた6年前の名古屋。五輪メダリストたちを置き去りにして独走してみせたその年の東京。
あのリディア・シモンと競り合った、翌年の世界選手権、そして、インターネットの文字中継で見た、今年春のボストン、

“Tosa can run the downhills! She has caught up to the other two.”

の文字に鳥肌が立った。単なる「地元ぴいき」の要素を差し引いても、充分おつりがくるのは確かだ。

その土佐の北京に向けての長いレースが始まろうとしている。これは意外と思う人の方が多いかもしれないが、日本の女子マラソン・ランナーで五輪に2回マラソン代表として出場したランナーは有森裕子一人しかいない。

2人目を目指すために彼女はまず、来年の世界選手権代表として、メダルを獲得して、北京五輪代表を狙う道を選んだ。その代表を決める最初のレースである、東京国際女子マラソン。

ここで代表の座を獲得すれば、来年9月まで10ヶ月もの準備をかけることができる。思えば、アテネ五輪の代表を彼女は代表選考最終レースで得たのだが、そこから五輪本番まで残された時間は5ヶ月しかなかった。そして五輪では5位入賞。

立派な成績だ。世界で5番目だぞ。しかし、この結果に一番不服だったのは彼女自身だったのではあるまいか?金メダリストでさえ、ゴール後、胃の中を戻してしまうほどの激しいレースの後でカレーを平らげた彼女は、早々と
「次は駅伝で頑張ります。」
と表明し、年内に3本の駅伝を走り、2回優勝に貢献した。今のまま、粘りの走りだけでは代表になれてもメダルは獲れない。その事を思い知ったからこその、駅伝での激走だった。

五輪後、結婚することを表明していたものだから、アテネが彼女の「最後の花道」とした報道も一部にあったが、彼女は決して燃え尽きていない。更なる高みを目指していたのだ。このままで終わりたくない、という強い想いを抱えて、東京のスタートラインに6年ぶりに立とうとしている。

13日の「報道ステーション」で、久しぶりに土佐を見た。東京国際女子マラソンの事前PR的な特集企画だったのだが、インタビューに答える土佐を見て、僕は確信した。

「いけるぞ!土佐!」

優勝は確実、などとは言えない。マラソンというのは不確定要素が多いからだ。しかし、今の彼女は今までの彼女とは違うぞ、と思った。優勝ができるかどうかは別として、これまでで最高の走りが見られそうだと思った。

(つづく)



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