亀の啓示

18禁漫画イラスト小説多数、大人のラブコメです。

とにかくイチャイチャハロウィン小説版(54)

2018-02-25 00:14:45 | とにかくイチャイチャハロウィン小説版
「ごめん。じゃあ直接斎場に行くからね。」

絹江は自分の亭主が
一人でまっすぐにこの海辺の町に
たどり着けるはずがないと
わかっていたので落ち着いたものだった。

くれぐれもタクシーで向かうようにと
念を押した。

この海辺の町に斎場は一つしかない。
町の名前を言えれば大丈夫だ。

自分も娘時代をこの町から出ないで
過ごしたが、正直もそれは同じだった。
彼は今も住み続けているあの町で
右も左もわからない自分を見つけてくれた。
自分はまだ恋が始まってもいないのに
この町に自分の灯台を見つけたような
妙に安心した気持ちになったのだ。

結婚したのはそれからすぐだった。

自分は女の癖に、とても酒に強く
いくら飲んでも頬も染まらぬほどの酒豪だ。
小柄で大人しそうな見てくれの自分に
酒の雰囲気で落とそうとする男が
声をかけてくる。その度にどの殿方も
ベロベロに酔い崩れ白旗を上げる。
別に自分はそんな下心を燻らせた男共に
興味はないのだが、女としてどうなのかと
悪くもない痛くもない腹を自分でえぐる。
やりきれない気持ちになったのだ。

正直が絹江を飲みに誘ったのは
下心がないと言えば嘘になるが
毎日つまらなそうにしていた絹江に
自分が話しかけると、少しだけ表情が
華やぐように見えたのだ。
もう、それがたまらなく嬉しかった。
もっと一緒にいたい。
仕事が終わってからも側にいたかったから。
飲みに誘った。

だが絹江は沈んだ様子を見せた。

「お酒苦手だっけ?」

「そんな、ことは。」

「飯も旨いんだ。いつも晩飯はそこで
済ませちまうんだけど。」

「そうですか。」

一緒に飲み始めると、お互いに感じるものが
あった。一杯目の生ビールが同時に無くなり
少しも酔いの見えない振る舞いに、何故か
笑いが漏れた。

「鷺沼さんて、お酒強いの?」

「君もだろ?」

「酔ったことがないわ。」

「俺もだ。」

次にオーダーしたのは焼酎だった。
いいちこが瓶ごと来た。

「ここは俺のいきつけだから。」

氷は少なめ、普通はサワーを出す
大振りのグラスが出てきた。
絹江は自分の前に出された小さな蕎麦猪口
みたいな器を下げてもらう。

「私も、こっちのグラスで。」








「運命かなと思った。」

酒に酔わないもの同士だ。
飲むペースも一緒、酒ならなんでもやるが
焼酎か日本酒が好き。意気投合して語り合うが
一つも酒の勢いを借りたい下心はない。
下心を、酒を使わず正々堂々と口に出した。

「ずっと、一緒に。これから何十年も。」

「あたしを、女と思ってる?」

絹江はもっとはっきり口にしてほしかった。

いつもの店のいつもの席だ。

正直は向かい合って座る絹江に
身を乗り出して顔から近づく。

「わかんねえわけ、ねえだろ?」

内緒話をするように口元を手のひらで隠し
唇に唇でキスした。

「結婚して。」









絹江は正直との出会い、プロポーズを
思い出して胸を熱くした。
父の通夜を前に、夫を思って胸弾ませる。
なんて親不孝な娘だろうか。
そろそろ頃合いだ。
正面玄関の車止めに出て、タクシーの
着くのを身を乗り出すようにしながら
見守った。
もうすぐ、あの暖かい人に会える。
やはり絹江は浮き立った。

「絹ちゃん。おまたせ。」

「あなた。」

胸に飛び込みたかった。
一緒におこたに入って、みかんを剥いて
口にいれてあげたい。
ああ、だめだめ!早く喪服に着替えなきゃ。

「喪服はっ?!」

「この中だよ。美月が入れてくれたから。」

はじめ、正直はボストンバッグにまとめて
放り込もうとしていたのだが
美月が阻止した。小振りのスーツケースを
出して(これは美月のものである)綺麗に
畳んで入れてくれていた。靴もパールも
お数珠も白いハンカチも入っていた。

「あたし、着替えてくるわ。
紫陽花の間がうちの控え室だから。」

正直は喪服を着て出てきたので、すぐ
控え室に行った。
着替えや洗面道具の入った
ショルダーバッグをロッカーに入れた。

なにか手伝えないかとフロントに行くが
通夜振舞いなども手配済みで業者がことを
進めてくれている。

「あなた。あと、一時間で始まるわ。
こっちで座っていて。」

絹江につれられてホールに入る。
義父がお棺に入れられていた。
白い菊が遺体を包み込むように
敷かれて、死に化粧をされた顔を
精悍に見せている。身体にも色とりどりに
花が飾られるように乗せられている。
安らかだ。

「最期は静かだったの?」

「麻薬で痛みはなかったはずだし。
最後に私の手を握ってくれたわ。」

「そうか。」

正直は絹江の肩を抱いて、髪に頬を寄せた。

「頑張ったな。」

絹江はハンカチで目元を押さえる。

「もう、お通夜始まるから。泣かせないで」

「あ。ごめん。」

絹江は正直の喪服の背広を軽く払う。
着て来させないほうが良かったかしら。
少しシワになってるわ。









通夜振舞いの客も帰っていき
明日の告別式の参加人数や仕出しの
最終確認をしたら、もう11時を回っていた。

「若い頃、親父の葬式出したけど
ほとんどお袋が仕切ってた。
ほんと、人一人送り出すのは大変だな。」

空港近くのホテルに部屋を取った。
車の便がよかったから、絹江が軽で正直を
送ってきたのだ。

「ねえ。絹ちゃんも一緒に泊まんない?」

「ん。」

「絹ちゃん。」

「ごめんね。やっぱり、帰るわ。」

斎場で、市太郎さんの遺体の側にいるという。

「また明日。同じホールで。9時から
だから、遅れないようにね。」

「わかった。」

二人の間に冷たい何かが流れる。
正直はもう、戻れないのかと思う。
もしかすると、絹江はこの海辺の町から
離れないと言い出すかもしれない。
そんな頑なさを感じてしまったのだ。

絹江は、夜を正直と過ごしたら
もう、何もかもどうでもよくなりそうで
父を亡くしたことさえ忘れたくなりそうで
怖かった。自分にはまだ、向き合って整理
しなくてはいけないことがある。
送り出さねばならない父がいる。
そんな中で自分だけが愛しい人と幸せな
気持ちで満たされるのは、いけないことだ。

30年近く連れ添った夫婦でも
いまだに気持ちがすれ違う。
その夜、正直は一睡も出来なかった。