「コウモリだよ亮。」
「やっぱりあのいかにもコウモリって形が不気味だ。」
夕方に飛び回る小さいコウモリ。
学校帰りの二人は、歩く路地の遥か上
黄昏れた空に黒いシルエットが舞うのを見ていた。
「飛び方も鳥とは違って、飛膜ひらひらさせてるから
一目でコウモリだってわかるよね。」
くるくると回るように、あちこちへ方向を
変えながら翻るような飛び方をするから。
何故か不安を掻き立てられるんだよな。
亮はどちらかと言えば苦手なコウモリから
目が離せなくなる。あんなに上空を飛んでいるかと
思えばあっという間に頭上すぐのあたりに
降りてきたりするからだ。
「あれえ。亮はコウモリこわいの?」
美月は動物好きで、コウモリにも抵抗が無さそうだ。
「怖い訳じゃないけど。」
「あんなにちっちゃいのに。」
「大きさじゃないよ。」
美月は亮の背中を撫でた。
「平気だよ。飛んでるだけだから。」
美月の言いたいことは分からなくもないが
そこはかとない不気味さは、自分に危害を加えない
ものだとしても、それだけの問題ではないのだ。
「美月。」
「どうしたの?」
亮はいたずらっぽく笑う。
「怖いって言ったら元気づけてくれんの?」
その顔が何を考えているのか、何故かピンときた。
「往来で恥ずかしいことはイヤだからね!」
「恥ずかしいことって?俺なんにも言ってないぜ?」
亮は美月の腰を抱いて、自分に引き寄せる。
「歩きにくいよう。」
「あはは。二人三脚だ。」
「離してん!」
亮は美月の髪に顔を埋めて、チュッとわざと
大きな音をたてた。
「かわいいよ。」
「もう!離してったら!」
美月は亮の胸を押して、無理に体を離す。
亮は少しよろけて踊るようにステップを踏んだ。
「ほら。コウモリもあっちの方行っちゃったから。」
「えー。残念。」
美月は亮を置いて早足で歩き出した。
亮はすぐに追いついて、今度は触れずに並んで歩いた。
いつもは朝が苦手なのに、まだ薄暗い時間に
起きてしまった。
トイレで用を足し、また布団に戻る。
あと二時間は寝られる。亮は二度寝を楽しむべく
掛け布団を顔まで被った。
「トオル。」
耳元で自分の名前を呼ぶ声がした。
子どもの声だ。たどたどしい、幼稚園児のような。
家族は四人。父母と中3の妹。幼児はいない。
夢だな。夢の中で夢を自覚する、そんなことは
ままあるものである。
「トオル、イタヨ。トオル。」
「ややこしいな。」
あ。男の声がした。でもこの声は、どこかで
聞いたことがある。
「おい。チェリーボーイ。起きろ。」
「は?ケンカ売ってんのかよ!」
亮は布団から飛び起きて怒りを露にした。
「おはよ。」
目の前には、自分より少し大人びた、自分がいた。
「は、はあ?!」
「さすがに似てるな。」
その、自分そのものなほど自分に似ている男は
黒ずくめな格好で自分を見下ろしていた。
肩に、コウモリが二匹。
「うおあ!」
「あ、お前コウモリ苦手なんだ。最悪だな。」
男は楽しそうに笑った。
「トオル、ボクタチノコト、キライ、カ?」
「キライ、ナノ、カ?」
亮はコウモリが喋ってる、さすが夢だなと
思いながら彼らを観察した。
この二匹のコウモリは小さくて、瞳が黒く
くりっとしている。自分を悲しそうに見つめて
首を傾げている。
「こんなに可愛い俺の相棒たちが、怖いんだ?
お前は本当に"亮"なのか?信じられない!」
男は大袈裟な手振りで喋り、仕上げに手のひらで
顔を覆って天を仰いだ。
「え、あ、この子達は。かわいい、かも。」
亮は自分で自分が不思議だった。
このコウモリたちは、かわいい。
「ホントウニ?カワイイ、カ?」
二匹がおずおずと近づいてくる。
亮は自然と手を伸ばして二匹の頭を撫でてやった。
「キュウ!」
「キュウキュウ!」
二匹は嬉しそうに鳴いた。
翼をピタパタと小さくはためかせた。
「甘えてるんだ。可愛いだろ。」
「ああ。そうだな。」
亮は全世界のコウモリを肯定するわけでは
決してないが、この二匹のコウモリだけは
可愛いと認めた。
「それで。あんたは?」
亮は布団であぐらをかきながら、男を見上げる。
24~5に見えるその男は本当に自分そのものだ。
だが、亮は気づく。
自分と決定的に違うこと。
「八重歯。でかいな。石野真子よりでかい。」
「牙だからな。仕方がない。これでも俺は
まだ小振りな方だぜ?」
「牙?」
「ヴァンパイアは牙が命。」
「ヴ?ヴァンパイアあ?」
まあ、夢だから無くはない話だ。
亮は逆に乗っかってみたら、こいつから
冗談だよと言い出すんじゃないかと思った。
「吸血鬼ってやつか?俺の血は不味いから
吸わないでくれよ。」
「バカ。男の血は吸わねえよ。吸うのは女だ。」
何故か亮は背筋が寒くなった。
処女の生き血。
直感として美月に結び付いた。
「美月の血は吸うな!」
男は目を丸くした。
亮は言ってからまずいと思う。
自分から美月という大切な女の子の存在を
教えてしまうなんて、なんたる失態だろうか。
「美月、マジで処女なのか。」
「いや、あの、忘れて!あいつは」
亮は必死に美月の存在を誤魔化そうとするが
なぜか男はしたり顔で何度も頷いた。
「やっぱりお前はヘタレだなあ。」
「は?」
「惚れた女、目の前にしていつまで指咥えて
見てるつもりなんだよ。」
亮は考えてみた。
この男の言い回しは美月のことも
自分と美月の関係も、全てを知っている。
そういう認識に至る。
「お前は、誰なんだ?」
亮は夢だと分かっていながらも
居心地が悪すぎた。
ヴァンパイアだなんてふざけてる。
「俺は、長内亮だ。四人家族。」
「俺じゃねえか!」
「今の家族は、妻の美月と双子の息子たちの
四人家族だ。そして、このコウモリ兄弟。」
「えっ。」
妻の美月、双子の息子たちの件で
亮が真っ赤になる。
そんな日がいつか来るといい。
浮かれた考えがまるまる叶っている世界から
来た男なのだ。
「ヤッパリ、コノトオルハ、チガウトオル。」
「チガウトオル。」
二匹のコウモリは自分達の主人そっくりの
人間を、あらためて別人だと断じたのだ。
「そりゃあ、彼はまだ若いし。」
「ベッドニ、コウビノ、ニオイシナイ。」
「ヒトツモ、シナイ。」
コウビ?交尾っ!
「お前ら可愛いふりしてキツイこと言うな?!」
亮は反論する余地は微塵もなく、やり込められて
笑うしか選択肢がなかった。
「そうだよ。美月とは、まだキスしかしてない。」
「えー。俺は出会った夜に即抱いたよ?」
「そんなこと出来っかよ!!」
「コッチノトオル、ヘタレ。」
「ヘタレヘタレ。ウフフフ。」
「うっさい!!」
亮は大変気分を害したので、もう一度
寝ようと思う。違う夢を見よう。
「もう、起きなくていいのか?そろそろ7時だぜ?」
「えっ?」
時計を見ると6時54分。7時半には家を出て
少し遠回りで美月を迎えにいく。
つき合い始めてから、遅刻をしなくなった。
「顔洗お。」
もう夢はおしまいだ。
亮は部屋に亮とコウモリ兄弟を置き去りに
朝のルーティンをスタートさせた。
「兄貴珍しく早いじゃん。」
「おう。夢見が悪くて。目が覚めた。」
「どんな夢だったの?美月ちゃんに振られる夢とか?」
妹の悦子は悪趣味なことを言って
憎たらしくけらけら笑う。
「ばっか!美月と俺は結婚するんだよ!」
都合のいいところだけ抽出してみたら
すごくいい夢じゃん。
「え。兄貴拗らせすぎだよ。」
妹に思い切り引かれて、ちょっぴり傷つく。
朝飯を食って部屋に戻ると、あいつらは居なかった。
二度寝したとき見る夢は、いつもと少し違う。
そういうことにしておこう。
亮は着替えて、家を出た。
「亮。おはよう。」
おお。今朝も輝くばかりの愛らしさだ。
可愛いマイスイート。
「おはよう、美月。」
次の瞬間、美月の背中に黒い影が現れた。
亮は目をひん剥く。
その黒い影は、わざと下品にうひょひょと笑い
美月の首筋を指先で弄ぶようなゼスチャーをする。
顔を寄せて、牙を立てる振りをした。
「止めろ!馬鹿野郎!!」
「きゃあ!!」
美月にしてみれば、いつものように朝から鼻の下を
伸ばしていた亮が豹変して、憎悪剥き出しの顔で
飛びかかってきたのだから、驚いたし怯えていた。
「どうしちゃったの、亮ぅ。あたし何かした?」
「や、いや、何でもない!ごめん!」
亮は誤魔化すように、手の力を抜いて
美月をやさしく抱いた。
「朝っぱらからだめ!」
美月は亮を振り払いながらも、安心したように笑う。
『キスくらいすれば?挨拶のキスは基本だし
本来おはようのキスを怠るなんて重罪だぜ?』
好き勝手なことを言う亮を無視する亮。
あいつの言うことに踊らされたら日常生活破綻する。
自分は平凡な一高校生だ。
同級生のガールフレンドと、ささやかな恋をあたため
亀の歩みと謗りを受けるも仕方のないスピードの
遅さで、いっこうに一線は越えられないが
今はそれでも構わない。
「美月。」
「なあに?」
美月が"なあに"と甘く言うときは
機嫌がいいときだ。
亮もこんなときは息苦しく感じるくらいに切ない。
な、と来て、あ、を可愛く挟んできて、に、で上がる。
これっぽっちのことでじたばたするくらい嬉しい。
「今日も1日よろしく。」
「なに、亮ってば。変なのぅ。」
亮は美月の手をやさしく取って、指を絡める。
俗にいう恋人繋ぎであるが、美月はこれを多少
恥ずかしがるのである。
だが、今朝はご機嫌なようで。
「人がきたら。離して。」
わざときゅっと力を入れて握ってくれた。
「そんな、力入れなくてもいいよ。」
亮が分からないままに言うと
「だって。やさしく繋がれてるの、くすぐったい。」
美月は伏し目がちに返事をする。
本当はやさしく触れられると変な気分になる。
それは1日の始まりにはそぐわない
今の美月にとっては、もて余してしまう気分だった。
『お前は朴念仁か!』
亮は自分のすぐ隣に気配を感じた。
怒鳴りたいのを我慢した。
そして心の中で念じる。
『分かってるからだまっててくれよ。』
『一時間目くらいサボれよ。
今すぐにでも抱け。』
『そっちの美月はどうか知んないけど。
俺の美月はまだ子どもなんだよ。
怖がるんだ。自分が変わっちまうのが怖いんだ。』
『へえ。』
『俺は。ギリギリまでこいつのそばで
待っててやりたいんだ。口出さないでくれ。』
『わかったよ。』
亮はため息をつく。黒い気配は消え
コウモリ兄弟の笑う声が遠くに響いていた。
「どうしたの?」
亮は美月を引っ張って、電柱の裏に引きずり込む。
壁ドンよろしくブロック塀に押し付けて
唇にキスした。きちんと舌も絡めた。
離れ際に愛してるよと囁いて、もう一度
触れるだけのキスをした。
「亮!朝っぱらからだめって言ってるのにぃ!!」
美月は亮にバタバタと手を振り回しながら
突っかかって行くが、抱きつきたいのか
殴りたいのか、今一つ判別がしづらい。
亮は美月の体の暖かさを感じたくて
ぶたれるのを黙って我慢した。
「どうだった?夢の世界は。」
魔女のお庭番という眉唾なキャッチで有名な
ガマ男が営むドリームカプセル。
割引券をもらった亮は、話の種にと
60分コースを体験した。
「なんかすげえ可愛かったよ。」
どんな夢が見たいかと訊かれ
世界のどこかに自分がもう一人いるなら
会ってみたいとリクエストをしたのだった。
「シャイな自分と幼い彼女の辿々しいキスとか
とてもエキサイティングだったよ。楽しかった。」
ガマ男は首を傾げた。
そんなプログラムはいれていないよ。
亮も首を傾げる。
ま、いいか。
面白い夢だったからね。
「やっぱりあのいかにもコウモリって形が不気味だ。」
夕方に飛び回る小さいコウモリ。
学校帰りの二人は、歩く路地の遥か上
黄昏れた空に黒いシルエットが舞うのを見ていた。
「飛び方も鳥とは違って、飛膜ひらひらさせてるから
一目でコウモリだってわかるよね。」
くるくると回るように、あちこちへ方向を
変えながら翻るような飛び方をするから。
何故か不安を掻き立てられるんだよな。
亮はどちらかと言えば苦手なコウモリから
目が離せなくなる。あんなに上空を飛んでいるかと
思えばあっという間に頭上すぐのあたりに
降りてきたりするからだ。
「あれえ。亮はコウモリこわいの?」
美月は動物好きで、コウモリにも抵抗が無さそうだ。
「怖い訳じゃないけど。」
「あんなにちっちゃいのに。」
「大きさじゃないよ。」
美月は亮の背中を撫でた。
「平気だよ。飛んでるだけだから。」
美月の言いたいことは分からなくもないが
そこはかとない不気味さは、自分に危害を加えない
ものだとしても、それだけの問題ではないのだ。
「美月。」
「どうしたの?」
亮はいたずらっぽく笑う。
「怖いって言ったら元気づけてくれんの?」
その顔が何を考えているのか、何故かピンときた。
「往来で恥ずかしいことはイヤだからね!」
「恥ずかしいことって?俺なんにも言ってないぜ?」
亮は美月の腰を抱いて、自分に引き寄せる。
「歩きにくいよう。」
「あはは。二人三脚だ。」
「離してん!」
亮は美月の髪に顔を埋めて、チュッとわざと
大きな音をたてた。
「かわいいよ。」
「もう!離してったら!」
美月は亮の胸を押して、無理に体を離す。
亮は少しよろけて踊るようにステップを踏んだ。
「ほら。コウモリもあっちの方行っちゃったから。」
「えー。残念。」
美月は亮を置いて早足で歩き出した。
亮はすぐに追いついて、今度は触れずに並んで歩いた。
いつもは朝が苦手なのに、まだ薄暗い時間に
起きてしまった。
トイレで用を足し、また布団に戻る。
あと二時間は寝られる。亮は二度寝を楽しむべく
掛け布団を顔まで被った。
「トオル。」
耳元で自分の名前を呼ぶ声がした。
子どもの声だ。たどたどしい、幼稚園児のような。
家族は四人。父母と中3の妹。幼児はいない。
夢だな。夢の中で夢を自覚する、そんなことは
ままあるものである。
「トオル、イタヨ。トオル。」
「ややこしいな。」
あ。男の声がした。でもこの声は、どこかで
聞いたことがある。
「おい。チェリーボーイ。起きろ。」
「は?ケンカ売ってんのかよ!」
亮は布団から飛び起きて怒りを露にした。
「おはよ。」
目の前には、自分より少し大人びた、自分がいた。
「は、はあ?!」
「さすがに似てるな。」
その、自分そのものなほど自分に似ている男は
黒ずくめな格好で自分を見下ろしていた。
肩に、コウモリが二匹。
「うおあ!」
「あ、お前コウモリ苦手なんだ。最悪だな。」
男は楽しそうに笑った。
「トオル、ボクタチノコト、キライ、カ?」
「キライ、ナノ、カ?」
亮はコウモリが喋ってる、さすが夢だなと
思いながら彼らを観察した。
この二匹のコウモリは小さくて、瞳が黒く
くりっとしている。自分を悲しそうに見つめて
首を傾げている。
「こんなに可愛い俺の相棒たちが、怖いんだ?
お前は本当に"亮"なのか?信じられない!」
男は大袈裟な手振りで喋り、仕上げに手のひらで
顔を覆って天を仰いだ。
「え、あ、この子達は。かわいい、かも。」
亮は自分で自分が不思議だった。
このコウモリたちは、かわいい。
「ホントウニ?カワイイ、カ?」
二匹がおずおずと近づいてくる。
亮は自然と手を伸ばして二匹の頭を撫でてやった。
「キュウ!」
「キュウキュウ!」
二匹は嬉しそうに鳴いた。
翼をピタパタと小さくはためかせた。
「甘えてるんだ。可愛いだろ。」
「ああ。そうだな。」
亮は全世界のコウモリを肯定するわけでは
決してないが、この二匹のコウモリだけは
可愛いと認めた。
「それで。あんたは?」
亮は布団であぐらをかきながら、男を見上げる。
24~5に見えるその男は本当に自分そのものだ。
だが、亮は気づく。
自分と決定的に違うこと。
「八重歯。でかいな。石野真子よりでかい。」
「牙だからな。仕方がない。これでも俺は
まだ小振りな方だぜ?」
「牙?」
「ヴァンパイアは牙が命。」
「ヴ?ヴァンパイアあ?」
まあ、夢だから無くはない話だ。
亮は逆に乗っかってみたら、こいつから
冗談だよと言い出すんじゃないかと思った。
「吸血鬼ってやつか?俺の血は不味いから
吸わないでくれよ。」
「バカ。男の血は吸わねえよ。吸うのは女だ。」
何故か亮は背筋が寒くなった。
処女の生き血。
直感として美月に結び付いた。
「美月の血は吸うな!」
男は目を丸くした。
亮は言ってからまずいと思う。
自分から美月という大切な女の子の存在を
教えてしまうなんて、なんたる失態だろうか。
「美月、マジで処女なのか。」
「いや、あの、忘れて!あいつは」
亮は必死に美月の存在を誤魔化そうとするが
なぜか男はしたり顔で何度も頷いた。
「やっぱりお前はヘタレだなあ。」
「は?」
「惚れた女、目の前にしていつまで指咥えて
見てるつもりなんだよ。」
亮は考えてみた。
この男の言い回しは美月のことも
自分と美月の関係も、全てを知っている。
そういう認識に至る。
「お前は、誰なんだ?」
亮は夢だと分かっていながらも
居心地が悪すぎた。
ヴァンパイアだなんてふざけてる。
「俺は、長内亮だ。四人家族。」
「俺じゃねえか!」
「今の家族は、妻の美月と双子の息子たちの
四人家族だ。そして、このコウモリ兄弟。」
「えっ。」
妻の美月、双子の息子たちの件で
亮が真っ赤になる。
そんな日がいつか来るといい。
浮かれた考えがまるまる叶っている世界から
来た男なのだ。
「ヤッパリ、コノトオルハ、チガウトオル。」
「チガウトオル。」
二匹のコウモリは自分達の主人そっくりの
人間を、あらためて別人だと断じたのだ。
「そりゃあ、彼はまだ若いし。」
「ベッドニ、コウビノ、ニオイシナイ。」
「ヒトツモ、シナイ。」
コウビ?交尾っ!
「お前ら可愛いふりしてキツイこと言うな?!」
亮は反論する余地は微塵もなく、やり込められて
笑うしか選択肢がなかった。
「そうだよ。美月とは、まだキスしかしてない。」
「えー。俺は出会った夜に即抱いたよ?」
「そんなこと出来っかよ!!」
「コッチノトオル、ヘタレ。」
「ヘタレヘタレ。ウフフフ。」
「うっさい!!」
亮は大変気分を害したので、もう一度
寝ようと思う。違う夢を見よう。
「もう、起きなくていいのか?そろそろ7時だぜ?」
「えっ?」
時計を見ると6時54分。7時半には家を出て
少し遠回りで美月を迎えにいく。
つき合い始めてから、遅刻をしなくなった。
「顔洗お。」
もう夢はおしまいだ。
亮は部屋に亮とコウモリ兄弟を置き去りに
朝のルーティンをスタートさせた。
「兄貴珍しく早いじゃん。」
「おう。夢見が悪くて。目が覚めた。」
「どんな夢だったの?美月ちゃんに振られる夢とか?」
妹の悦子は悪趣味なことを言って
憎たらしくけらけら笑う。
「ばっか!美月と俺は結婚するんだよ!」
都合のいいところだけ抽出してみたら
すごくいい夢じゃん。
「え。兄貴拗らせすぎだよ。」
妹に思い切り引かれて、ちょっぴり傷つく。
朝飯を食って部屋に戻ると、あいつらは居なかった。
二度寝したとき見る夢は、いつもと少し違う。
そういうことにしておこう。
亮は着替えて、家を出た。
「亮。おはよう。」
おお。今朝も輝くばかりの愛らしさだ。
可愛いマイスイート。
「おはよう、美月。」
次の瞬間、美月の背中に黒い影が現れた。
亮は目をひん剥く。
その黒い影は、わざと下品にうひょひょと笑い
美月の首筋を指先で弄ぶようなゼスチャーをする。
顔を寄せて、牙を立てる振りをした。
「止めろ!馬鹿野郎!!」
「きゃあ!!」
美月にしてみれば、いつものように朝から鼻の下を
伸ばしていた亮が豹変して、憎悪剥き出しの顔で
飛びかかってきたのだから、驚いたし怯えていた。
「どうしちゃったの、亮ぅ。あたし何かした?」
「や、いや、何でもない!ごめん!」
亮は誤魔化すように、手の力を抜いて
美月をやさしく抱いた。
「朝っぱらからだめ!」
美月は亮を振り払いながらも、安心したように笑う。
『キスくらいすれば?挨拶のキスは基本だし
本来おはようのキスを怠るなんて重罪だぜ?』
好き勝手なことを言う亮を無視する亮。
あいつの言うことに踊らされたら日常生活破綻する。
自分は平凡な一高校生だ。
同級生のガールフレンドと、ささやかな恋をあたため
亀の歩みと謗りを受けるも仕方のないスピードの
遅さで、いっこうに一線は越えられないが
今はそれでも構わない。
「美月。」
「なあに?」
美月が"なあに"と甘く言うときは
機嫌がいいときだ。
亮もこんなときは息苦しく感じるくらいに切ない。
な、と来て、あ、を可愛く挟んできて、に、で上がる。
これっぽっちのことでじたばたするくらい嬉しい。
「今日も1日よろしく。」
「なに、亮ってば。変なのぅ。」
亮は美月の手をやさしく取って、指を絡める。
俗にいう恋人繋ぎであるが、美月はこれを多少
恥ずかしがるのである。
だが、今朝はご機嫌なようで。
「人がきたら。離して。」
わざときゅっと力を入れて握ってくれた。
「そんな、力入れなくてもいいよ。」
亮が分からないままに言うと
「だって。やさしく繋がれてるの、くすぐったい。」
美月は伏し目がちに返事をする。
本当はやさしく触れられると変な気分になる。
それは1日の始まりにはそぐわない
今の美月にとっては、もて余してしまう気分だった。
『お前は朴念仁か!』
亮は自分のすぐ隣に気配を感じた。
怒鳴りたいのを我慢した。
そして心の中で念じる。
『分かってるからだまっててくれよ。』
『一時間目くらいサボれよ。
今すぐにでも抱け。』
『そっちの美月はどうか知んないけど。
俺の美月はまだ子どもなんだよ。
怖がるんだ。自分が変わっちまうのが怖いんだ。』
『へえ。』
『俺は。ギリギリまでこいつのそばで
待っててやりたいんだ。口出さないでくれ。』
『わかったよ。』
亮はため息をつく。黒い気配は消え
コウモリ兄弟の笑う声が遠くに響いていた。
「どうしたの?」
亮は美月を引っ張って、電柱の裏に引きずり込む。
壁ドンよろしくブロック塀に押し付けて
唇にキスした。きちんと舌も絡めた。
離れ際に愛してるよと囁いて、もう一度
触れるだけのキスをした。
「亮!朝っぱらからだめって言ってるのにぃ!!」
美月は亮にバタバタと手を振り回しながら
突っかかって行くが、抱きつきたいのか
殴りたいのか、今一つ判別がしづらい。
亮は美月の体の暖かさを感じたくて
ぶたれるのを黙って我慢した。
「どうだった?夢の世界は。」
魔女のお庭番という眉唾なキャッチで有名な
ガマ男が営むドリームカプセル。
割引券をもらった亮は、話の種にと
60分コースを体験した。
「なんかすげえ可愛かったよ。」
どんな夢が見たいかと訊かれ
世界のどこかに自分がもう一人いるなら
会ってみたいとリクエストをしたのだった。
「シャイな自分と幼い彼女の辿々しいキスとか
とてもエキサイティングだったよ。楽しかった。」
ガマ男は首を傾げた。
そんなプログラムはいれていないよ。
亮も首を傾げる。
ま、いいか。
面白い夢だったからね。