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赤間神宮


  『壇ノ浦古戦場跡』で触れたように、壇ノ浦の戦いの際、わずか8歳であった安徳天皇は、二位の尼に抱かれ、憐れ壇ノ浦の海中に沈みますが、そのご遺体は、翌日、地元の漁師の網に掛かり、紅石山麓にあった阿弥陀寺境内に埋葬されと伝承されております。
  その地こそが、現在の『赤間神宮』となります。

  赤間神宮は、1191年、勅命により御影堂が建立され、そのため江戸時代までは、「安徳天皇御影堂」と呼ばれたようです。
明治の神仏分離にて、阿弥陀寺は廃止となり、天皇宮となり、その後、赤間宮と改称され、昭和15年に『赤間神宮』となり、現在に至っております。
  


 
 「赤間神宮」


 



 竜宮城をイメージした建物となっております。
 平家物語の中で、安徳天皇の母である建礼門院が、亡くなった二位の尼や安徳天皇、平家一門の人々が立派な宮殿(竜宮城)に居るのを夢の中で見たというくだりがあるのですが、それでこのような建物になったのでしょうね。
 



 赤間神宮から、壇ノ浦の地を見る



 安徳天皇阿弥陀寺陵



 七盛塚

平家一門の墓となります。



 「芳一堂」
 耳なし芳一の話は、ここ赤間神宮(当時は阿弥陀寺)がその舞台となっております。芳一堂も七盛塚のすぐ脇にあります。


 赤間神宮には、宝物殿もあり、そこには源平合戦絵屏風や平家一門の肖像画もあったりして、是非、ここにも足を運んでみてください^^

 大河ドラマ「平清盛」は視聴率の低さが話題になっていますが、この赤間神宮や壇ノ浦古戦場跡を実際に訪れてみると、そのような事とは関係なく無性に感慨深くさせられますね。


 『赤間神宮』
 住所:山口県下関市阿弥陀寺町4- 1







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