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常立寺

 『常立寺(じょうりゅうじ)』の起原は、近くにある龍ノ口刑場で処刑された罪人たちが葬られた地を「誰姿森(たがすのもり)」と云いましたが、その地で罪人達を供養するため建立されたのが始まりとされています。
 当初は「回向寺(えこうじ)」という真言宗の寺院だったそうですが、1532年に日豪により日蓮宗の寺院となり、現在に至ります。


「常立寺」


「本堂」



 『常立寺』には、元冦の際、元の使者であった「杜世忠(1241~1275)」達5人のお墓があります。杜世忠は、元の使者として「文永の役」の翌年の1275年4月に長門国室津(山口県下関市)に上陸しますが、すぐに捕えられ、鎌倉に送られた後の9月7日に龍ノ口で処刑されました。


「元使塚」と「元使5人の墓」


 「元使塚」は、大正15年に時の住職によって建てられたそうです。


「杜世忠」達、元使5人の墓

 青色の布が巻かれていますが、青色はモンゴルでは、英雄を表わす色だそうです。大相撲の藤沢場所の際、朝青龍等のモンゴル人力士が訪れ、新調されるそうです。ちなみに「杜世忠」はモンゴル人になります。


「杜世忠辞世の句」


石碑には「杜世忠」の辞世の句『出門妻子贈寒衣 問我西行幾日帰 来時儻佩黄金印 莫見蘇秦不下機』 が刻まれています。

 門を出ずるに妻子は寒衣を贈り
 我に問う、西行幾日にして帰ると
 来る時もし黄金の印を帯びたれば
 蘇奏を見て機を下らざるなかれと

 自分なりに意味を訳してみますと・・・
 「家を出る時、妻子は寒さを凌ぐ衣服を自分に贈ってくれ、いつ帰ってくるのかと聞いた。帰って来た時、もし黄金の印綬を帯びていたらば、蘇秦を見て機織の手を休めなかったことはないでしょう。(機織りの手を休め迎えてくれるでしょう)。」という感じですかね。
 補足すると、黄金の印綬を帯びるとは、この日本との交渉に成功して出世することを言い、また、蘇秦とは、中国の戦国時代の遊説家となりますが、ここの下りは、蘇秦が君主を説いて回るも失敗して家に帰った際、両親は口もきかず、妻は機織りの手を休めず、兄嫁はご飯も作ってくれなかったという故事を踏まえてのものです。



 『常立寺』は元寇ゆかりの寺院となります。そして、元使達の墓を見ると、日本から敵国である元の使者にも関わらず、お墓を建て、その菩提を弔うとは、何だか人の優しさを感じるものではないでしょうか。
 なお、「杜世忠」と共に処刑された副使「河文著」と通訳「徐賛」の辞世の句も境内にありますので、よければ来られた際に確認してみてくださいね^^



「行き方」
湘南モノレール「湘南江ノ島駅」下車、「カフェ・マリソル」側に出たら、右に進むと右手にあります。1~2分程で到着します。

湘南モノレールの「湘南江ノ島駅」から、こちらの出口から出て、右に進みます。まぁ、反対側に出ても左に行けば着きますけどね。




『常立寺』
住所:神奈川県藤沢市片瀬3-14-3
電話:0466-26-1911
拝観料;境内自由

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