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100%シンガポールライフ (旅行と写真) Singapore life

写真4000枚以上。海外生活9年目の管理人が、ありのままのシンガポールの姿をご紹介。シンガポールって面白い。

イス

2008年11月03日 | ひとり言
シンガポールではこのような小型のイスがあちらこちらで売られています。



結構、使い勝手がいいようです。

ちょっと腰掛けたり、高い所にあるもの取るために。。。。



ある日、HDBフラットのお宅の前を通りました。

普通は、玄関は一つですが、そこのお宅は台所にも玄関がついていました。

両方のドアは全開。中が丸見えでした。

居間では、そこの家の家族全員がそろってご飯を食べていました。

台所では、メイドが、上の写真のようなイスに腰をおろし、

一人さびしく、台所の床を見ながら、どんぶりを片手にご飯を食べていました。

もちろんテーブルなどはありません。

だんな様の話によると、メイドは、家族の一員ではないので、ご飯を一緒に食べないのだそうです。

なんだが、とてもかわいそうでした。

就職活動

2008年10月29日 | ひとり言
今日は、グレースが経験した就職活動について書いてみます。

シンガポールで仕事を探す時は、人材派遣会社に登録するのが一般的です。

グレースもいくつかの人材派遣会社に登録しましたが、

教員の経験しかなかったので、就職活動をするのはとても不利でした。



一番最初に登録するために面接に行った人材派遣会社では、

「以前は、教員ですか。。。。ってことは、会社で働いたことがないってことですよね。

うちだけでなくてもシンガにはたくさん人材派遣会社がありますよ。他を当たってみたらどうですか。」と言われました。



しかし、グレースに好意的な人材派遣会社もあり、いくつか面接までこぎつけることができました。


ある外資銀行の面接にも行きました。

人材派遣会社の方の話では、急募の求人なのに、数ヶ月も人材を探しているとのこと。。。

前任の日本人女性が仕事をすぐにやめたそうで、

採用側もかなり慎重であることが面接をしているうちにわかってきました。


「グレースさん、プレシャーに耐えられるの?」と聞かれたと思ったら、

「人前で泣くことあんの?」とも聞かれました。

前任者が泣いたことがあるにちがいねえええ。。。。

恐ろしい面接でした。



面接官(シンガ人)がジーンズをはいていた外資の会社がありました。

金曜日、カジュアルデーだったからでしょうか?



他には、白人さんの面接官に、「グレースさん、TOEICって何これ?

日本人よく、レジメに書いてるんだけど。。。」と言われたこともありました。


あああああ


いくつか面接に行って、やっと今の会社に運良く採用されました。

面接官だったGMに言われました。

「グレースさん、前は教員? バイトでも何でもいいから、会社で働いたことあんの? 

これだったらうちの中学生の子供に英語、教えてもらた方がいいや。

っと言っても、今、日本なんだけどね。僕、単身赴任。


教員の転職、厳しいのが現実です。

ぜんぜん参考にならないでしょうが、グレースの就職活動の経験でした。

ひったくり

2008年10月25日 | ひとり言
グレースの近くに座っているシンガ人(女)の同僚、

寝不足な感じで、いつもよりもちょっと遅れて会社に到着。


なんでも、前日の夜9時ごろ、バス停で引ったくりにあい、

手に持っていた携帯電話とお財布を取られちゃったそうです。

犯人は、どうやら、不法滞在している若い中国人(男)。

もちろん、警察に通報しました。

バス停には、老人が2、3人いるだけで、誰も助けてくれる人はいませんでした。

財布と携帯を取った中国人らしき男は、走って逃げていったそうです。

グレースの同僚、その後を追いかけたとか。。。。。。


次の日、会社にきてみんなに言って歩いてました。

みんな、驚いた様子。

「いやあ、新聞ねただね」と言っている人もいました。



日本語を少し勉強しているその同僚、

「グレースさん、この漢字、なんて読むの?」と言いながら、グレースに紙を渡してきました。

紙には、「強盗」と書かれていました。


最近シンガも物騒になってますので、お気をつけくださいませ。

(引ったくりの場所は、BUKIT MELAH ブキメラ)です。

シンガポールの法律

2008年10月23日 | ひとり言
シンガポールの法律が厳しいことは誰でも知っていると思いますが、

その起源はどこにあるのでしょうか?


実は、第2次世界大戦中の日本のシンガポール占領時代に、

リー・クアンユーの身に起ったある出来事がきっかけです。



ある日のこと、リー・クアンユーは橋を渡ろうとしました。


橋には、「橋を渡る前に、日本兵におじぎをすべし」と中国語で注意書きが書かれてあったのですが、

中国語があまりできなかったリー・クアンユー、お辞儀をしないで橋を渡ろうとしました。


その瞬間、


橋の入り口に立っていた日本兵にいきなり殴らちゃいます。


殴れた時に、リー・クアンユー、思ったんだそうです。


「そうか、ルールが厳しければ、みんな従うんだっ」と。


「日本がシンガを占領した2年半は、自分にとって考えさせられる経験であった」と後に語っています。


だからでしょうが、ムチ打ちの刑など作っちゃったりして。。。。


厳しいシンガの法律の起源、実は日本と関連がありました。



おまけ
リー・クアンユーについて。 (ウィキペディアより)

英語を話す家系に生まれたクアンユーは、幼くして英語教育を受けた。祖父のフンロンからは、Kuan Yewとともに、Harryという英語名も授けられ、家族や親しい友人からは、現在でも“Harry”と呼ばれている。

青年時代。
テロク・クラウ小学校、ラッフルズ学院を経て、ラッフルズ大学で学んでいたが、太平洋戦争の勃発に伴う1942年の日本軍によるシンガポール占領に伴い、学業を中断せざるを得なくなった。その間は、タピオカを利用して作った“スティックファス”という接着剤を闇市で売って生計を立てていた。また、同年より日本語と中国語の学習を始め、翌1943年から1944年までの間、日本側と協働して、昭南特別市の報道部において、連合国の通信を盗聴した内容を翻訳する業務に従事した。

日系の英会話学校を制覇

2008年10月22日 | ひとり言
シンガポールの在住の駐在員の奥様と話す機会がありました。

シンガポールに住み始めて1年。

英語がまったく上達していないことに嘆いておられました。

(話しぶりからして、もっと英語がうまくなっていると思っていた様子。)

シンガポールにある日系の英会話学校すべてに通ったそうです。

しかし、どこへ行ってもこれといった効果が得られなかったのです。

グレースが知らない日系の英会話学校の名前まで挙げていました。

「英会話学校なんて、暇な人が時間つぶしに行くようなもんね。」とも言ってました。

今度は、大手イギリス系の英会話学校へ行くことに決めたそうです。

やる気満々でした。

結果はいかに。。。。


グレースも日本に在住の時は、いろいろな英会話スクールに通っていたことがありますが、

上記の駐在員の奥様と一緒で、英語が上達したなと思ったことは一度もありません。

英語の上達の上で、一番効果があったと思っているのが、「音読とシャドーイング」。

でも、同じ英文を10回20回やっただけでは、全然だめです。

100回、200回と繰り返し練習します。

音読とシャドーイングで練習した表現が脳の中に蓄積されます。

それが自然と普段の英会話の中で出てきているような感じがします。

努力しないと、英語は上達しませんねえ。。。。。。