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100%シンガポールライフ (旅行と写真) Singapore life

写真4000枚以上。海外生活9年目の管理人が、ありのままのシンガポールの姿をご紹介。シンガポールって面白い。

シンガポールの法律

2008年10月23日 | ひとり言
シンガポールの法律が厳しいことは誰でも知っていると思いますが、

その起源はどこにあるのでしょうか?


実は、第2次世界大戦中の日本のシンガポール占領時代に、

リー・クアンユーの身に起ったある出来事がきっかけです。



ある日のこと、リー・クアンユーは橋を渡ろうとしました。


橋には、「橋を渡る前に、日本兵におじぎをすべし」と中国語で注意書きが書かれてあったのですが、

中国語があまりできなかったリー・クアンユー、お辞儀をしないで橋を渡ろうとしました。


その瞬間、


橋の入り口に立っていた日本兵にいきなり殴らちゃいます。


殴れた時に、リー・クアンユー、思ったんだそうです。


「そうか、ルールが厳しければ、みんな従うんだっ」と。


「日本がシンガを占領した2年半は、自分にとって考えさせられる経験であった」と後に語っています。


だからでしょうが、ムチ打ちの刑など作っちゃったりして。。。。


厳しいシンガの法律の起源、実は日本と関連がありました。



おまけ
リー・クアンユーについて。 (ウィキペディアより)

英語を話す家系に生まれたクアンユーは、幼くして英語教育を受けた。祖父のフンロンからは、Kuan Yewとともに、Harryという英語名も授けられ、家族や親しい友人からは、現在でも“Harry”と呼ばれている。

青年時代。
テロク・クラウ小学校、ラッフルズ学院を経て、ラッフルズ大学で学んでいたが、太平洋戦争の勃発に伴う1942年の日本軍によるシンガポール占領に伴い、学業を中断せざるを得なくなった。その間は、タピオカを利用して作った“スティックファス”という接着剤を闇市で売って生計を立てていた。また、同年より日本語と中国語の学習を始め、翌1943年から1944年までの間、日本側と協働して、昭南特別市の報道部において、連合国の通信を盗聴した内容を翻訳する業務に従事した。


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