日曜日に大磯の旧吉田茂邸に行ってきました.
日本造園学会関東支部主催「第9回関東地域の造園遺産見学会」に師匠のお誘いでねこまたさんと特別参加です.
参加者は日本造園学会のメンバーの他,大磯ガイドボランティア協会の方々や公園化計画に携わっている野村勘治さん,Hさんなど.
昨年2009年3月22日に,原因不明の出火により本邸は消失してしまいましたが・・・
師匠の師匠,造園家「中島健」の作品を見られるし,政界の大物だった吉田茂が晩年過ごした場所ってどんな感じなのかなぁ~くらいの気持ちで参加してみました.
しかし参加してみて,この見学会には以下の重要なポイントがあることがわかりました.
・中島健という造園家の仕事(これはモチロン).
・吉田茂という政治家と人間性と庭の関係.
・個人のキャラクターや生活感を偲ぶ事が出来るような歴史,文化の伝承としての都市公園のあり方について
まず木陰のせいでとても涼しい入り口の門を入り,
駐車場,バラ園跡を通り過ぎるとバリケードで覆われた兜門があらわれます.
本邸消失前の昔の写真.門の上には松の枝が伸びているように見えます.
現在の門.植生が変わっているようにも見えます.
兜門のモデルになったと思われる裏千家今日庵の兜門.そっくりですね.
建物が焼失してしまい,その後放置されたため植栽が荒れてしまったり,樹木が大きくなってしまって作庭当初とはかなり鬱蒼としているようでした.
玄関への緩やかな敷石のカーブ.
現在の様子.建物がないのでわかりにくいですが,たぶん,建物があったとしてもこの状態では見る事はできなさそうです.
地形も建物も見通す事が出来,あっさりさっぱり気持ちの良いアプローチ.
(大磯町旧吉田邸再建基金パンフレットより)
敷石の園路の緩やかなカーブ,土地の緩やかな線が見えるところ・・・ここらあたりが中島健らしさ,といえるところだそうです.
また,日本庭園に花の色・美しさを導入した造園家でもあり,この作庭当時は本格的に目覚める前だったらしいのですが,当時この芝生にパンジーを植えたそうです.
その結果,中島健も吉田茂もパンジーはいまいち・・・・ということで結局はとってしまったとか.
物事には何でもこなれていない時期があり,始まりがあるという面白いエピソードですね.
この緩やかな坂を上ると総檜作りの近代数寄屋風建築があるはずだったのですが・・・
無惨な焼け跡しか残っていませんでした.
建物の二階から上ってきた道を見降ろすと,手前に庭園,池,そしてエノキ(下の写真中央の木)の向こうに富士山が見えたそうで,吉田茂の最もお気に入りの絶景スポットだったということです.
つまり,ここのテーマは作られた庭ではなく,大きなスケールの景色を楽しむための庭ということになるのです.
今は池も見えず,まわりの樹木ももさもさで遠景が見えなくなっていますが,公園整備を進めていく時に重要な視軸として意識されることになるようです.
まだまだつづく・・・
日本造園学会関東支部主催「第9回関東地域の造園遺産見学会」に師匠のお誘いでねこまたさんと特別参加です.
参加者は日本造園学会のメンバーの他,大磯ガイドボランティア協会の方々や公園化計画に携わっている野村勘治さん,Hさんなど.
昨年2009年3月22日に,原因不明の出火により本邸は消失してしまいましたが・・・
師匠の師匠,造園家「中島健」の作品を見られるし,政界の大物だった吉田茂が晩年過ごした場所ってどんな感じなのかなぁ~くらいの気持ちで参加してみました.
しかし参加してみて,この見学会には以下の重要なポイントがあることがわかりました.
・中島健という造園家の仕事(これはモチロン).
・吉田茂という政治家と人間性と庭の関係.
・個人のキャラクターや生活感を偲ぶ事が出来るような歴史,文化の伝承としての都市公園のあり方について
まず木陰のせいでとても涼しい入り口の門を入り,
駐車場,バラ園跡を通り過ぎるとバリケードで覆われた兜門があらわれます.
本邸消失前の昔の写真.門の上には松の枝が伸びているように見えます.
現在の門.植生が変わっているようにも見えます.
兜門のモデルになったと思われる裏千家今日庵の兜門.そっくりですね.
建物が焼失してしまい,その後放置されたため植栽が荒れてしまったり,樹木が大きくなってしまって作庭当初とはかなり鬱蒼としているようでした.
玄関への緩やかな敷石のカーブ.
現在の様子.建物がないのでわかりにくいですが,たぶん,建物があったとしてもこの状態では見る事はできなさそうです.
地形も建物も見通す事が出来,あっさりさっぱり気持ちの良いアプローチ.
(大磯町旧吉田邸再建基金パンフレットより)
敷石の園路の緩やかなカーブ,土地の緩やかな線が見えるところ・・・ここらあたりが中島健らしさ,といえるところだそうです.
また,日本庭園に花の色・美しさを導入した造園家でもあり,この作庭当時は本格的に目覚める前だったらしいのですが,当時この芝生にパンジーを植えたそうです.
その結果,中島健も吉田茂もパンジーはいまいち・・・・ということで結局はとってしまったとか.
物事には何でもこなれていない時期があり,始まりがあるという面白いエピソードですね.
この緩やかな坂を上ると総檜作りの近代数寄屋風建築があるはずだったのですが・・・
無惨な焼け跡しか残っていませんでした.
建物の二階から上ってきた道を見降ろすと,手前に庭園,池,そしてエノキ(下の写真中央の木)の向こうに富士山が見えたそうで,吉田茂の最もお気に入りの絶景スポットだったということです.
つまり,ここのテーマは作られた庭ではなく,大きなスケールの景色を楽しむための庭ということになるのです.
今は池も見えず,まわりの樹木ももさもさで遠景が見えなくなっていますが,公園整備を進めていく時に重要な視軸として意識されることになるようです.
まだまだつづく・・・