ゆる仙人さんから”西葛西でヨガ教室をやっております63才です。昔、山手さんが「インドの瞑想は間違っている」と言ったと聞いて居るんですが、何がどう間違っていると言っていたのか、どなたか知っておりましたら教えて欲しいのですが。”なるコメントを頂きました。
雑誌Meditationの1978年冬季号に山手国弘と横尾忠則の”カルマからの脱出”なるタイトルの対談が記載されています。。その中の一部に次の記述が有ります。
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インドは偉大な遺産と誤解の国
山手
肉体自身もこれはインドでは誤解されていると思うんです。純粋精神と物質をわけて解脱するには純粋精神が物質である肉体から離脱をして、再び肉体の中へ再生してこないような、あの世へ行ってしまう。非世界にいってしまう。ちょうど「2001年宇宙の旅」というのがありましたね。あれがそうなんです。あれがヨーガのイメージなんですよ。木星の近くの宇宙の断面に宇宙船が突っこんでゆくところがありましたね。光が流れてましたね。あれは非世界に突きぬけていく、昔から伝わっているヨーガのイメージそのままなんです。アーサー・クラークはそれを知っていて引用したわけです。魂が上昇する世界ね。
しかし、いま現代流に考えると、それも誤りだと思うんです。まあ、インドは膨大な遺産を残してくれましたが、現在に立って考えると、仏教ももちろん含めて、ヒンドゥー教、バラモン教、ジャイナ教もそうですが、インドの原点には、偉大な遺産と、偉大な誤解があり、数千年の迷妄と、数千年の原理をつかんだ真理があるということ、それで原点は何かというとブラフマンということです。人間の中のブラフマンはアートマンですね。で、これは確かに真理だと思います。それは実際、体が体験しているわけです。
ところが迷妄は何かというとカルマ論なんです。インドのカルマ論のベースは、もっぱら物質論ですから、物質は不浄なものであって、物質界というのはどんな宇宙でも解脱できないから、天体も何もない非世界のような宇宙に行かなければ、魂だけの純粋世界はないということになります。それが解脱なんです。仏教では魂が肉体的な拘束から段階的に飛び去ってしまうこと、ジャイナ教では魂を汚染している物質や肉体を消してしまうことが解脱です。
どちらにしても肉体という物質系から、地球という物質系から飛び去ろうという判断です。これは明らかに誤りだと思います。
なぜかというと、肉体も地球も全部ブラフマンですからね。ただそこで問題になるのは、明らかに仏教なんかでも、人間が自己忘却しているというような発想があるんですが、その自己忘却というのが、もうひとつはっきり出てこない。その理由は、現代の物質観いうものと違った物質観を持っていたんだと思うんです。現代の物質観は陽子と反陽子がシンクロサイクロンの中でぶつかると消えてしまって、宇宙エネルギーになりますよね。これはブラフマン以外の何者でもないんですね。ということは、もし横尾さんと反横尾さんというのがあって、ふたりがぶつかったら横尾さんは消えちゃうわけですね。消えちゃうってことは、元に還るわけです。ということは本来横尾さんはブラフマン人間、横尾さん自体が大宇宙ですね。ブラフマンです。結局横尾さんというのは何かというと全宇宙そのものであるという定義しかないと思うんです。なぜかというと、全宇宙につながらない渦というものはないでしょう。たとえば、現代の物理学でそれははっきりと捉えている。ひとつの素粒子があったとします。それは場と量子からなりたっていますね。たとえば、中性子の場がどこまで広がっているかというと全宇宙だというのが現代物理学の考え方で、そうならざるをえないというのです。すなわち、素粒子の集まりである横尾さんというものも、全宇宙であるということです。と同時にゴキブリも全宇宙そのもので、結局は全部が連続体なんですね。
自己忘却のブラフマン
横尾
そういうことですね。
山手
とすれば、人間の考えている価値は夢幻(マヤ)だということです。それから、人間が自分自身がブラフマンであるということを忘れている自己忘却の段階にあるときは、いろいろな人間像、自我像が出るでしょうが、あっ、自分がブラフマンだったということを体で感じて思い出したらどうするか、ということなんです。その時は派閥や宗派や人種、国境はもちろん、思想と宗教が消えると思うんです。
横尾
永遠の平和があるという感じがしますね。それはブラフマンの認識というか、知覚ですね。それが全人類におこった場合には、まったく平和というか、争いのない・・・・・・。
山手
むしろ、我われはそこに向っているのではないでしょうか。
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雑誌Meditationの1978年冬季号に山手国弘と横尾忠則の”カルマからの脱出”なるタイトルの対談が記載されています。。その中の一部に次の記述が有ります。
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インドは偉大な遺産と誤解の国
山手
肉体自身もこれはインドでは誤解されていると思うんです。純粋精神と物質をわけて解脱するには純粋精神が物質である肉体から離脱をして、再び肉体の中へ再生してこないような、あの世へ行ってしまう。非世界にいってしまう。ちょうど「2001年宇宙の旅」というのがありましたね。あれがそうなんです。あれがヨーガのイメージなんですよ。木星の近くの宇宙の断面に宇宙船が突っこんでゆくところがありましたね。光が流れてましたね。あれは非世界に突きぬけていく、昔から伝わっているヨーガのイメージそのままなんです。アーサー・クラークはそれを知っていて引用したわけです。魂が上昇する世界ね。
しかし、いま現代流に考えると、それも誤りだと思うんです。まあ、インドは膨大な遺産を残してくれましたが、現在に立って考えると、仏教ももちろん含めて、ヒンドゥー教、バラモン教、ジャイナ教もそうですが、インドの原点には、偉大な遺産と、偉大な誤解があり、数千年の迷妄と、数千年の原理をつかんだ真理があるということ、それで原点は何かというとブラフマンということです。人間の中のブラフマンはアートマンですね。で、これは確かに真理だと思います。それは実際、体が体験しているわけです。
ところが迷妄は何かというとカルマ論なんです。インドのカルマ論のベースは、もっぱら物質論ですから、物質は不浄なものであって、物質界というのはどんな宇宙でも解脱できないから、天体も何もない非世界のような宇宙に行かなければ、魂だけの純粋世界はないということになります。それが解脱なんです。仏教では魂が肉体的な拘束から段階的に飛び去ってしまうこと、ジャイナ教では魂を汚染している物質や肉体を消してしまうことが解脱です。
どちらにしても肉体という物質系から、地球という物質系から飛び去ろうという判断です。これは明らかに誤りだと思います。
なぜかというと、肉体も地球も全部ブラフマンですからね。ただそこで問題になるのは、明らかに仏教なんかでも、人間が自己忘却しているというような発想があるんですが、その自己忘却というのが、もうひとつはっきり出てこない。その理由は、現代の物質観いうものと違った物質観を持っていたんだと思うんです。現代の物質観は陽子と反陽子がシンクロサイクロンの中でぶつかると消えてしまって、宇宙エネルギーになりますよね。これはブラフマン以外の何者でもないんですね。ということは、もし横尾さんと反横尾さんというのがあって、ふたりがぶつかったら横尾さんは消えちゃうわけですね。消えちゃうってことは、元に還るわけです。ということは本来横尾さんはブラフマン人間、横尾さん自体が大宇宙ですね。ブラフマンです。結局横尾さんというのは何かというと全宇宙そのものであるという定義しかないと思うんです。なぜかというと、全宇宙につながらない渦というものはないでしょう。たとえば、現代の物理学でそれははっきりと捉えている。ひとつの素粒子があったとします。それは場と量子からなりたっていますね。たとえば、中性子の場がどこまで広がっているかというと全宇宙だというのが現代物理学の考え方で、そうならざるをえないというのです。すなわち、素粒子の集まりである横尾さんというものも、全宇宙であるということです。と同時にゴキブリも全宇宙そのもので、結局は全部が連続体なんですね。
自己忘却のブラフマン
横尾
そういうことですね。
山手
とすれば、人間の考えている価値は夢幻(マヤ)だということです。それから、人間が自分自身がブラフマンであるということを忘れている自己忘却の段階にあるときは、いろいろな人間像、自我像が出るでしょうが、あっ、自分がブラフマンだったということを体で感じて思い出したらどうするか、ということなんです。その時は派閥や宗派や人種、国境はもちろん、思想と宗教が消えると思うんです。
横尾
永遠の平和があるという感じがしますね。それはブラフマンの認識というか、知覚ですね。それが全人類におこった場合には、まったく平和というか、争いのない・・・・・・。
山手
むしろ、我われはそこに向っているのではないでしょうか。
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