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勝山神社本来の場所に来た。参道両脇は氏子さん達によって木々が切り倒されている。熱心さが伝わってくる。
北九州は藤原広嗣の乱の戦場地である。板櫃川を挟んで討伐軍(東岸)と広嗣軍(西岸)が対峙。
藤原広嗣は太宰少弍に命ぜられたことで左遷と勘違いしてしまったことから始まったというのが定説である。
740年斬首されるも地元では善政をしいたとされる。
画面左下祠のあるのが判ると思うが、石室の上に祀られているようだ。封土が完全に剥ぎ取られ石室が露出している。
私有地なので勝手に入って行くわけにはいかない。20m以下の前方後円墳のように見える。古墳だらけの地だからな。
福岡県の地名は神功皇后と応神天皇の事蹟由来によるところが多い。日本国内はほとんどがそのようである。そんな由緒ある名前を捨ててしまえるというのはあっけらかんとした世の中になったものだと思うばかりである。
ここを訪れる度にそのようなことを思い出してしまう。