後円部の前方を見ている。
括れの部分がはっきりと判るだろう。気持ちが良いぞ。なにせ天気がいいからな。
前方部を見ているが判りにくいな。どうせなら立木も伐採してくれれば有り難いと言ったところかな。
後円部を見ている。括れにあたる部分の草を刈っているところだ。
登頂した。前方部を見ている。草刈りの途中を邪魔しないように。こうしてみるとちゃんと管理してくれているぞ。有難い有難い。
括れの部分に立って後円部を見ている。行ってみたくなるだろ。しかもいい天気なんだなこれが。
見えてきたぞ。見えてきたぞ。ワクワクするぞ。うーむ、大きいな。
前方部を見ている。どきどきだろ。
前日の記事を見て頂けたと思うが説明による写真をよく見ると築造された痕跡が見えるだろう。志布志湾岸における前方後円墳の最終段階であろうと目されている。大和連合国の一つなのであろうが・・・うーむ、皇室の御先祖はどのようにして取り込んだのだろうか。古事記や日本書紀には全くもってこのような記事が無いからな。
鹿児島県曾於郡大崎町志布志湾岸にそって所在する濠を巡らす墳長134mの前方後円墳で、前方部が長く発達している。墳丘は三段築盛で埴輪が巡らされていた。円筒埴輪や、形象埴輪も検出されている。主体部は竪穴式石室である。本来ならば周囲に陪塚があったのだが残念なことにその総てが削平されており、この古墳だけが残されている。おっと、5世紀後半に築造されていることを言っておかねばな。