二村嘉一のネオジャパニズム

 世界の中で生きて行く、私達の創る新しい日本の形とは

 夢を見る。

2010年07月01日 00時00分00秒 | 日記・エッセイ・コラム
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 今の日時は

06月27日(日)

午後21時46分です。

今日は3本目です

これを書き終えたら

もう寝ます。

いろいろ考えてみて

僕は、この41歳という

年齢になって、

何を得たんだろうと

そう思います。

地位も名誉もお金も無いし

女房も子供も恋人もいないし

仕事さえ無い。

この歳になると

確かなものが欲しいけど

家も無いし

信用も無いから

車も買えない。







 でも、確かなものは

本当は、自分しかないのかなと

そう思います、

子供の頃は

今の年齢は

とてつもなく大人に見えたし

実際、大人だったのだと

思う、あの頃の41歳は。

でも、今になって

自分が41歳になると

案外、周りは落ち着いて

子供と家のローンを

同時に所有をしていて

着実だけど

夢も希望もあまり

感じられ無いような

少し窮屈な生き方を

している人たちが多いけど

自分はまだ

夢を見ている。








 もしかして

一番僕にとって

確かなものは

この夢を見る事

なのではないかと

そう思っている。

金銭的な夢は見ないけど

仕事とか、やってみたい事とかは

夢を見る。







 芸能人というか

アーティストというか

窈ちゃんのファンになってみて

毎日葉書を送っていると

僕は、彼女に何を求めているのかと

最近、悩み始めた。

昔は送り始めた頃は

毎日、ドキドキして

楽しかったけど、

一年経つと

もう、ドキドキしないし

法科大学院の適性試験も

もう2回目を迎えて

窈ちゃんと一緒に生きるために

法曹資格を得るという

そういう動機があったけど

今では、そんなに甘いものでは

無い事ぐらい分かって来た。







 窈ちゃんには悪いけど

毎日書いていると

きっと、鬱陶しいと思われて

いるよとか、想像すると

辛いなーと思う。

でも、そういう行為は

窈ちゃんという

芸能関係の仕事を

している人だから

可能な事で、

本当は、

葉書を送るのは

自分のためで

夢を追って生きていたいから

そうしているのだとは

自分でも思う。







 この歳で手に入れたもの

それは、身軽に生きる事と

夢を追う生き方と

窈ちゃんという

芸能活動をする

素敵な友達かなと

今はそう思う。

案外、人間って

シンプルで、

身軽に生きていれば

楽しいものだと

気付いた事は

僕の手に入れたものかなと

そう思います。






 花々を渡り歩いて明日がある大きなものを忘れたけれど




 God bless you !





 

コメント
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