陽炎本舗

助産師えりつぃんの徒然日記。

ささいなことをつらつらとお祭り娘がつづります☆

面白いコト。

2006年07月24日 21時02分35秒 | Weblog
今日は同大学のゆりちゃんとゆきりんと2時間近くしゃべってたんだけど、看護の非常識な常識についてスッゴク考える機会になったよ。

というか、社会人出の人と話してるといかに自分がちっさい看護の世界でのたまわってるかが分かって楽しい

私は高校から看護に入ってたので、看護の非常識な常識が普通だと思っていたし、それに対する処世術を身につけて来たから、それを真っ向から「おかしい!!」といってくれる人に出会っただけでも大学に来た意味があると思っています

例えば今日話してたのは、『患者さんのため』ってなんなのかってコト。
良く患者さんのために~をとか患者さんのニーズは~だからこのケアが必要ってアセスメントをしてケアプランを立てるけどそれはほんとに患者さんのニーズにあった患者さんのためのものなのかってコトについて話をしてました。

当然、最低限の管理は必要!!
そのために入院してたり、訪問してたりするわけだから。

でも、振り返ってみると情報収集後のアセスメントもケアプランも実施・評価も実は看護師側の自己評価であることが多い。患者さんは患者さんで気を使ってくれて行ったケアに対して素直な感想を言ってくれるひとは少ないから、いつも「ありがとう」といってくれるけどそれに甘えてちゃいけないんだなって。

前に入浴介助のバイト中にすっごいダメだしされたこととか、事細かに要望を伝えてくる方がいて、正直「やりにくいなぁ」と思ったけど、その中にこそケアの本質があるんじゃないかなって思ったり。その人のリズム、やり方とかニーズに沿うってことは看護師がやりにくいって思うことそのものなのかなって。だって、それは看護師のやり方ではないわけだから。

看護は人と人との関わりだし、サービス業だし、だからといってなんでもかんでも言うことを聞いていればいいってわけじゃもちろんないけど。

その人がその人らしく、自分の生き方を選択できるような看護の幅はとっても必要だなって思ったのです。

意思を伝えられる人ならなおさら。
意思を伝えられない、伝えるのか得意でない人に対しては看護師の想像力と自分だったら、家族だったらを考えて最良と思われるケアをしていけたらいいなぁと。

あと、自分がやられてイヤだったことは人にしない。
つい仕返ししたくなっちゃうけど(笑)
自分で望んだ苦労と他人から押し付けられた苦労はやっぱ違うから。
自分が何を望むかどう受け取るかにもよるけど、今は今、精一杯やればいいんじゃない?という結論で

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