昔々、感性が鋭かった頃、
たくさんのことを感じすぎて
自分自身で処理しきれなくて
いつも不安定で
自分にも人にも
いつも正論を求めていました。
少しだけ大人になって
自分と人を別に考えられるようになって
傷つかなくなったのと同時に
人の傷にも鈍感になりました。
あの頃の私だったら見逃さなかったサイン。
一つ一つの表情や人の感覚を感じ取る力。
それは自分自身のエネルギーを使い果たす諸刃の剣。
業務ではなく、
一人の人として何を優先するか。
自分の身を削り尽くすことができるか否か。
そこまでわかっていても
きっと私は自分を優先させるのでしょう。
きっと「本人の価値観」を逆手にとって。
たくさんのことを感じすぎて
自分自身で処理しきれなくて
いつも不安定で
自分にも人にも
いつも正論を求めていました。
少しだけ大人になって
自分と人を別に考えられるようになって
傷つかなくなったのと同時に
人の傷にも鈍感になりました。
あの頃の私だったら見逃さなかったサイン。
一つ一つの表情や人の感覚を感じ取る力。
それは自分自身のエネルギーを使い果たす諸刃の剣。
業務ではなく、
一人の人として何を優先するか。
自分の身を削り尽くすことができるか否か。
そこまでわかっていても
きっと私は自分を優先させるのでしょう。
きっと「本人の価値観」を逆手にとって。
援助専門職とはいえ、所詮はただの人。
専門職の「自分」が余裕がなかったら、
患者の「相手」は不安になるものだよ。
どこかで息を抜いて、自分を優先させてあげて、余裕をもてないと、本当に自分がすべきことが何なのか、分からなくなっちゃうから。
自己犠牲をした結果が、2年前の私。
それで何か、「相手」のためになったのか?
その時の「私」の状態はどうなった?
「相手」は他人に対する依存を深め、不安を増大させ、攻撃的になった。
「私」は、ご飯が食べられなくなってやせ細って。
他人を優先させるなら、とことんやってみなよ。
そうしたらきっと、あの時の私みたいに、自分を大切にすることが、どれだけ重要かがわかるんじゃないのかな。
私はえりを追い詰めようとは思っていない。
「何かしてあげたい」
そう思うことも悪いことじゃない。
でも、自分をないがしろにした支援は、決してプラスにはならないよ。
それがわかって欲しくて。
あまり自分を追い詰めないで下さい。
私が言いたいのはそれだけだよ。
でも昔に縛られることはもうやめる。
今の自分がどう成長できるか、なにを感じて人と向き合えるかが大切だもの。
ねぇがいうように、自分に余裕がなくていっぱいいっぱいの人ができるサポートなんて高が知れてるし、きっと人を焦らすだけて、安心感はあたえられないんだと思う。
できないことを悔やむより、
できることを確実に、
そして、新たな習得を。
専門職って奥深し。
ありがとね、目覚めた!!