きれいなきれい〈田添公基・田添明美のブログ〉

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ゴッホとベーコン        田添明美

2021年05月31日 21時35分11秒 | 「いたずら」田添明美

たまたま、「日曜美術館」で、ゴッホを見た後
             ベーコンを見た。
ベーコンを見た後。
二人を、比較していた。

ベーコンは、たぶん、絵が巧い人だと思う。
普通に描けるので、普通に描いた自分の絵は
つまらないので、消したり・捻ったりしたのだと思う。
不安や悩みはあっただろうが、強調しすぎる。

ゴッホは、絵が下手で、力一杯に描けた絵が、
あれなのだと思う。
彼の日々は、苦痛だらけだったと思うが、彼はたんたんと
した写生画が多い。苦痛を、訴える作品は、ない。
それが、胸を打つ。

初めて、スーチンと関根正二に、出会った時
(あ、くるっている)と感じ、調べるとそうだった。
なにか、切迫していて、胸を打つものがあった。

私だけかもしれないが。
ゴッホ・スーチン・関根正二より、
ベーコンは困っているようには、見えなかった。
それは、この中で、彼が絵が巧いからなのか、
         彼がくるっていないからなのか、
そこが、わからない。

ベーコンからは、スーチンと関根正二に、出会った時の
衝撃は、感じなかった。
ベーコン本人の、(顔)の方が、作品より、胸を打った。
もし、彼が、ふつうの絵を描き、そこに
彼の(顔)が出ていたら、もっと、いい作品になったと思う。


              R3.5.31

 


絵について      田添明美

2021年05月31日 19時57分22秒 | 「いたずら」田添明美

絵は10代から好きで、描くのも・見るのも、好きだった。
結婚後は、夫や友人と、美術館へ行った。
友人とは、美術館の前で、待ち合わせ、鑑賞した。

友人に(これ、いいね)と言っても、その友人は黙って
絵だけを見ていた。
その位、その友人は、絵が好きだった。

50代半ば位に、その友人は言った。
(好きな絵だったのに、その絵を見ると、気持ちが
 悪くなるの)
何を、言っているのか、分からなかった。

そして、その話から5年以上経った60代で
今度は、私が絵を見ると、具合が悪くなった。
絵は、ダイレクトに届く分、気持ちも悪くなった。

そこから、現在迄、美術館へ、行かない。
日曜美術館も、見なくなった。

1〜2ヶ月前、日曜美術館でゴッホをやるというので
録画した。どのくらい振りだか、分からない。
ゴッホだったら、いけるんじゃないかと予測した。
具合は、悪くならなかった。
喜んで、詩にした。
今日、ベーコンも、いけるんじゃと見たら、いけた。

何が、起きたのだろう。
鈍感になったのか、許容量が増したのか。

実に久しぶりに絵を見て、
ああ 絵は、好きだったな
と思い出している。

              R3.5.31

 


鶴 渡る       田添明美

2021年05月31日 09時19分37秒 | 「いたずら」田添明美

耳が遠い

かたがわの耳まで二十歩
もうかたがわの耳まで百三十五歩
 
帆をはらみ
耳が とうとうとゆれている

  とぅとぅ、と

耳が遠いので
うっかりする

   うとうとしてくる
   とうとうと耳鳴り(か
        空耳(か
ぱたぱた
くるひ
さりひ
てるひくもりびゆきよきひ
その
まの
はばの
埋めきれぬ
かぎりなく ひ連なる、息づく、ふゞく、
せつなさの
その
まの
幅に

おす鶴のひとこえ
 〈こぅ!
しろい息   ほっ
めす鶴のふたこえ
 〈こぅ こぅ !
しろい息   ほっほっ

息がかそけく燃えている

鶴の頭がひとこえ、を叫ぶ
その
こえに群のすべてが飛び立つ
一斉に、

経つ

通り抜けないものに向かい、
通り抜けそうに
通り抜けていくのだ と

生きづく

鶴の
息が燃えている
鶴たちの火勢が清冽に穹を焦がす
こがれるように舞っていくのだ
遠い、

耳から耳へ 流れる、
おと

息のつらなり
 ほっ   ほっ)ほっ)ほっ)

通り抜けたろう
 〈渡る
    渡り

ふゞく
   とわ
るび/永久 

     のつらなり、


             H15.3.13


付記
「夏草」を投稿したら、
 村上昭夫の「ねずみ」を思い出し、
 調べたら、彼の作品は5作書き留めてあり。
 読んでいたら、そのうちの「鶴」に触発され、詩を書いたのを
 思い出しました。これは、入選作です。

 この作品を最後に、2年間のワープロ通信・詩のフォーラムを辞し。
(ここには強力な書き手がおり、奥主栄・newR・マサミ・大村浩一・
 川村透・北村守道・四方亮輔・高津奈江・野本京子・田代深子・阿ト理恵・
 鵜飼千代子・大内美子さん等が、揃い、互いに書き合いました)

 あらゆる詩誌に属さず、たった一人で。
 2年前迄、井坂洋子さんに向け、月1度投稿しました。
 伊坂さんは、どんどん落とし、どんどん選って下さいました。
 お陰で、今の私があります。
 そして、今、ブログとFBの方々に読んで頂き、幸せを
 かみしめています。

付記・付記(訂正)
 フォーラムを辞し、一人で書いていたら。
 大村さんが(田添さん、フォーラムが潰れそうだから
 書きに来て欲しい)と言って来て、了承し。
 それから、潰れる迄、連日、書きました。
 最後は、私含め3人位でした。
 その時、これを書いたのです。
 今までありがとう、
 私は、これで、去るけれど
 これからも、お互い書こうね
 私からのあの時の、彼らへのメッセージでした。

 

井坂洋子さん・追記

井坂さんのボーダーラインは、的確だったと思う。
私は皆に苦言を呈した、井坂さんの言葉が好きだった。
(今月は、低調でした)

私は、くだらない詩の投稿の続投をした。
(これは、どうじゃっ)と出すと、
 彼女はあの、作風で。
「受けて、たちます」と、殆どを佳作で入れ
(それでは、こういうのは?)と出すと、
入選にしたりした。

私は、工藤直子が好きらしい、私と同年齢の彼女を
笑わせたかった。
彼女は、常に「受けて、たちます」と迎えて下さった。

彼女でなかったら、私のくだらなさは、残らなかった
と思う。数々の選者の方々に、感謝するが。

井坂洋子さんには、別格1番に、感謝しています。
低調な文で、申し訳ありません。