きれいなきれい〈田添公基・田添明美のブログ〉

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 命日         田添明美

2021年05月23日 10時26分05秒 | 「いたずら」田添明美

 いちども見舞いにいかなかった

あなたが泣かなかったから
わたしは泣けなかった

さんどの手術
すぐに はいる電話
(おわったよ まだ生きてる

わたしにできたことは
あなたを笑わせる 駄文をかくことだけ
あなたは、それに
応えた

まいとし 実家へもどると
たがいに
あった あなたの家
(あと数ヶ月といわれました
あなたのおかあさんの言葉をこらえ
わらいあった
あなたは無人駅のホームに送ってくれ

(この電車きたないのよ
     たれながし
 ほら  紙がおちているでしょう?
が最後の会話

「おはずかしい て がふるえて」
が最後の賀状

最後まで
あなたは、わたしに
応えた

だから
決めたのだ
二月 寒風の吹く高台に土葬される
あなたに わたしも、
 土をかけた

あれから十五年
あれ 以来
わたしは 泣かない

泣くことを わすれた

                     H16.2.1



長くながく逢いたきものを
     あかときの夢にみぢかく顕ちし亡き娘よ
                   篠原昭枝 

 

    

付記
彼女が亡くなる36才迄、彼女は私の親友でした。
最初、乳首が変色したと皮膚科へ3年、通いました。
素人なので、分かりませんが、最初は皮膚癌だったのではと思います。

3年後に検査すると、乳癌が判明し、手術。
後、首にしこりがあると、東京の医師に訴えましたが(気のせいです)と却下され、

その1年後に、その医師は頸部癌だと述べたのです。

全ての判断が遅く。
彼女は、頸部手術後、頭部手術をしましたが、その後癌は全身に。
彼女は、身内がどんなに止めても、最後迄、仕事を続けました。

私には、一切、泣き言は言いませんでした。
これが、千曲乙女か、と感じたのを記憶します。

彼女は、二人の子を成し、二人は無事に育ちました。
(お母さん、必ず、返るからね)彼女の言葉です。