難経69難による鍼実技試験、即座に選穴出来る様にあれこれ考え、覚えと試行錯誤を繰り返して見ると、覚えるべきことはほんの少し、わずか7パターンであると思える。
具体的には
1)肝虚証〜左関上、左尺中が虚〜曲泉・陰谷
2)心虚証〜左寸口、左関上〜少衝・大敦
3)脾虚証〜右関上、左寸口〜大都・少府
4)肺虚証〜右関上、右寸口〜太淵・太白
5)腎虚証〜右寸口、左尺中〜復溜・経渠
の5パターンに加えるに
6)心包虚証〜左関上、右尺中〜中衝・大敦
7)(心包)脾虚証〜右尺中、右関上〜大都・労宮
である、と思える。
ただ、これとても結論だけを覚えるのでは無くて、脈診→難経69難による選穴、というプロセスを自身で何度か、何度も繰り返しての、でなければと思う。
でなければ、そんな選穴が何故になされたのか分からない、わけもわからずにただ鍼を打つになってしまう、となって......。
この様に述べると、「どうしてそんな面倒な過程を持たねばならないのか!?どっちにしろ同じことを覚えるのだろう?それならば無駄な労力を省いた方が良いではないか!
そもそも、難経69難による選穴に対して意味が無い、大仰なだけの内容の無いものと言ったのはお前では無いのか!?」との反論、乃至反問が当然に予想される。
確かに難経69難による選穴は鍼灸の権威付けの為の形式の為の形式でしか無いのでは?と自身では思える。
しかしながら、である。人間は本質的に目的意識的に行動する存在である、目的意識的に行動してこそ人間と言える、ということに思いを致すならば、自身で何をやっているかを分からないで、の実践は人間としては随分とレベルが低いと言うか、より正確にはサル以下のレベルである、と思える。
それだけに、通常で考えるならばたかが鍼灸学校の実技試験の一コマ、であっても自身が真面目に取り組もうとする対象に関わって、わけもわからずに行動するということはあってはならないこと、と思えるからの、である。
具体的には
1)肝虚証〜左関上、左尺中が虚〜曲泉・陰谷
2)心虚証〜左寸口、左関上〜少衝・大敦
3)脾虚証〜右関上、左寸口〜大都・少府
4)肺虚証〜右関上、右寸口〜太淵・太白
5)腎虚証〜右寸口、左尺中〜復溜・経渠
の5パターンに加えるに
6)心包虚証〜左関上、右尺中〜中衝・大敦
7)(心包)脾虚証〜右尺中、右関上〜大都・労宮
である、と思える。
ただ、これとても結論だけを覚えるのでは無くて、脈診→難経69難による選穴、というプロセスを自身で何度か、何度も繰り返しての、でなければと思う。
でなければ、そんな選穴が何故になされたのか分からない、わけもわからずにただ鍼を打つになってしまう、となって......。
この様に述べると、「どうしてそんな面倒な過程を持たねばならないのか!?どっちにしろ同じことを覚えるのだろう?それならば無駄な労力を省いた方が良いではないか!
そもそも、難経69難による選穴に対して意味が無い、大仰なだけの内容の無いものと言ったのはお前では無いのか!?」との反論、乃至反問が当然に予想される。
確かに難経69難による選穴は鍼灸の権威付けの為の形式の為の形式でしか無いのでは?と自身では思える。
しかしながら、である。人間は本質的に目的意識的に行動する存在である、目的意識的に行動してこそ人間と言える、ということに思いを致すならば、自身で何をやっているかを分からないで、の実践は人間としては随分とレベルが低いと言うか、より正確にはサル以下のレベルである、と思える。
それだけに、通常で考えるならばたかが鍼灸学校の実技試験の一コマ、であっても自身が真面目に取り組もうとする対象に関わって、わけもわからずに行動するということはあってはならないこと、と思えるからの、である。