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関西弁はなぜ強靭なのか? 世界の共通語としての英語の現状を理解する補助線として+改訂あり

2024年07月08日 10時16分01秒 | 今日も朝ごはん食べて英語頑張りましょう❗️

帰省先から京都の大学に戻る九州出身者の「言葉」が無意識に

九州弁から関西弁にかわる<分水嶺>山崎の天王山

 

責任を取らない官僚組織と政治リスクを取る決断を回避し続けた政治セクターによってーー少なくとも、その後半の2年間はーー無駄にだらだら続いたコロナくん騒動も終わり、打ち合わせや弟子筋のご家族との談笑の機会も徐々にもとに戻りました。ということは都心の人混みの中に入っていく機会も少しづつ増えてきて改めて感じたことがあります。それは「関西弁の強靭さ:Robustness about Kansai Dialect」ということ。関西人は東京に来ても広島や博多や名古屋や新潟に行っても、もちろんTVやラジオに出ても関西弁(in Kansai Dialect, or Kansai Accent) を話す。大阪弁や京都弁や奈良弁でおしとおす。そんな関西弁の所謂「標準語:the standard Japanese (language)」に対する抵抗力、すなわち、強靭さ(robustness)です。

本稿は、この「関西弁の強靭さ」を思索の補助線に使って、それらの運用の部面における、片や「世界の共通語とも呼ばれている英語:English as Lingua franca, or the common language / the most spoken language in the world」の現状を一瞥するものです。

尚、最初にここでご注意させていただきたいことがあります。それは、本稿は方言としての (such as)「関西弁なり熊本弁」、他方、方言や訛りとしての「アメリカ国内で今でも権威を帯びるニューイングランドの英語やアメリカ南部の所謂「❎黒人英語:❎Black English➡️♥️African-American English」、「ハドリアヌスの長城(Hadrian's Wall)近傍のイングランド北部なりグレータロンドンの英語」というある言語それ自体(as such)に対する考察ーー例えば、「corpus:コーパス」資料の収集やそのデータを使った考察、日本では国立国語研究所の(特に、非常勤の❗️)スタッフの皆さんが極めて乏しい予算の中でフイルドワークに出かけもって世界に出しても十分に自慢できる成果をあげておられるような、音声・語彙・統辞(文法)の研究およびオリジナルテクストの収集と復元という言語それ自体に対する考察ーーではなくて、それらの運用に関する考察だということです。

イギリス英語の入門書紹介――役に立つのにお洒落で楽しい「イギリス英語」の招待状のようなもの

https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/2387050ede4ca0a2947e1c5783157128

英語史的文法論の要点覚書--異形の印欧語「現代英語」の形成、それは「格変化」の衰退から始まった

https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/91718985f1a5d1b7df4c7485a966c123

 

而して、しかし、ある言葉に関するこの「such as」と「as such」を巡る方言談義や諸言語の系統論議が本稿を読んでいただいく際の障害とならないように(このテーマについての数多の日本と米英での「非生産的になってしまった苦い議論」の経験も踏まえて)、幾らか、それらについて主に「蛇足注」と参照記事URLで触れてみました。けれども、けれども、どこまでも、本稿の主題はあくまでも、片や「関西弁の強靭さ」から、他方、世界での英語の現在のその運用面から反芻するとき、次の問いに答える作業の前哨をなすものです。畢竟、

>世界の共通語と呼ばれている英語の正体はなんだろう?

(現在、世界に存在する様々な「英語:English-es」の中でなにが「世界の共通語としての英語:English as Lingua franca」なのかしら? そして、日本語母語話者がこれから習得・修得(study and learn)するのが望ましい「英語」とはどのような英語なのかしら? 英語のどのような運用スキルなのかしら? そして、「今、できない something を二週間後・半年後・四年後にできるようになる」ために日本語母語話者に肝要なことはなにかしら?)

  

 

☘️蛇足注:地域史的方言譚と言語学的方言論

方言が話題になるときそこには二種類の議論があることを知っておいた方がよいと思います(Did you know that when it comes to talking about something that pertains to dialects, there are two types of discussion?)。その一つは、ある語彙なり言いまわしの由来を調べて、その結果の蓄積からその方言の成り立ちに想像の翼をひろげるものです。

例えば、わたしたちの郷里の筑後南部ー肥後北部には(①周りに誰もいなくて寂しい、②周りに人がいるいないにかかわらずやることもなくわびしい、という意味の)「とぜんなか」という語彙がある。これあの吉田兼好の「徒然草」「つれづれ」と同根同義の言葉。それはーー日本語、現在の日本語の系統論の通説では「日琉語族」と呼ばれる日本語の中の日本語派の中の九州方言の中の、九州方言研究の権威だった東條操さんの分類ではーー「肥筑方言」に含まれる「借用語彙」の一つ。

さて、このような情報は面白いし、オフ会や女子会でスモールトークとして披露する分にはなんの問題もない。しかし、そこから翼をさらにひろげてーー自説に有利な、断片的でつまみ食い的な、しかも、想像力にかなりの程度依存する根拠をもとにーー「九州弁の源流は室町期の京都にあった❗️」とか言い出されると少し困ったことになりかねない。そう、そうなるとその方言譚は「日本語の起源は百済ー新羅の頃の朝鮮半島にあった❗️」「邪馬台国はなかった❗️」「邪馬台国は四国/フイリッピンにあった❗️」とかの笑えない冗談と紙一重のものになるから。

思い出の本を教えて!・・・リベラル派の駄目さを確信した「「邪馬台国」はなかった」、鴨。

https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/0b0962e1b955dee2c0db84f81170d9ee

他方、(偶然の結果*のケースも少なくない、他方言からの借用語彙を切り分けて)その当該方言に特有の語彙やイデオムを調べ、音韻と音節を調べ、文法構造を調べ、それらの結果を数値化・モデル化した上で近傍の諸方言との関連とその当該方言の内容や特徴を明らかにしていく地道な作業。そして、この作業の上に、あくまでも仮説として、その方言を話してきた人々が属していたであろう「生態学的な社会構造」(自然を媒介とした人と人とが取り結ぶ社会的と経済的のシステム)を、可能ならば実時間軸と実際の地理的な交流範囲を添えて呈示する営み。このような言語学的方言論もまた存在しています。そう、例えば、国立国語研究所に♥️

而して、本稿の議論はこれら地域史的方言譚とも言語学的方言論ともーーある言葉の内容自体に言及する議論とはーーなんの関係もありません

*偶然の結果

英語に関して最も有名なケースは英語の歴史に12世紀にシンデレラの如く突如登場した「she:単数女性代名詞」の由来が全くわからないことでしょう。他に、「Long time no see.(お久しぶりです)」の言いまわしも①ネーティブアメリカンの言語に由来するものか、②大陸横断鉄道建設のための労働力として支那からむかえられた人びとの話す中国語系の言葉と英語とのピジン語に由来するものか、③それとも①②の二元論、④あるいは①②の交錯論という終わりのない議論はーー要は、決定打となる文献的証拠が見あたらない➡️この言いまわしが小さな偶さかの出来事に由来する可能性を否定できない❗️ーー言語史まして方言史において偶然という契機の手強さを現していましょう。

そして、おまけ。これはまたわたしたちの郷里・福岡県大牟田市界隈の事例ですが、この三井三池の炭都では明治半ばからの半世紀以上にわたって、東京の三井本店からお偉いさんが常時数ダース規模で派遣常駐されていた。そして、そのお偉いさんのお屋敷では大牟田近郊のしかるべき格式の農家から娘さんを住み込みのお手伝いさんにむかえる慣習があった。で、どうなったと思います? あのー、言語学のお話ですよ🌺 

そう、薮入りの度に大牟田近郊の農村部では、「里帰りしてきなさった庄屋さんとこの千葉恵里(仮称)姉さんな東京の言葉ば話しょんなさるげな❗️(They say that Eri speaks Tokyo accent❗️)」と近隣の恵里さんの👧妹分👧の女の子たちが庄屋さんに押し掛けて「東京の言葉」を教わったとか。そして、その「東京の言葉」は次の学期には地域の小学校の子供たち全体に伝播したとか(なんでわたしがここまで書けるかと言うと、わたしの母が👧👧の一人だったから)。大牟田市とその近郊の方言には有意に「東京の語彙」が多く含まれているとする地域史的方言譚系の論者(↖️何冊か地域史の書籍も出版された、わたしたちの中学校時代の国語の👩‍⚕️先生)もおられるのですけれども、この「お屋敷お手伝い伝播回廊」という偶然の事実の存在は、言語学的方言論からも「借用語彙の切り分け」を説明する有力な仮説ではないかと思います。

 

☘️蛇足注:方言関係と他言語関係の境界の曖昧さと流動性

方言はあくまでも「ある一つの言語に含まれる幾つかのバリエーション」のことです。違いますか? ところが、方言について論じていると、就中、英語の幾つかのバリエーション(variations)について論じているとーー特に、数世紀に渡って万里の波濤を越えて大洋を跨いだ英語とそのピジン語クレオール語のことを論じているとーーこのことが曖昧になることも希ではないのです。

ここでこの記事の結論の一部を先取りしておくと、KABUの採用する「ある言語の幾つかの方言と別の言語を切り分ける包丁」「5年ほど努力して学ばなければ話せるようにならない/使えるようにならないか、安全にみて5年間も、自分の言葉とは異なるその言葉が使われている国や地域で社会生活をおくっていればいつの間にかほとんど完璧にその言葉が話せるようになる/使えるようになるかどうか」だと思っています。

半世紀以上アメリカに住んでいるのにーー医師やそのエリアでも有名な名門ローファームの弁護士になった優秀な娘さんや親孝行の息子さんに社会的にプロテクトされたがゆえに、他方、和歌山とか慶尚南道とかの同郷出身者の良好な現地コミュニティに包まれたがゆえにーー買い物と運転と観劇と図書館での本の借りだしと返却、そして、地域ボランティア活動への参加や慈善の寄付金集めの事務作業くらいしかご自分では英語ではできない、極めて知的な韓国系や日系の多くの人生の先輩方をサンフランシスコやミネソタの現地で、白い雲が流れるアメリカの青い空の下で見てきたわたしはそう確信しています。はい、そこのこの記事を読んでくださっている貴方、わたしがなにを言っているかわかりますか? 

蓋し、そのタイプの在米一世や二世の方々の英語力は「非友好的かもしれない英語のネーティブスピーカー(NS)との数段階の交渉が、自分と自分の家族や所属するチームのタスクやパフォーマンス、将来と運命の成否を分けるコミュニケーション活動を英語で遂行できる程度」までには到底到達していない。その英語力は売る方ではなくて「顧客の方の英語力」であり、コミュニティでも好ましいとされることに貢献しようとする「好ましい外国系市民の英語力」にすぎないということ。そりゃー、そうであれば、大概の場合、もとからのアメリカ市民も彼等の「英語らしき音声の連続」にも微笑みながら耳を傾けてくれるでしょう。ということなのです。閑話休題。

もちろん、1️⃣アメリカ英語とイギリス英語の違いとか、2️⃣所謂「アメリカ英語」に含まれる主要な方言の個々の大雑把な特徴、逆に、3️⃣スコットランドを入れても日本列島の6割に満たないあの小さな大ブリテン島のそのまたウェールズとコンウォールを除いたイングランドに現存する所謂「イギリス英語」の眼も眩まんばかりの地域的と階層的の方言の分布とそれらの特徴を、<英語>のことは<英語について>はほとんど知らない新規採用したオーストラリア人やカナダ人のインストラクターにKABU先生自らが研修するに際してはあまり問題は表面化しない。また、4️⃣あたりまえですが、ポルトガル語/スペイン語をスペイン語/ポルトガル語の方言と思っている人が希にあり得るとしても😢 ロシア語やフランス語を<英語>の方言と思っている人はそう多くないでしょう、多分。ドイツ語やオランダ語は、まあ、従姉語か姉妹語という距離感でこれまた<英語>の方言ではないと理解されているだろう、多分。

でもね、じゃー、「Yiddish:イディッシュ語」はーーほとんどの比較言語学と言語史のテキストにはそう書いてあるけれどーー、2023年の現在のアメリカにおける Yiddish*もドイツ語の方言と言えるのでしょうか? 

*Yiddish

N)中世末期に中欧・東欧でドイツ語を基盤にして、

 ヘブライ語とスラブ系の語彙が混在する高地ドイツ語系のクレオール

M)筆記にはヘブライ語と同じアルファベットを用い

 アラビア語や日本語と同様に右から左に書く

B)イスラエルでは公用語とは認められていない

これは常識でしょうが、2023年の現在、アメリカ在住のユダヤ系市民の大多数は、1880年前後から20世紀初頭に帝政ロシアと現在のポーランド東部で吹き荒れた「pogroms:ポグロム(ユダヤ人に対する大量虐殺↖️ちなみに「ポグロム」自体はこの150年近く前から現在のドイツを中心に中欧・東欧全域でおきています)」を逃れて大西洋を渡った中欧・東欧系ユダヤ人(Ashkenazi)の人々とその子孫とされています。その30年あまりの間のユダヤ人移民の数は(ユダヤの宿敵ルター派の牙城スウェーデン経由で北欧系と自称・詐称したりその北欧系移民と「呉越同舟」して大西洋を越えられたユダヤの人々をカウントすると優に300万人、少なくとも)200万人を越えることは間違いないとも。現在のアメリカ在住のユダヤ系市民の約9割が Ashkenazi であるとも。

ママはなんでも知っている

https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/fe41dd4f4e134feb9bb5bf447e078557

そして、Yiddish はアメリカではユダヤ人のーー就中、アメリカ合衆国建国前から主に中部諸邦に入植した富裕かつ有力なユダヤ人権門一族とは違い、欧州の一切の係累と紐帯を切り捨てて20世紀前後に来られたこれらの Ashkenazi にとってのーー「標準語」でないにせよ文字通りの「共通語」(common language, if not standard one)。

わたしは、確かに言語学的には Yiddish を階層的と地域的の両方の意味でドイツ語の方言と認める分にはやぶさかではありません。けれども、アメリカにおける6世代になろうとするその運用の実際の積み重ねの中で Yiddish はある意味、「アメリカ英語系のクレオール」、少なくとも、「アメリカ英語の影響を受けたドイツ語系のクレオール」と理解した方が実情にあうのではないか? と、そう思わないではないのです。まあ、それはわが家の第一外国語がドイツ語で、私自身、英語とドイツ語とその運用にそれほどーー見た目ほどにはーー大きな差を感じないから、鴨ですけれども。

 

 

本稿の主題から好事家的にどんどん離れるようですが、上の Yiddish とは逆方向から蛇足を検算させてください。それは、はい、これまた、比較言語学や言語史の識者はほぼ口を揃えてそう仰るけれど、ーーその考察をブリテン島とアイルランド島に絞り大陸側ブルタニュー地方のブルトン語(Breton)は割愛するとしてーー所謂「Celtic Languages:ケルト語」は 、

(G)Gaelic=Irish+Scottish (アイルランド語+スコットランド語)

(B)Brythonic=Welsh+Cornish (ウェールズ語+コンウォール語)

ケルト由来の言葉は大きく二つの系統の言語に分かれる、と。では、これらのうち下位カテゴリーの IrishとScottish、 WelshとCornish は「方言関係」なのでしょうか? 違う? 現状の言語規範の内容と運用の実際を鑑みるにそれらは方言関係ではなくて別の言葉なのでしょう。しかし、そうなったについてはーー言語史の時間の物指しからはそうそう長い期間とも言えない800年程度のーー英語(およびフランス語)からの圧迫、そして、現場では(20世代~30世代にわたる)英語との恒常的な「ピジン語化➡️クレオール語化➡️ピジン語化➡️クレオール語化➡️・・・」の作用がこれら四つの言葉を方言関係から別言語関係に切り離したのではないでしょうか? 

わたしは、ウェールズ出身の弟子の書いてくるアメリカ人インストラクターさんたちへの教務マニュアルと、それをチェックしたわたしの片腕のアイルランド人の教務リーダーのコメントを読み比べて10年程前まではそう確信していました。もちろんこれは、一種の地域史的方言譚なのでしょうけれども。

 

🐙関西と言えば、NMB48🐙

 

【関連過去記事】

安本美典『日本語の成立』

https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/d1281ce782634aba0234bf2bcf586335

いろんな意味で結構根深い日本語の韓国起源説

https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/d8a7ec627fab192570817c9c7038e195

そして、

【再掲】10代女子は、なぜSNSで「韓国語」を愛用するのか?・・・楽しいからでしょう? それが何か?

https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/7c898db79b8e8cd58808b18d725abab5

今日は方言の日・・・そんな日あるんだぁ♪ (*^o^)/\(^-^*)

https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/9a251c179caa2a6d5b37f93214765ad4

 

 

What reasons wold they have got for speaking so-called standard Japanese?

Next to nothing, if not nothing.

(所謂「標準語」なるものを話さなきゃならない理由なんてあの人達にはないですよね?

 まあ、そんな理由はわが家は思いつきませんね。皆無ではないかもしれないけれど🐙)

 

本稿の主題に戻ります。第三コーナーを廻ったというところ。

本稿の主題はただ一つ。その裏面を入れて二つです。

 

>世界の現在の実質上の(de facto)共通語と呼ばれる英語の正体はなんだろう?

>日本語の母語話者はどの「英語」をなにができるように習得・修得すべきか?

 

而して、これらを考えるために設定した「補助線」が関西弁の強靭さ。

そして、ここで言う「関西弁の強靭さ」とは、例えば

🐙大学進学や就職や婚姻で関西から東京や九州や東北に移住した「関西人」の多くは関西弁を①長期にわたって維持する、②標準語との使い分けも可能な限り行わない傾向がある。③その後、彼女や彼氏が関西に帰還した場合、または、他所に移住した場合も、もちろん、「関西人」である彼等の日常の言葉が関西弁であることは言うまでもありまへんがな

🐙🐙大学進学や就職や婚姻で東京や九州や東北といった関西以外の地域から関西に移住した「非関西人」の多くは、その日常の言葉を関西弁に①普通1~2年程、どんな鈍感さんやぼんくらさんでも3~4年程で変える。もちろん、②標準語との使い分けは可能なら行うにせよ。

③その後、彼女や彼氏が出身地に帰還した場合、または、他所に移住した場合、なんと❗️ かなりの「非関西人」がーー出席したレセプションの主賓が関西弁が嫌いで有名なセレブだとかーーそこでのコミュニケーションのコンテクストがそれを許容しない限り、また、使い分けは頻繁に行われるものの日常の言葉として関西弁を維持してはりまんねん👀‼️ 

古い古い事例になりますが、三和銀行さんとか住友銀行さんとか大和銀行さんみたいな大阪が本拠地だった、KABUが10数年にわたって研修企画を担当したとある二つの旧都市銀行さんでその研修生の皆さんを定点観測した結果、「関東出身➡️大阪勤務➡️関東転勤」サンプルの8割以上が、関東転勤後のオフ会や米英MBAの関東地区OG/OB会でも関西弁で話しておられましたから❗️

☘️蛇足注:「使い分け可能な言葉」を巡る数的推論の無意味さについて

上の🐙と🐙🐙の③は、実は、統計学的にはなんの意味もない主張です。嘘ではないけれど、単なる勝手な「これからする推論の前提」(not supposition or assumption, but presumption or presupposition)。要は、③のステージでは被験者は自分が使う言葉をほとんど意図的に選べるから(ちなみに、アガサ・クリスティー先生の「Murder on the Orient Express:オリエント急行の殺人」は、この「ほとんど」という言語学的な微妙さをトリックのパーツに組み込んだ名作です)。しかし、この「無意味さ」が本稿の主張の鍵になるの、鴨。吉祥寺育ちの彼女はなぜその語彙を関西弁で話したのか? オリエント急行車内の出来事と同じように。

KABUが社会人生活をスタートした

新大阪駅隣の西中島南方♥️

注意べきは、前者🐙の①②、そのような言語行為や言語を巡る現象に現れる「自己中的な強靭さ」はそう珍しいことではないということ。世の中には偏屈な人はどこにでもいるし、それらは、寧ろ、イギリス英語とアメリカ英語の母語話者相互のコミュニケーションに普通にみられることですから。

加之、後者🐙🐙の①②も関西弁といわず他の諸々の任意の方言の話者間でも起きる普通の現象でしょう。例えば、江戸時代から続く尾張は名古屋の貸衣裳店の息子さんが九州大学に進み、空手部か柔道部か合気道部の副部長を務めていた大学三年生の頃、後輩の皆さんからは「副部長さんな肥後出身のほんなもんの九州男児ばい➡️そげんたい、そげんたい (He must be from Kumamoto prefecture; he is truly a true Kyushu-Danji.➡️Yes, definitely.)」と疑いもされていなかった、KABUのそのHKT48ファン仲間が、高校の同級生からのアイホーンに「おみゃー」とこたえて九州大学の後輩の皆さんに世間と人生の奥深さを行動で諭した話しは一部AKB48グループファンコミュニティでは有名な逸話ですから。

ということで、「関西弁の強靭さ」は🐙🐙③に収斂する。「関西弁の強靭さ」とは「非関西人」に対する規範的拘束力である、と。関西弁は何故にかくも強靭なのでしょうか? 

 

Elementary , my dear Watson. 

(基本的で簡単なことですよ皆さん、NMB48の次世代エースが誰か【↗️塩月希依音さん❗️】というのと同じくらい自明なこと)

 

簡単な話しです。関西人は標準語を話す必要を全然感じないから。

ある非関西人は関西弁を覚える/使う/使い続ける利得を感じるから。

 

要は、関西弁は、

【1】全国どこでも過不足なく通じる。

【2】特に、ネガティブなイメージもない。

【3】あるタイプの非関西人にとっては有益でさえある

【4】「標準語」に関西弁を大きく上回る権威性がない

【5】標準語を使うか関西弁を使うかは話者が決める

ということです。そして、

 

Here is the thing.

(ここからが問題です。ここで「補助線」としての「関西弁の強靭さ」から

本稿の主張の本線に移ります)

 

>世界にはピジンとクレオールを含めて幾つの<英語>があるのでしょうか?

>世界ではどれくらいの人が<英語>を使っている/話しているのでしょうか?

 

後者に関してはーー例えば、2015年前後(笑)で、英語の①母語話者・②母語話者+公用語話者・③日常的に使用している全話者を、概略、各々、①4億人・②15億人・③21億人と推計するとかのーーご承知の通り幾つかの統計が存在しています。が、それらの「統計数値:statistics (↖️常に複数扱いの可算名詞)」は「統計:statistics (↖️「統計学」としての statisticsで不可算名詞、よって、単数扱い)」さんが聞いたら赤面してしまいそうな根拠薄弱で「杜撰」という言葉を絵に描いたようなもの。

前者に対しては、🍑ももも🍑すももも🍑もものうち。もの好きな比較言語学の学者先生にとっては「ピジン英語もクレオール英語も英語のうち」なんでしょうがーー言語学から見ても「ピジン英語」は英語とは別言語関係にあり、多分、ーー確か本稿では「世界の共通語としての英語の正体」「日本語母語話者がこれから習得・修得するのが望ましい「英語」とはどのような英語なのか」を論じておられるのだから、クレオール英語も英語のうちとするような英語の数の水増しはいかがなものでしょうか? というご意見が寄せられる、鴨。

方言関係と別言語関係の境界は曖昧で、多元的で、かつ、流動的なことは上の蛇足注で散々指摘させていただきました。けれども、このご指摘はその通りだとわたしも思います。ご安心ください。次に論じる事柄によってこの水増し問題は自ずと消滅しますから。

 

イデオロギーとしての英語とイデオロギーを解体するものとしての英語

https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/8a57981eaba6de2dcf586285ad23e146

【再掲】書評:日本人の知らない日本語(海野凪子・蛇蔵)

https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/04ef12bcccb7b2ca55a14f392ef89859

 

 

シンガポールに行かれたことありますか? わたしは英米愛を除けば台湾・ブラジルと同着で最も好きな国です。ところで、そう遠い昔でもなく確か30年くらい前まで、シンガポールの「英語」は米英のエリートさんからは「Singlish」とも呼ばれ嘲笑されていた節もあった「クレオール英語」または「クレオール由来の英語の地域方言」の一つでした。相当年配の方々を別にすればその市民が現在のあの素晴らしい英語力を標準装備している風景はマーライオンも誇らしくも些か吃驚、鴨。

世界観光の日:「行ってよかった国、行ってみたい国はある❗」ですって?

https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/95846791ff2f0c7b7084d52573b6087d

ここに本稿の主張を考えるヒントがありました。と、その前に、以下、用語を正確に使うために一言。以下の「ピジンやクレオール」はある言語のことだけではなくて、謂わば「ある個人間のピジン的言語行為やクレオール的言語行為」をも表します。要は、異なる言語の母語話者がなんとか意志疎通しようとして当座の利便のために作った言語がピジン語であり、そのための努力がピジン的言語行為。クレオールは、ーー元のピジン語と寸分違わないにしてもーーそのピジン語を母語話者とする人々が使う言語がクレオール語であり、そのクレオール語を使う言語行為がクレオール的言語行為という仕掛け

而して、ーーこれは多くの先行研究がありKABUの独創や創作ではないのですが、ーー帝国主義の頃、欧米列強がアジア・アフリカの国々を植民地にした際に、当然、欧米側は政治支配と行政的と司法的の利便のためにーーその濃淡や人的と事物的の導入範囲は色々にせよーー自国の言語を持ち込んだ。驕る平氏は久しからず➡️第二次大戦後の植民地の独立ラッシュ。

さて、もちろん、事情は国(↖️当該の独立国と所謂「宗主国」の組み合わせ)によってこれまた色々だったのですが、その新生独立国の言語事情はどう推移したか。Quo Vadis? 本稿ももうすぐ終わりですよ😹

はい、その中に一つのパターンがーーそして、英国と米国、つまり「英語」の場合ほぼすべてこれに該当するパターンがーーあります。英語に関しては「神はここに着かれた」ということ。その前のピジン語段階をこのパターンに付け足すと、旧植民地のその国・地域の🍊言語(↖️単数でも複数でもOK)と、宗主側の🧅言語は、

❰A❱🧅🔃🍊→🍌ピジン語の形成

❰K❱🍌・・・→🍌が🍠クレオール語として確立/進化

❰B❱🍠・・・→🍠が憧れと実利を求めて権威ある🧅に再接近

(↗️①インドのガンジーさんやシンガポールのリー・クアン・ユー先生のように旧植民地国側でも指導者層は宗主国やスポンサー国の教育を受けていた方が少なくない上に、②「英語」に関しては更に、第二次大戦後も米英の存在感は他国を凌駕していたのだから、③旧植民地社会においても🧅は威信言語であり続ける。④経済のグローバル化とIT化の中で、上記❰B❱の傾向の勢いは2015年までのAKB48グループ全盛期を彷彿とさせるもの、鴨)

 

 

上に紹介(罵倒?)した、世界の英語話者のカテゴリーごとの人口比率を念頭に置いて、この🃏❰AKB❱の趨勢、🃏「関西弁の強靭さ」の仕組みという二つの🃏🃏カードをテーブルの上にひろげるとき、おそらく本稿の主題に対する回答は次のようなものになる。すなわち、

>世界の共通語としての英語の正体はなんだろう?

>日本語母語話者がこれから習得・修得するのが望ましい

「英語」とはどのような英語だろう?

 

世界の共通語としての英語とは、①語彙・音声音韻・文法と語法において、アメリカ英語とイギリス英語を貫く「frame of reference:基準となる共通の参照枠組み」をその規範の内容とする、②知的ではあるが大学学部卒程度の大人のアメリカ市民やイギリス臣民が、③今でも使っている、特に、第一次世界大戦前からの運用の伝統が蓄積している、④普通の英語である。

それは、寧ろ、TOEIC や 日本の大学入試の長文問題に出題される英語に近い。それら多様で異質なテクストを緩やかに包摂しているだろう英語ではありますまいか。わたしはそう考えます。

要は、世界の英語話者の大多数を占める公用語としての英語話者が「威信」を感じ<クレオール的な英語>から離脱して、その修得をめざす「英語」はネーティブスピーカーの今時の最新流行のーー人口比から言えば米英限定の「地域方言」の中の、そのまたリベラルなセレブ御用達的な「階層方言」でしかないーー英語ではないのです。わずか4億足らずの英語のネーティブスピーカーの中でも、ーーメディアが与えるイメージとは逆に❗️ーー極めて少数のリベラルな人たちが日々、既存の英語の frame of reference から乖離させているような英語ではありえない。そのような乖離した英語は世界の共通語になれないから。ならば、それが威信を帯びることなどあるはずもないから。

ネットで見かける「食パンは英語でなんと言う?」類いの記事↖️面白いけどちょびっと迷惑かも

https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/5fc098f9884e1ac07f0c697584644f81

実際、アメリカでも英国でも「衛星やケーブルTVの最近のニュースは【語彙も文法も】英語がよく分からない🔥」と口にするネーティブスピーカーは少なくない。また、土台、frame of reference から乖離した言語は英語の方言でさえなくなる。他方、百花繚乱。今後は frame of reference を遵守しながらもますますーー個々の文化伝統が憑依する独特の語彙がトッピングされ、特有のアクセントで飾られたーー多様な英語(English-es)が世界中で咲き競うに違いない。蓋し、それこそが「English as Lingua franca」の実像ではなかろうか。われらが「日本における英語方言」もそのうちに現れるの、鴨。そうわたしは確信しています。

而して、マルクス「ユダヤ人問題によせての掉尾の言葉(「ユダヤ人の社会的解放は、ユダヤ教からの社会の解放である」)に倣えば本稿の主張はこう要約できるの、鴨(to recapiturate, duck)。すなわち、

>日本人の英語苦手意識からの解放は、

>英語からのネーティブ崇拝の解放である

 

【MV】僕たちは戦わない Short ver. / AKB48[公式]・・・英語で「日本」を頑張る、のイメージ

 


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