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[再掲]カレーライスの誕生★カレーの伝播普及が照射する国民国家・日本の形成(下)

2024年06月30日 06時45分55秒 | お料理とか

 

 

<承前>

 

明治維新の半世紀以上前に「カレー粉」は発明されており、また、日本海軍の定番メニューになる以前から、(君臣一体、官民一体、坂の上の雲を急追する文明開化期の)日本でも、ハイカラな「洋食屋」さんではカレーを食することはできました。ちなみに、「西洋文化のショーウィンドー:欧米社会の「使用価値の体系」の展示即売所」としてのデパートに食堂が併設されるようになるのは大正末期から昭和初期のことです。

例えば、1903年(明治36年)に白木屋(現・東急百貨店)が日本国内の百貨店としては初めて「食堂」を設置しましたが、それは近隣の寿司屋、汁粉屋、蕎麦屋の出店を受け入れたものにすぎず、白木屋が独立した「食堂」の営業を開始するのは1904年(明治37年)のこと。

また、三越の食堂併設は1907年(明治40年)。そして、これら「形式的な先駆者」の動向を睨みながら、その開業当初から本格的な食堂を併設した阪急百貨店の開業は1930年(昭和5年)を待たなければならなかったのですから(ちなみに、「カレー」は阪急百貨店のその開業以来、同食堂の看板メニューでした)。けれども、と言いますか、ことほど左様にでしょうか、明治も30年代、明治もその後期を迎えてもカレーはまだまだ高級な西洋食として扱われていたと言えると思います。

その「状況証拠」なのかどうか、実際、ネットで調べても、例えば、「日本のカレーの具材の三種の神器」なるものとして、ジャガイモ・ニンジン・タマネギを挙げている記事を見かけるのですが、実は、本邦へのそれらの野菜の舶来と普及の歴史を紐解けば・・・、

 

・馬鈴薯:ジャガイモ
読んで字の如く「ジャガタラ芋」(ジャカルタのあるインドネシアから来た芋)であり、18世紀後半、江戸時代後期には今の山梨県を中心に広く栽培されるようになった。

・人参:ニンジン
16世紀に伝来。明治に入って全国的に生産されるようになった。


と、この二つはそう「問題」はないのですが・・・。

・玉葱:タマネギ
江戸時代に伝わったが、観賞用にとどまった。食用としては、明治4年(1871年)に札幌で試験栽培されたのが最初とされ、その後の明治13年(1880年)に札幌の中村磯吉が農家として初めて栽培を行った(尚、これは支那伝来のものですが、「白菜」に至っては、博覧会に展示されたレベルでの伝来でも1866年と1875年。この後者の伝来を契機に愛知県で栽培が始まったものの、「白菜」の本格的な普及は1905年の万国物産展を契機に宮城県で栽培され始めて以降のことなのです)。

要は、カレーのみならず、現在ではその代表的な、否、欠くべからざる必須の具材と看做されている玉葱も、海軍が苗床となりこの国民食を啓蒙・普及させるまでは(具体的には1910年以前、日清戦争と日露戦争を挟む時期の終期までは)、日本の食卓においては新参者だったと言えるのです。

実際、明治4年(1871年)に、日本最初の女子留学生として太平洋を越えた津田梅子先生の父君、津田仙翁は、明治9年(1876年)、東京麻布で、ホテルや洋食食堂を得意先に当て込み西洋野菜の栽培・販売を始め大儲けしたのですが、その事業は、明治30年(1897年)に事業を次男に譲った際には開店休業状態に陥っていたとか。

追加蘊蓄↗白菜くんは❗
現在の日本で栽培される品種は、・・・

明治末期から大正【≒1906-1926】にかけて、宮城県の沼倉吉兵衛が宮城農学校(宮城県農業高等学校の前身)と伊達家養種園で芝罘白菜の導入【輸入ではなく自国内生産】に成功した。・・・

同時期に愛知県名古屋市中川区大蟷螂町付近で野崎徳四郎が山東【=支那の地名】白菜の改良を進め、現在のように結球するハクサイができたといわれている。昭和に入って【≒1926というか1930のロンドン軍縮会議のころ、鴨。】石川県でも栽培が軌道に乗り、これで現在の主要系統である松島群、野崎群、加賀群という三大品種群が作り出されたことになる。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%82%A4

 

蓋し、西洋野菜とカレーの普及において、海軍の影響は帝国ホテルや三越デパートなど問題にならないほど大きかったということ。尚、梅子先生を<切り口>に、カレーライス誕生の時代のこの社会の背景と雰囲気を感じるのも悪くないよねと思われる向きは下記拙稿をご一読ください。

・書評☆古木宜志子「津田梅子」(上)(下)

 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/b321120a98e4219e5e52525d85d35097

 ・グローバル化の時代の保守主義☆使用価値の<窓>から覗く生態学的社会構造

 https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/808bbca35415efebac3a8fc3e75f9c9f

 

 

日本でも、当初は異人さん相手の(その後は、「異人の真似をすると偉人になれると勘違いする滑稽な田舎者」相手の)洋食屋さんで供されていた、次に、海軍で(そして、海軍の真似をした陸軍で)賄われたカレー。而して、その伝播普及に際して、英国とは異なる日本の生態学的社会構造(自然を媒介とする、人と人が取り結ぶ社会的な諸関係性の総体)、就中、日本の食文化に合うように、日本のカレーは英国のカレーに修正が加えられました。その修正の核心と原動力が「カレールー:curry roux」の発明だった。

実際、アガサ・クリスティーの『牧師館の殺人:The Murder at the Vicarage』(1930年)の中で、牧師の若妻グリゼルダが、「日本人はいつも半煮えのお米を食べているから頭がいいんですって:Griselda said that the Japanese always ate half-cooked rice and had marvellous brains in consequence.」と述べているように(cf. ハヤカワ文庫版, pp.18-19)、日英の食文化の差は小さくはないのでしょう。ならば、それら各々のカレーの差が漸次大きくなったことも不思議ではありません

もちろん、インドと英国のカレーの差違、あるいは、インドと日本のカレーの差違に比べれば日英のその差などは、太陽系からアンドロメダ星雲までの距離と地球から金星までの距離の違いよりも小さいと思わないでもないですけれどもね。ちなみに、お茶目なグリゼルダ牧師夫人は、『書斎の死体:The Body in the Library』(1942年)でも、若くて美人の母親になっていい味を出しています。英国流日本式カレーの<故郷の情景>を感じるためにもクリスティー作品はお薦め、鴨。

・覚書★アガサ・クリスティーという愉悦
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/a70ff39c23a027bd8166d9b911af7045

 


 

畢竟、坂の上の雲を睨みつつ日本が国民国家に変貌を遂げるのと轍を一にして、
英国流のカレーから日本のカレーは、漸次、離脱していった。

すなわち、①インディカ米ではなくジャポニカ米に合うように、②カレー1品で食事が済ませるように(要は、「カレー」はインドとは違い日英ともにある「料理のメニュー」を意味するにせよ、英国のように、ある一回の昼食や夕食に出る幾つかの料理の一品ではなく(one of them のdishesのa dishとしてではなく)、「今晩、我が家はカレーだ!」になるように)、そして、③日本人の味覚嗜好に合うように香辛料の種類と小麦粉との配合比率が工夫されたのです。

このような、プチイノベーションが日本海軍の艦船の厨房で繰り広げられ積み重ねられた結果、「カレー」は、東郷平八郎元帥が広めたとされる「肉じゃが」と同様、あるいは、阿弥陀如来や大日如来の本地垂迹と同様、更には、甲子園の高校野球やなでしこジャパンのサッカースタイルと同様、<日本の食文化>の一斑として日本の生態学的社会構造にビルトインされた。而して、「カレー」は、坂の上の雲の下で戦われた日清戦争・日露戦争を契機に<国民食>に華麗に昇華した。日本における洋食の伝播・普及・定着の原動力は、軍隊と学校の給食にあったとはしばしば語られことですが、カレーもその例外ではなかったということでしょう。

ちなみに、(これはあくまでも私の仮説ですが、)「カレー」「シチュー」を始めとする洋食メニューの日本における普及の時期、日清戦争から日露戦争を挟んだ時期に、陸海で日本の軍隊の厨房の任を担った兵士諸氏の出身地や出身階層の偏差からして(例えば、東京の銭湯の経営者一族の出身地が秋田県に偏っているとされていることと類比的に)、英国のカレーからの日本式カレーの離脱のベクトルを決定的に左右したのは東北・北陸の伝統料理の味覚なの、鴨。

 




 実は、私は、駆け出しの社会人の頃、当時、大阪の丸ビルに入っていたインドレストランの主任コックのインド人の方に、週1~2回、足かけ2年半、カレーの作り方を習ったことがあります。彼は野心家で、お金を貯めて英国のMBAへの留学を目指していた。でもって、進学資金を一刻も早く貯めるべく、私が当時住んでいた阪急上新庄のカレー屋さん兼バーで彼はアルバイトされていました。で、私がMBAの適性試験(GMAT)対策ノウハウを彼に教え、お返しに彼からカレーの作り方を教えていただいた。

 

б(≧◇≦)ノ ・・・懐かしい~♪

 

而して、その時、最初に感じた違和が「カレー:curry」という名詞に双方が抱く意味の抽象度の違いでした。そして、お互いが抱く「カレー」を巡る言葉の抽象度の擦り合わせには半年以上かかったように思います。しかも、その相互理解の達成は「実物の具材:cognitive tool-kit」をお互いに手にしながらする<対話>の積み重ねを経た上でのこと。

蓋し、異文化コミュニケーションは難しい、でも、おもしろい。異文化コミュニケーションは可能である、けれども、その上首尾な達成のためには動機と根気と努力が不可欠。と、そういう認識を私はこの「カレー」を巡る経験から体得したように思います。閑話休題。

 


 

 

ということで、結論的な感想を最後に記しておけば、

いずれにせよ、(α)インド人が日本の「カレー」を「It isn't a Curry!」と言うのは当然ではある。けれど、彼我の概念の抽象度自体が異なっている以上、彼等が言う「カレー」だけが本物の<カレー>であるとは言えない。また、(β)仏教がインド伝来のものであるにせよ仏教はすでに日本の生態学的社会構造にビルトインされた、認識と価値判断の体系になっており、日本の<文化伝統>の主要な一斑であるのとパラレルに、日本のカレーもまた日本の<食文化>の一斑であり、カレーは日本の国民食である。

 

 

些か、インド人も吃驚するかもしれませんが、私はそう考えています。

尚、<文化伝統>と保守主義を巡る私の基本的な認識については下記拙稿をご一読いただければ嬉しいです。KABUのお薦め「トマトカレー」のレシピと併せてご案内させていただきます。

ちなみに、(言うまでもないことかもしれませんが、)この記事の画像、素敵な<女子自衛官>の方は、KABU&寛子さんと同郷の福岡県出身、実家が食堂経営ということもあってでしょうか(私の過去の進路指導経験からはそれはあまり関係はないと思いますけれども)、間違いなく、「メンバーの中でも最も料理が上手」との評価が定まっているAKB48の大家志津香さんですよ。

・風景が<伝統>に分節される構図(及びこの続編)
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/87aa6b70f00b7bded5b801f2facda5e3


・保守主義の再定義(上)~(下)
 https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/141a2a029b8c6bb344188d543d593ee2


・政治も気候も<梅雨明け>で夏本番、元気のでるKABU特製カレーのレシピを公開します 
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/537a496df27494615453e68128065973


б(≧◇≦)ノ ・・・今夜はカレーだぁー!

 

 ウマウマ(^◇^)

 

 

 

今日も朝ごはん朝ごはん食べて英語頑張りましょう❗️

 


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3 コメント

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今夜のカレーは海軍? (ちー)
2019-04-09 21:33:22
今晩は。
毎日、凄い活字数!
敬服。
子供の頃、仙台生まれの母が作るカレーは
最後に小麦粉でとろみをつけてました。
高知そだちの父は、そこに砂糖を入れる・・・
昔「津田梅子さま」の墓参に行きました。
近くに長く住んでいたので^^
小平市内の受験者が多かったけど、知人の娘が
1人だけ合格。姪は落ちました。
毎夜、豊富な話題、楽しませて頂いております
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ちーさんコメントありがとうございます。 (KABU )
2019-04-12 08:55:53
この記事は実は1時間半くらいで書いたものだったのですが、今も、お気に入りの一つです。やはり、口先ではなく胃袋で書いたものだから、鴨。これからも、よろしくお願いいたします。
返信する
カレーと白菜 (narkejp)
2024-06-30 08:19:38
興味深いお話です。白菜については、板倉聖宣『白菜のなぞ』を興味深く読みました。明治まで白菜が定着しなかったのは、アブラナ科植物の花粉によって野生化してしまうためで、明治以前にも何度か渡来してきたはずですが、交雑を防ぎ種子を継続的に得ることができなかった。明治期に純系種子を得る技術が伝わって白菜が定着したという見解でした。
我が家では、冬場は白菜カレーが定番です。水を使わず、白菜の水分でカレーを作ります。格別の味です。海軍の糧食というと、吉村昭『白い航跡』を連想します。
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