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英文読解 one パラ道場:英語教材として読む安倍談話-余滴-「法と国家」の語源譚的随想(上)

2015年12月03日 18時31分30秒 | 英文読解 one パラ道場

V(^◇^)・・・目次(だけでも結構ですよ!)どうぞ、ご利用ください!

◆英語教材として読む安倍談話-目次-INDEX-

※前口上阿-安倍談話の評価・保守派にとっての英語力/安倍談話の<正本>
※前口上吽-安倍談話<正文>テクストの性格-対象と目的/「誓約」雑感
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※本編01-S01-02:英文の読み方Tips伝授/冠詞の出し入れ
※本編02-S03-12:any+単数名詞の用法/generalの語源譚
        /「アジア初の憲法」!/資料・第一次大戦後の「民族自決権」①
※本編03-S13-20:文型分析/「状況」の類義語比較/資料・第一次大戦後の「民族自決権」②
* * * *
※本編04-S21-34:文型分析-パンクチュエーションの記号の使い方
        /TOEIC重要語彙の一種-重要ではないのに大切な単語
※本編05-S25-34:時制/倒置/「平和」と「戦争」の語源
* * * *
※本編06-S35-44:during-forと時制/「other-another」の語法
* * * *
※本編07-S45-46:文型分析/「程度」の副詞/センテンスの「平均的な長さ」?
        /関係代名詞と接続詞の違い-センテンスの意味再論
※本編08-S47-50:文型分析/句と節-前置詞と接続詞/形式と意味の二重スクリーニング
        /neverthelessの語法/peopleの意味と語法
* * * *
※本編09-S51-57:文型分析/関係代名詞の省略/関係代名詞の先行詞の発見Tips
※本編10-S01-73:パラグラフのお話し-総括的談笑/音読の薦めと学習Tips
* * * *
※本編11-S58-65:文型分析/womanの語源/must-have to-oughtの語法/冠詞の威力
※本編12-S66-70:「種」まきの「季節」の語源/hotbedの語義/単語力増強Tips
        /目的語としての不定詞と動名詞
※本編13-S71-73:「freedom」と「liberty」の語源/形容詞と副詞の語順-位相差問題
* * * *
※余滴上-本稿の目次/語源から考える「国家-nation」の意味
※余滴中-語源から考える「国家-nation」の意味(承前)
※余滴下-語源から考える「法と秩序-law and order」の意味



・英文資料:安倍談話(英文全文)
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/94265cbc1a830d3eea30eb8de8d34c82

・『再出発の英文法』目次
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/c/5fdc86510e61126eda55a6d3ee4133da
 
* * * *

・中尾俊夫『英語の歴史』
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/f64de3ba90ee36bde0927619de3a4cd0

・英語のカタカナ表記は「首尾一貫」させるべきか?
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/1a4a5b11403c605388417886a336d5eb

* * * *

・保守派のための海馬之玄関ブログ<特製・近代史>年表
 --いっそう朗らかに「安倍談話」を読むための--(上)(下)
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/82a1f0f94a0f2b7ee21bb6a6ca3cf3df

・完版:保守派のための海馬之玄関<自家製・近代史年表>みたいなもの--(上)~(下)
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/a3221c77ea0add17edf737d21088cf96






◆語源から考える「国家-nation」の意味◆

アメリカ人やイギリス人が考える<国家>と、日本語で語られる「国家」とにはかなりの違いがあるように思います。そして、日本の言説には左右に関わらずその差違が露呈しているの、鴨とも。もちろん、海馬之玄関ブログのこととて、それはリベラル派がよく口にするような、例えば、次のようなファンタジックな主張と、英米の一般的な国家認識の差違のことだけではありません。

・日本ではまだ国民が国家を<おかみ>と捉えている。それに対して、市民革命を経た欧米諸国では国民は国家を「自分たちのもの」であると同時に、常にその権力の濫用を監視しなければならない「危険な存在」と皮膚感覚で理解しているのですよ・・・フランス擾乱大好き筋のファンタジ-

・天皇制によって日本では、国家は国民の遥か上空に聳立する不可侵的の権威となってしまい、そして、その体制内部ではてんこ盛りの実権者の乱造、かつ、責任者不明の「無責任構造」ができたのです。他方、天皇制イデオロギーによって、日本では国家が国民の内面生活にまで覆い介入する、前近代的かつファシズム的な非合理の権威主義もまた形成されました。ひょっとしたら、安倍政権という現実はその公的領域への蘇生プロセスの嚆矢かもしれません・・・とかの丸山真男というか講座派-コミンテルン系のファンタジ-

而して、本稿は、<安倍談話>のテクスト分析の余滴的の作業として、英語の語源の観点から「国家」と「法」について考えたもの。自分のための防備録的-草稿作成的の記事、鴨。蓋し、まず、「ものをして語らしめよ」。次の引用--日本の保守派には最近あまり評判のよくない、また、我々の同志であるアメリカの保守派の中でも評価が分かれる--アメリカ大統領、JFKの大統領就任演説「Inaugural Address(Jan. 20, 1961)-下線はKABU」から余滴を始めたいと思います。

To those new states whom we welcome to the ranks of the free, we pledge our word that one form of colonial control shall not have passed away merely to be replaced by a far more iron tyranny.・・・

(それが自由主義世界の隊列に加わることを我々も歓迎する、そのような新興の諸国に対しては、植民地支配が単により凶暴な専制にとって代わられただけで終わるということは許されない、と。そう我々が考えていること。そして、その考えを表明した今のその言葉を我々が実現するつもりであることをお約束します)

Since this country was founded, each generation of Americans has been summoned to give testimony to its national loyalty. The graves of young Americans who answered the call to service surround the globe.・・・

(建国以来、アメリカ合衆国のあらゆる世代のアメリカ国民は、国家に対する忠誠を証明することを【この国から】求められてきました。その要請に応えて軍務に応じた若いアメリカ人の墓は世界中にあるのです)

Finally, whether you are citizens of America or citizens of the world, ask of us here the same high standards of strength and sacrifice which ask of you.・・・

(皆さん、あなたがアメリカ国民であろうと他の国の市民であろうと、私は最後にこう申し上げたい。皆さん、我々があなたがたに要求するのと同じ水準の強さと犠牲とを、アメリカの国家に求めてください、と)

* * * *

ここに流れているモチーフの一つは間違いなく「国家への忠誠心」。アメリカにおけるその内容については下記拙稿を是非ご参照いただきたいのですが、就任演説自体に対するコメントは割愛。というか、以降の思索がそれに対する散発的なコメント。と、いつにもましてこの記事ではそう考えています。而して、例えば、「国家への忠誠心」というさいの「国家」とはどのような意味なのか、それは日本語の「国家」とは--左右ともにですが、おそらく、日本の論者が使う「国家」とは--かなり違うのではないか。この問題意識がこの「余滴」全体で私が考えようとしたことだと思います。では、早速、語源の話に移ります。


・憲法訴訟を巡る日米の貧困と豊饒☆「忠誠の誓い」合憲判決-リベラル派の妄想に常識の鉄槌(1)~(6)
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/ec85f638d02c32311e83d3bcb3b6e714






▽nation, country, state,
 republic, commonwealth そして people の語感


nationの語源は、L語源の「生まれたもの/部族」。nature(自然), renaissance(再度・生まれる→ルネッサンス)が同語源なのは見ればわかる。また、先に一応、語源を書いておくと、countryは「向こう側の土地→田舎の地所」、peopleは「平民の人々→民衆/大衆/市民」、そして、citizenは「公民権をもった人」。ついでに、「類義語」についても書いておくと、stateは「立っている状態」、republic「公共のもの/公共的な存在」, commonwealth「公共の幸福/公の財産」。最後に、democracyとconstitutionは各々「ばらばらに分断されている有象無象の大衆による支配」「共に構築すること/共に組み立てられたもの」。すべてラテン語語源の言葉ですが、これらを貫く軸は、やはり、「nation」、鴨。

▼nation
nation(国家)の直接のL語源は[natus:生まれる/生まれたもの]だけれども、IE語源まで遡るとき、L語源の[gens:同じ父祖と名字と氏神を祭る一門の人々の集団]が近傍にある。この単語から、「生まれを同じくする同門連枝衆」→「同じグループ」→「あるグループについて一般的なこと」と発展、他方、「生まれがよくて気前が良く寛大→その種族を導く器を備え導く宿命を帯びた人」の戦線にも意味の領地を開拓していったらしい。前者が、gender(文法的性差), genre(ジャンル), generic(所属する属全体に通じる)、後者が、gentle(優しい), general(足利尊氏公のような棟梁の器を備えた将軍)の陣容。何を言いたいのか。それは、IE語源まで遡るとき、いずれにせよ、「nation」には下記の語感が憑依していることです。

・nation
「生まれが同じ→同じ価値観と行動規範を持つ
→運命をも共有している人々の集団



▼country
countryの語源は、ラテン語系ではあるが中世期の言葉。英語の語彙の世界ではかなりな新しい新参者(←かぶってます、かぶってます)。意味は[contra-:反対側の/向こう側の][-terra:土地]から「田舎の地所」。これなんとなくわかる話、鴨。

>つまらない田舎ですが、まー、わたしたち一族に縁のある
>今でも関係している土地なんですよ、あそこは!!

とかそういう--これからしばらくは私の「空想」ですが--謙遜というか謙虚系で斜に構えた感じの言葉、鴨。そう、「私の「いなか-田舎」/「国-くに」は秋田です」とか言うときの「いなか=くに」の語感。これ、例えば、防衛大学校の学園祭(開校記念祭-毎年11月中旬開催)で、防大生の孫に会いに北海道から出て来たお爺さんが、「いやー、東京はやっぱ温けーなー(←おじさん、防衛大学は神奈川県横須賀市ですよ!)、もう、国では雪さふるころ、だべぇ」とか語られるときの「くに」の語感。あのウクライナの国名の「ウクライナ」も、実は、「田舎」という意味らしい。要は、ポーランドから見て辺鄙という意味(←異説ありますから)。と、アメリカでもそう言えば、ジョン・デンバーがウェストヴァージニアを「country」と呼んでいた。まあ、確かに、WVは「いなか」だもんな、山形って感じ、鶴岡の方じゃない山の方の山形、為念。閑話休題。

* * * *

私の空想による、この「country」の原意・語感は、それは、今でも日本でも「お国はどこですか?」の問いが、多くの場合、彼や彼女の国籍ではなくその出身都道府県(+海外)を聞いているのと通じるもの。逆に言えば、面積の広狭や行政法的な指示系統の上下左右と関係なく、「country」としての「くに」は「nation」や「state」を超越する、少なくとも、洋の東西を問わずメビウスの帯的か、位相を異にする語感の語彙ということ。而して、これは私の「空想」内だけのものでもない、鴨。例えば、実際、

幕末の志士の書簡(1853~1867)の分析知見からは、そこに出てくる「国家」の2文字はほぼ100%、「自分の藩」の意味だったらしいこと。それどころか、明治も「明治14年の政変」から旧憲法公布くらいまでは(~1881-1889)、人々が政談談笑において--自由民権論者という藩閥利権シャットアウト組の、しかし、当時のこの社会のエリート・教養人層を筆頭にして--、彼等が「天下国家」を口にするときの、「国家」もほぼ「自分の出身の旧藩や自分のスポンサーの旧藩」のことだったらしいこと。


>日本では「国家」は1900年頃に<国家>になった

これらは鉄板の事実と言える。蓋し、これらの事実を鑑みるに、ならば、日本語の世界において--カール・ポパーの言う意味での「世界Ⅲ」において--「国家」の2文字が日本国の意味になったのは、私の、伊藤博文公と新島襄先生の書簡分析の乏しい経験からも、上述と轍を一にして、早くとも日清戦争後、すなわち、三国干渉後の、明治の御代も<日露の戦雲>が小さくもくっきり見え始めた30年代後半(1900年± α)からではないかと思います。



小括。英語で「国家」を表す幾つかの類義語の語義・語感の違いについて、
普通こう説明されていますよね。そう、こんな感じ(↓)。

・nation:その国民や国の歴史や文化を含意する
・state:国家の権力機構や政府を専ら指し示す
・country:国を言うときにもっとも普通に使う


とかとか、実は、country に関しては花を持たせながらも説明になっていない消去法で説明されていましたよね。確かに語源からみても「country」には、そう特に大して政治的と社会思想的に深い意味があるわけではない、多分。けれども、逆に、語源的に色がついていない分だけ、現在、「国家」を表すのに「country」があたりさわりもなく便利な言葉ということ、鴨。ついでに「state」にもここで言及。

「state」も、country, people, government, tax, sovereign 同様、英語史的にはノルマンコンクエスト以降(1066~)にブリテン島に入ったラテン系の新参者。語義は語源で一発了解。なぜならば、[st-:立て]「-tate:られたもの」だから。nationが民族の共同体としての<国家>を指し示す思想的な思索の依り代とすれば、stateは制度的な思考の結節点と言える。冒頭引用の就任演説、JFKも大凡その語義・語感でこれらをの使い分けているの、鴨。と、そう私は考えます。

法と国家の同一説--新カント派の社会科学方法論を前提とするとき、認識が対象を決定する、ならば、法学的に考えられた<国家>なるものは、ある実定方秩序体系(=憲法を頂点とする国内法体系)以外には論理的に存在しえないというシャープな主張--を唱えた、オーストリアはウィーン大学の教授、また、オーストリア帝国の最後の最高裁判事を経てアメリカに亡命、カリフォ-ルニアのバークレーで没した、20世紀最高の法学者。と、長い前振りでしたが、ハンス・ケルゼン(1881-1973)は、「国家」を認識と評価の「帰属点:Zurechnungspunkt」と規定しました。うみゅ、ここ難しいですか? 

要は、「ソフトバンクフォークス」や「なでしこジャパン」などは究極、
人々の観念の中にしか--カール・ポパー流に言えば「世界Ⅱ」および「世界Ⅲ」
にしか--存在しないということ。

確かに、世界女子サッカー界の至宝・宮間あや姫から私もサインをもらい握手してもらったことはあるけれど、<なでしこ>に触れたことなど一度もない。而して、しかし、そのあや姫がPKで直接ゴールネットを揺らせば、<なでしこ>に1点が入り、そして、その虎の子を守りきり宿敵ドイツか、女王アメリカに勝ったら、その<なでしこ>に1勝と勝ち点3がつく、来月のFIFA世界ランクも3位から2位にあがるかもしれない。このような経緯、つまり、だれかのなんらかの行為や事態の結果がそれに社会的に帰属される観念上の--くどいですが、「世界Ⅱ」および「世界Ⅲ」に存在する--思考の結節点がすなわちケルゼンの言う「帰属点」の大凡の意味。語源から考える本稿の理路からは些か脱線になりましたが、畢竟、nation・state・countryの3語中では、state が最も、この「法学的意味の国家」と相性がいいのは語源からもうなずける、鴨。

という話なんですけど、
難しかったですか?





<続く>



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