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ウォーキング de 我が街「新百合ヶ丘」:五月台~栗平~平尾~古沢編(中)

2009年07月13日 12時12分59秒 | 徒然日記


さあ、お馬さんとの対面です。その後は川崎市麻生区と東京都稲城市の県境の里山を縫うようにして森林浴を満喫。尚、前編と重なりますが、<過去記事>と<地図画像>のURL(↓)を再度記しておきます。


【過去記事】
・ウォーキング de 我が街「新百合ヶ丘」:古沢越え-栗平&片平探訪編
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/56383444.html

【地図画像】
・五月台~栗平~平尾~古沢

 http://www31.ocn.ne.jp/~matsuo2000/shinyurimap10a.jpg










「サンヨーガーデンライディングクラブ」。画像は、小学生くらいの女の子。私も片平に住んでいる時に何度か体験乗馬させてもらいました。楽しいです。

・サンヨーガーデンライディングクラブ
 http://34250.jp/










お馬さんと鴨さん一家との名残を惜しみつつ前進します。次の目標は小田急栗平駅。そして、黒川に通じる里山の獣道(?)。画像は、朝の通学時間帯に遭遇した、麻生区民が誇る桐光学園の生徒諸君。今期からスペインリーグのエスパニョールに移籍したサッカー日本代表の中村俊輔選手もここの卒業生なんですよ。二枚目の画像で黄色い旗を持っている若者は「桐光高校・交通整理委員」の勇姿。毎朝、ご苦労さまです。

ヽ(^o^)丿ヽ(^o^)丿ヽ(^o^)丿
ヽ(^o^)丿ヽ(^o^)丿ヽ(^o^)丿





・桐光学園
 http://www.toko.ed.jp/

・神奈川県高校偏差値(私立)
 http://furo.fc2web.com/study-rank.html










と、桐光学園の生徒諸君に轢かれるのを避けて(?)、反対側の栗平駅北口に迂回します。上は駅と駅から見た駅前の風景。綺麗で新しくて都会的。而して、このいかにも平和そうな栗平駅周辺では学習塾間で熾烈な競争が展開されていることは業界人しか知らないことでしょう(笑)

下は、次なる目的地「笹の林道」に至る道と「笹の林道」入り口です。ちなみに、小さくて見えにくいでしょうが一番上の画像、奥に写っている信号機と右手の電信柱の後ろの草の生えた土手を覚えておいてください。ふっふっふっ。
















笹の林道を進みます。道は途中で「林道」ではなく一部「獣道」になりますが、目的地から外れることはあっても遭難することはないです。要は、20分以内には民家や舗装した車道に出る。『魏志倭人伝』ではないけれど「又一海を渡ること千余里で末盧国に至る。四千余戸あり、草木が盛んに茂り、歩いて行くに前人が見えず」という趣ではあるものの、所詮、ここは東京都と神奈川県の県境の里山、猿、あるいは、北朝鮮の工作員やストーカーが潜んでいるとかでもない限り恐れることはありません。而して、下の画像は「林道→獣道→林道」と15分くらい歩いて突然目の前に現われたのどかな田園とモダンな商業地・住宅地。そう、京王相模原線若葉台駅とその近隣の風景です。尚、そこもぎりぎり川崎市(黒川)なのですよぉー。





今来た林道を引き返します。ただ、今度は「獣道」には進まず、最初の分岐点を左に折れて歩くこと5分。そこにあるのがこれ。





そりゃ、日本大学は日本最大の大学でキャンパスも 東京都から埼玉県、静岡県、千葉県、福島県といろんな所にあるけれど、確か、神奈川県には藤沢市にキャンパスがあるくらいじゃなかったっけ、とピンーと来るのは受験指導の専門家か日大マニアくらいでしょう。でも、専門家やマニアでなくとも川崎市と稲城市の県境の里山に日本大学のグラウンドがあるというのはそう知られていないと思います。而して、いかにも昭和の香のする「警告板」だったので画像に収めました。







ここからは林道でも獣道でもない普通の「人道」を進みます。まず、日本大学グラウンド管理棟の斜め対面にあるのが、これ、稲城市立稲城二中。生徒諸君の通学時間に私は何度かこの辺りを通ったのですが、感心することに生徒のほとんどが挨拶をしてくれる。実に気持ちが良いのです。おそらく、ここの生徒の家庭には朝日新聞の読者層はほとんどいないのではないでしょうか。



生徒が礼儀正しいその稲城ニ中をすぎた後の目印がこれ。特養老人ホーム正吉苑と、そのすぐ先の鉄塔下の公衆電話ボックス。この電話ボックスの所を右に入ります。そこで眼下に広がるのが、稲城市の誇る平尾団地。道なりに平尾団地の方に向かいます。













そろそろ疲れてきた頃でしょうか。そんな方には「上平尾」のバス停留所。なんとここから新百合ヶ丘駅までは10分足らず(ちなみに、栗平駅まではここから徒歩15分もかかりません)。特に、平日の朝はバスの本数も多いですから、疲れたら無理せずここでゲームオーバーにするのも手ですよぉー。

しかし、新百合ヶ丘ウォーキングの<自称熟練工>としてはここで行軍を中止するわけには行きません。ここから今度は平尾団地横の県境の土手を進んで新たな<森林浴場>に飛び込んで行きたいと思います。

ざぶーん♪









と、下は「上平尾」バス停のすぐ先にある「杉山神社」と県境の土手の外れの画像です。そう、この土手の外れこそ、「笹の林道」の説明の時にメンションしていた「草の生えた土手」と「信号機」そのものなのです。






境内にあった案内板によれば、この杉山神社は「鶴見川流域に72社ある杉山神社の中でも最も上流に鎮座している社であり、御神体は延徳4年(1492年)作の掛仏であったが江戸時代に失われて現在は、日本武尊と弟橘姫の木造である」ということ。1492年と言えば、銀閣寺を創建し東山文化の精髄を具現した足利義政公が亡くなった頃(1490年)、そして、伊勢長氏(=北条早雲)の伊豆簒奪がなされた頃(1491年)。正に、室町時代から応仁の乱(1467年)を経て戦国時代に本格的に移行する頃にこの社は建立されたということです。ウォーキングは勉強になるにゃー。

と、この土手も半端じゃないです。水戸黄門の口上でもないですが「控えおろー、こちらにおわす土手をどなたと心得る」の世界です。これまた案内版によれば、この土手は「御座松塚」と呼ぶらしく「今から約七百年前、武蔵分倍河原で新田義貞は鎌倉幕府の北条軍と戦ったが、義貞が勝利を収めた。更に鎌倉に進軍する途中、この平尾あたりで死んだ将兵を土を小高く盛り上げた塚に手厚く葬り、その上に松を植えたと伝えられる」。而して、現在その「御座松塚」がどこであるかは不明であるもののこの土手がその有力な比定地ということらしいのです。

・鎌倉街道
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8E%8C%E5%80%89%E8%A1%97%E9%81%93

実際、鎌倉時代に「鎌倉街道」と呼ばれた「いざ、鎌倉!」の際に武士集団が利用する街道は、少なくとも「上の道」「中の道」「下の道」と三本あり、その他多数の支線があったとされています。そして、鎌倉攻めの時(1333年)、新田義貞が「上の道:鎌倉-武蔵府中-所沢-安中-碓氷峠」と「中の道:鎌倉-戸塚-二子玉川-渋谷-川口-宇都宮」を利用したことはほぼ確実らしく、また、現在、稲城市と麻生区の境になっているこの尾根伝いの地域には「上の道」と「中の道」をつなぐ鎌倉街道の有力な支線が通っていたとか。ならば、この土手は本当に由緒ある土手なのかも、です。ウォーキングはロマンだにゃー。



と、歴史の道草を食って適度な長さになったので後編に続きます(;・ω・;)。


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