(7)心多歓喜(しんたかんぎ)の益
大悲の願船に乗ずれば、嬉しいおもいが多くなることをいいます。
親鸞聖人の主著『教行信証』も、「慶ばしきかな」で始まり「慶ばしきかな」で終わっていることからも、知られるでしょう。以下は、その文証です。 . . . 本文を読む
第六は、心光常護(しんこうじょうご)の益です。
「心光」とは阿弥陀仏のお力(光明)のこと。「常護」とは常に護られている安らぎを言います。
大悲の願船に乗じた者は「冥衆に護持」され「諸仏に護念」されることは、前述しました。
それに増して無上仏の阿弥陀仏に常に護られ、無上の安心・満足に生かされるのが「心光常護の益」です。 . . . 本文を読む
大悲の願船に乗じた人は、大宇宙の無量の諸仏から異口同音に褒めたたえられる、喜びと誇りをいう。
釈迦は『大無量寿経』に偉大な智恵者(広大勝解者)と褒め、『観無量寿経』では、泥沼に咲きながら泥に染まらぬ白蓮華と讃えられる。
また、わが親友とも呼びかけられている。
以下は、その文証である。
この信心の人を釈迦如来は、「わが親しき友なり」とよろこびまします
(『末灯鈔』二通) . . . 本文を読む
囲碁の終局でのトラブル・私が間違っていました。日本棋院では『終わりましたね』『終わりました』とスマホで調べました、私の『有りません』『有りません』は間違えやすいので以後使わないことにします . . . 本文を読む
諸仏護念(しょぶつごねん)の益
“大悲の願船に乗じ南無阿弥陀仏を称うれば、大宇宙の無量の仏方(諸仏)は、最高に幸せな人だと寿ぎ、百重・千重に取り巻き喜び護ってくだされるのである”
南無阿弥陀仏を称うれば
十方無量の諸仏は
百重千重囲繞して
よろこびまもりたまうなり (現世利益和讃) . . . 本文を読む
第三は、転悪成善(てんあくじょうぜん)の益です。
悪が転じて善となり、苦しみがそのまま楽しみとなる。辛い事実も幸せの種に変わるという、常識破りの利益をいいます。
「私ほど不幸なものはない」「オレほど業な人間はいない」と、他人を恨み世を呪っていた者が、その涙の種が幸せ喜ぶ種となり、逆境に微笑し輝く世界が拝める不思議です。 . . . 本文を読む
2.至徳具足の益
十種の利益の第二は、至徳具足(しとくぐそく)の益です。
「至徳」とは、阿弥陀仏が大宇宙の宝を結晶された無上の功徳、「南無阿弥陀仏」のことです。
親鸞聖人は「功徳の大宝海」(大きな宝の海)と『正信偈』に讃仰されています。
蓮如上人は易しく、こう言い表されています。 . . . 本文を読む
(1)冥衆護持の益、
諸天善神ことごとく よるひるつねにまもるなりまず、冥衆護持(みょうしゅごじ)の益から解説しましょう。
冥衆とは、こちら側からは見えないけれど、向こう側からは、よく見えるものを言います。
向こう側とは、天神・地祇(天の神、地の神)や梵天・帝釈(ともに仏法を守護する最上位の神)など、仏法を守護するものです。こちらからは見えませんが、それらの方からはこちらが良く見えて、護ってくれることです。 . . . 本文を読む
我が歳きわまりて、安養浄土(あんにょうじょうど)に還帰(げんき)すというとも、和歌の浦曲(うらわ)の片男浪(かたおなみ)の、寄せかけ寄せかけ帰らんに同じ。
一人居て喜ばは二人と思うべし、二人居て喜ばは三人と思うべし、その一人は親鸞なり
(御臨末の御書)
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死後どうなるか(霊魂と言う固定したものが存在するのか存在しない無か)
○因果応報なるが故に来世なきに非ず、無我なるが故に常有に非ず。(阿含経)
【解説】
●「断見」「常見」の「見」は、見解・考え方・思想の意。「外道」とは、仏教以外の総ての宗教をいう。
・断見外道「死後は無になる」という教え。「無の見」ともいわれる。 . . . 本文を読む
仏教の根幹は因果の道理です
○善因善果○悪因悪果○自因自果
【解説】●「因」とは「原因」、「果」とは「結果」のこと。「道理」とは、三世十方を貫く真理。すべてのことは、「原因」があって「結果」がある。これは、億分の一、兆分の一の例外もない大宇宙の真理である。
特に、私たちの最も知りたい「幸福」と「不幸」についての、原因と結果の関係を、「善因善果・悪因悪果・自因自果」と釈尊は教えられている。「因」とは我々の「行為」のことであり、「果」とは分かりやすく言えば「運命」のこと。 . . . 本文を読む